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第12話
「するわけねえだろ」
「恋人……好きな人、いるのに、こういうのダメだと思います……」
気持ちが浮きだち、小さな燈のような希望がポツポツと灯る。自分が陽の特別な存在だと思いたくなってしまう。
「はっ? 恋人なんていねえっつったろ?」
結婚はしないと言ったけれど、恋人がいないとは言っていないと言い返すと、陽は何とも複雑そうな表情をした。
「……田ノ上さんは?」
「何であいつと恋人にならなきゃなんねえんだよ、気持ち悪い」
気持ち悪いだなんて、さすがに田ノ上に失礼だと思うが、じゃあ一方的な田ノ上の片想いなのだろうか。
「いい加減、お前……鈍過ぎて呆れるぞ……」
金色の髪を邪魔くさそうにかきあげて、疲れを吐き出すように陽の口からは深いため息が溢れる。
「鈍いって、酷いです」
チュッと額にキスが落とされて、目尻へと頬へと陽の唇が移動する。唇を通り過ぎ、落胆していると熱い唇が睦月の首筋をなぞった。舌でペロリと舐められて、ゾクゾクと背筋に快感が走った。
「……っ」
思いもよらない刺激に、小さく声が漏れる。平静を装って何が鈍いんですかとジッと陽を見つめれば、微かに頬を染めた陽に見つめ返されながら告げられる。
「あのなぁ、俺はお前にしかしたくねえの、こういうこと……でも未成年だから、大人の理性で必死に我慢してんだよ。この間のは我慢効かなかったけど……あれは誘ったお前も悪い」
頭がグチャグチャでもう何もわからない。さっきからずっと頭の中には、期待してもいいとか、もしかしたらという言葉ばかりが巡る。
「もっと……俺にわかるように、言ってくださ……っ」
期待し過ぎて、涙がボロボロと溢れでる。
もうお願いだから、好きだと言って。
「お前が好きだって言ってんだよ」
「ふっ、え……」
「あーあ、涙と鼻水で顔ぶっさいくになってるぞ。ほら、チーンしろ」
ティッシュを鼻に押し当てられて、濡れた顔を拭われる。風邪をひいた葉月と同じ扱いに、つい口を尖らせる。
「子どもじゃないっ」
「子ども、じゃねえわな。俺が欲情するぐらいだから」
あっさりと告げられた言葉に、陽に触れられた夜を思い出し赤面する。あの時も、もしかしたら睦月をほしがってくれていたの、と。
「よっ、欲情って……」
「ほら、飯テーブル持ってくぞ。そろそろ葉月がお腹空いたって騒ぎ出すからな」
タイミングを狙っていたとしか思えないが、陽の言葉に葉月の部屋のドアがガチャリと開いて、田ノ上が顔を覗かせた。
「お腹空いた〜! 兄ちゃん、おいなりさん早く食べたいよ〜」
ほらと腕を引かれて立ち上がる。目尻に残った涙を袖でグイッと拭くと、手を洗って皿を用意した。
「今、用意するから座って」
どうしよう。好きだって言われた。後から後からくる喜びに心が満たされる。夢なんかじゃないかと、隣を見れば蕩けるような笑みを浮かべた間違いようのない男の姿。
「収まるところに収まって良かったなぁ」
陽と食器棚から皿を出して並べていると、カウンター越しに意味ありげにニヤニヤと口元を綻ばせた田ノ上が口を挟んでくる。
なんだか、飛んだ勘違いをしていたことを申し訳なくなった。
「薄気味悪い想像してたぞ、こいつは。充、お前なんか言ったか?」
「言うわけないでしょ。三十三のおっさんが、十七歳の少年に恋愛感情抱いてますとか言ってないし」
「おい……葉月の教育に悪いだろうが」
キョトンと首を傾げる葉月は、しっかりと両耳が田ノ上の手によって塞がれていた。
「たーちゃん、なにー?」
「ん〜? 早くご飯食べたいねって話」
「田ノ上さん。もうすぐ出来るので、箸持ってってもらっていいですか?」
「はいよ、じゃあ葉月も一緒にな」
「手伝いするー!」
まるで本当の親子のような会話に、クスッと笑いが溢れる。
「前から思ってたけど、田ノ上さんって子どもの扱い上手いですよね」
「そりゃそうだろ、あいつバツイチ子持ちだから。確か葉月と同じぐらいの男の子がいるぞ、まあ奥さんに引き取られてるから、あまり会えないみたいだけどな」
仕事も不規則だし、寂しい思いをさせてしまうかもしれないと考えたら、余計にね──そう言った田ノ上の言葉は自分に向けてのものだったのだろうか。
愛情を疑うなと言った田ノ上の想いがすんなりと心に落ちた。
「そうだったんですか」
「土日も昼夜も関係ないからな、出版社は。校了前なんか特に家に帰れない日が続くし。月に一度会えればいい方だろ」
「でも今日は、早く帰れてるのに」
正直葉月を構ってる暇があるなら、自分の息子に会いに行けばいいのにと思ってしまう。
「いや、今日も仕事で来てんだよ、ここに。今度あいつんとこの情報誌に連載で載せることになったからな」
いくら旧知の仲とはいえ、もう次の仕事も決まっているのに急な話だ。
「そうなんですか?」
「あいつには借りを作ったからな」
「借り?」
味噌汁をテーブルに運びながら聞くと、目の前に座った田ノ上も頷いた。
「これからまた仕事なんですか?」
葉月を子ども用の椅子に座らせて、最近練習中の箸と念のためフォークを用意する。
「そうそう、そこにいる浅黄大先生がうちの連載やっと引き受けてくれたからね。編集長に直々に頼まれてた話がようやく上手くいって、ホッとしながら仕事が出来るってもんだよ」
そういえば、いくつかの出版社から本を出している陽は、田ノ上のところは付き合いがないようだった。
「ずっと断ってたんですか?」
全員が席に着き、いただきますと手を合わせる。葉月の魚の骨を取ってやりながら聞くと、陽は気まずそうに視線を逸らす。
「まぁ陽は忙しいからね。しかもそこまで仕事ガツガツ入れたいわけじゃないでしょ、この人。三人で食べていけるだけの収入があればいいんだよ」
「でも、なんでじゃあ急に書くことになったんですか?」
何かきっかけでもあったのだろうかと、睦月が不思議に思っていると答えをくれたのはやはり田ノ上だった。陽は口を噤んだまま、黙々と箸を動かしている。
「睦月くんのバイトと交換条件だったの、うちの編集長そういうの逃さないからねぇ」
「え……」
「だって、面接もなければ突然履歴書だけ持って来てって感じだったでしょ? いくらアルバイトでも信用調査ぐらいはするからね、昨今。それなしで入れるのは余程のコネクションがあるってことだよ。君の場合は、それがこの人だっただけ」
確かに陽からお前のバイト決めて来たと言われて、その後すぐに田ノ上から会社に呼び出された。あいつんところなら大丈夫だろなんて、トントン拍子に話が進んでしまったのだ。
「俺、自分一人でバイト決められなそうなぐらい……頼りないですか?」
陽がしているのは、結婚相手を探すために見合い会場に乗り込む母親の行動と同じではないのかと、今更ながらに思う。
「そういうわけじゃねえよ」
「そ、陽はただやたらと過保護なだけ。それに、キミたちと過ごす時間をこれ以上減らしたくなかったんでしょ。もし睦月くんが無理して週何日もバイトに出たら、葉月くんも寂しがるし陽も寂しい。だから自分のコネをフルに使って、俺のところに話を持ちかけたんだろ」
「そうなんですか?」
「家族との時間を大切にして何が悪い」
今更だが、自分はこの人に実は凄く愛されてるんじゃないだろうかという実感が湧いてくる。
「陽ちゃんは家族だもんねぇ」
「そうそう、やっぱり家族は一緒にいないとな。ってことで、ご馳走さん。俺仕事戻るわ」
食べ終わった食器をキッチンへと運ぶ田ノ上を止めて、睦月が立ち上がる。少しでも早く終わって、子どもの顔を見に行くぐらいの時間が取れるといいのにと願ってしまう。
玄関先で靴べらを手渡し佇んでいると、田ノ上がフッと柔和な笑みを浮かべて睦月を見た。
「俺のこと何か聞いたでしょ? 睦月くんはほんとわかり易いね」
「え、あ……あの、すみません」
「いーえ、別に隠してる訳じゃないからいいよ。まあ、またこっちの家族にお邪魔させてよ。なかなか、本当の息子には会えないからさ」
ふと寂しげな笑みを向けられて、睦月は切なさに目を細めた。
「いつでも来てください」
彼への悋気は、すっかりと消え失せていた。
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