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第11話
「なんなの……もう」
睦月はオートロックを解除しエレベーターに乗り込むと、狭いエレベーターの箱の中でズルズルとしゃがみ込んだ。
家に帰ると、数分経たずにオートロック側のインターフォンが鳴った。田ノ上だとわかっていたから、睦月は応答せずに解除をした。
「陽さん、稲荷寿しありがとうございます。あと魚でも焼きます? あ、田ノ上さんも一緒に食べるって言ってました。約束してるんですよね」
「ああ……今のインターフォンあいつか?」
キッチンから声をかけると、葉月と遊んでいた陽がすっかり忘れていたという顔で立ち上がった。
「はい。会社から送ってくれたんですよ」
睦月が言うと、陽の目がスッと細まり幾分か低い声色で問いかけられる。
「車でか?」
「はい……そうですけど?」
「そうか」
玄関の鍵は開けてある。部屋のインターフォンが鳴り、睦月が開いてますと声をかけるとすぐに玄関のドアが開けられ、田ノ上の快活な声が響いた。
「お邪魔〜」
「ほんとに、邪魔だな」
「ひどっ! 睦月くん〜こいつのツンデレなんとかしてよ〜」
先ほどまでの気配は微塵も見せない。田ノ上は陽の前では、割といじられ役に徹する節がある。それがこの男の本来の姿なのか、フリなのかは睦月にはわからなかったが、そんな掛け合いが二人の仲睦まじさを表しているようで、睦月はいつも間に入っていけない。
「お兄ちゃん、ちょっと来て~」
部屋でおもちゃを片付けていると思っていた葉月が、いつのまにかキッチンへと姿を現した。
小さな手が睦月の手をキュッと掴んだ。チリチリと焼けるように熱かった胸が、静まっていく。
「どうしたの?」
「お家作ったの!」
こっちに来てと、葉月に手を引かれ着いていくと、テレビの前にブロックで四角い箱のようなものが作られていた。
「へぇ~大きいね」
広げられた色取り取りのブロックが積み重なって、まるでお城のような家が作られていた。庭と思われる場所には花も付けられていて、屋根と窓もある。五歳でこんなに家っぽく作れるなんてとつい考えてしまうぐらいには、兄バカだ。
「これね、僕が大きくなったら陽ちゃんと、お兄ちゃんと住むお家なの! あーちゃんちみたいにお家に階段があるの!」
あーちゃんの家はきっと一軒家で、階段があるんだろう。
「そっか、みんなで住むお家なんだね。そうなったらいいね」
大きくなって陽と住めるかどうかはわからないが、葉月の願いは睦月の願いでもある。ただ陽のことが大好きで、ずっと一緒にいたいだけだ。
「なんだ、葉月一軒家に住みたいのか?」
背後からニュッと伸ばされた手が、葉月の頭をグシャグシャとかき混ぜる。田ノ上と仕事の話があるようなことを言っていたが、いつの間にやら終わっていたらしい。
「うん! だってね、あーちゃんちお庭があって、ワンワンがいるんだって! でね、お休みのとき、お庭で焼肉するって言ってた!」
「庭で焼肉、バーベキューでもしてんのか? さすがにここじゃあ、バーベキューは出来ねえもんな。そのうち家買うか……」
冗談とも本気ともつかない陽の口調に慌てたのは睦月だ。
「陽さんっ! 子どもの言うこと本気にしないでくださいっ!」
「なんでだよ、いいじゃねえか。一軒家」
どこまで本気なんだかわからない。金に困ってはいないだろうが、そもそもこのマンションも分譲で駅から近い立地に建っているため購入額は安くはないはずだ。
睦月たちを引き取る時にすでに一人で住んでいて、三人で住むにも十分な広さがあったから、引っ越さなかったと言っていた。
「え、いや……でも」
「陽のとこも小さい頃からずっとマンションだったって言ってたっけ。確かにマンション住まいだと憧れるよな、一軒家」
いつの間にか田ノ上も陽の後ろにいて、葉月の作ったブロックを囲むようにみんなでリビングに座り込む。ソファーもあるが、どうしても小さい子ども目線で話すには、床に座った方が話しやすい。
「ま、うちは親が奔放だし、家に寄り付かなかったからな。そもそも一軒家って話が出たこともねえけど」
聞いたことのない陽の家族の話に、胸がキリキリと音を立てる。
「そうなんですか?」
田ノ上は付き合いが長いだけあって、小さい頃の陽の話も知っているんだと。一緒に暮らしているのは自分なのにと、言いようのない悔しさに胸が締め付けられるようだ。
「両方とも働いてて海外行ったきりだ。今どこの国にいるのかも知らねえよ。ああ、でもお前ら引き取ったことは知ってるぞ」
睦月も葉月も、陽の両親に会っとこともなければ、電話で話したこともない。
「そうそう、陽がゲイだってカミングアウトしてからは、益々仲悪くなっちゃってさ。でも睦月くんたちが気にすることないからね」
勝手な想像で陽は天涯孤独の身だと思っていた。この家に陽の血縁関係者が訪ねてくることもなかったし、今までの会話の中でも出なかったから、特に睦月も聞かなかったのだ。
「げい、かむんぐってなあに?」
キョトンと目を丸くしながら、言葉に引っ掛かりを覚えた葉月が口を挟む。
「あ……葉月、ほら一軒家作るなら、二階とかもあった方がいいんじゃない?」
まずいと慌てて話を変えると、クックと喉奥で笑う田ノ上の姿があった。
田ノ上は……陽が男性が好きだということを知っているんだ──。
ふと頭を過った。もしかしたら、田ノ上は陽が好きなんじゃないかと。陽だって、田ノ上のことを憎からず思っているのは明白だ。
二人の仲良さげな場面を何度となく見せつけられている。それに……睦月の気持ちも知っている。
もしかしたら、牽制、されているのだろうか。
陽は俺のだと、だからお前が入る隙はないのだと、そう言われているのだと思えば今までのことがピッタリと当てはまる。
それに結婚はしないと陽は言ったけれど、恋人がいないとは言っていない。睦月が知らないだけで、本当は二人はすでに恋人同士ということもあり得る。
男の人が好きだから触ってくれたのかも、なんて少しだけ期待していた自分が馬鹿みたいだ。優しいから慰めてくれたに過ぎないのに。
涙が溢れそうになるのをグッと堪えて、唇を噛み締める。こんなところで泣いたらまた心配をかけてしまう。それだけはダメだ。絶対に自分のこの気持ちは知られるわけにはいかない。
「すみませ、俺……ご飯作らなきゃ」
睦月は立ち上がりキッチンへと向かう。陽も葉月もほとんどキッチンには足を踏み入れない。今日夕飯を作ってくれたのは久しぶりだ。言ってみればキッチンは睦月の城だった。
カウンターキッチンの床に見えないように座り込めば、堪えていた涙が溢れ落ちる。
どんどん欲張りになってしまう。家族だと言ってくれただけで充分じゃないか。これ以上望んだらバチが当たる。
俺だけを見て──だなんて。
「……っ」
「葉月くん、俺とあっちで遊ぼうな〜」
睦月の気持ちとは裏腹に、やたらと明るい田ノ上の声がリビングに響く。足音がいくつか響いて、頬を伝う涙を袖で拭っていると、頭にポンと手を置かれた。
「こら、お前はまた隠れてそうやって一人で泣く。本当に手がかかるな」
頭上から深いため息が聞こえて、ビクリと肩を震わせた。煩わせたくないから、一人で泣いているのに。
「ごめ、なさっ……」
「怒ってるわけじゃねえよ……で、今度は何だ。つか、最近情緒不安定だな、お前は」
三畳ほどのキッチンスペース、食器棚の前に二人で座り込み、陽はおいで手招きする。おずおずと近づけば、ふわりと両腕が回って抱き締められた。
「睦月くん、気をつけなよ〜! 陽って君みたいなの大好物だから」
廊下から葉月の部屋へと向った田ノ上に、通り過ぎざまに告げられた。大好物、と首を傾げる。
「充! 余計なこと言うな!」
「なに……?」
「その話はいいから……で、なんで泣いてる?」
子どもをあやす様に背中をポンポンと撫でられる。もう子どもじゃないのにと思う反面、陽の腕の中は酷く心地いい。
「何でもない、です」
何でもないと言いながらも、グズっと鼻が鳴る。陽の前じゃ感情が抑えられないから、逃げたのに。
だって、好きですなんて言ったら、陽が困る──。
「我慢すんなっつったろ? まあ、その強情なところも嫌いじゃねえけど」
「ほんとに、ちょっと目にゴミが入っただけで」
濡れた目元をシャツの袖で拭きながら、平気ですと引き攣った笑みを向ける。
「ふうん」
顎を持ち上げられて、本当かと瞳を覗き込まれる。ゴミなんか入っているわけはない。探る様な瞳がスッと細められたかと思えば、涙に濡れた目尻にキスが落とされた。
「陽さん……誰でも、こういうことするの?」
馬鹿みたいに期待してしまうから、触らないでほしいのに、触れられればやはり胸が高鳴る。
もっとして、俺だけを触って。そんな風に思ってるって叫びたくなる。
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