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第14話

 マンションに帰り、着替えようと学ランを部屋のハンガーに掛けたところで、杉崎から借りた体操服のことを思い出す。同時に、自分のワイシャツが誰かに盗まれてしまったことも。 (やっぱ、言わないとだよね……)  部屋着に着替え終わると、杉崎の体操服を手に洗面所へ向かうところで陽が部屋から出てきた。 「どうした、それ?」 「あ……杉崎に借りたから、洗おうと思って。あ、あの……陽さん、ちょっといいですか?」 「ああ……っていうか、今日プールだって言ってなかったか?」  部活に入っていない睦月が、プールの日に体操服を持って行くことはない。  睦月が持っている杉崎の名前が付いた体操服にいち早く気付き、借りたという言葉に違和感を覚える陽の目敏さはさすがだ。 「はい、あの……プール終わって更衣室戻ったら、シャツが失くなってて」  実は物が紛失するのは二度目だと話すと、陽の表情は険しさを増し、睦月の手に持っている体操服を睨みつけるように鋭い視線を投げられる。 「どうして、最初に失くなった時に言わなかった?」  責めている口調ではなかったが、忘れていただけにバツが悪い。 「気のせいかと思ってて、タオルだったし。持って行くのを忘れたのかなって。そのまま、忘れてました」 「その間も、他に失くなった物があるんじゃないのか?」 「いえ……他には気付かなかったです。でも……ただのイタズラとかじゃ……」  睦月の言葉に被せるように、陽は違うと緩く首を振った。その瞳は真剣そのもので、こんな時なのに見惚れてしまう。 「イタズラはネタばらしするから面白いんだろ? イジメだとしたら、本人にわかるようにゴミ箱に捨てるなりするさ。新しいシャツでもないのにただ盗んだなんて、どう考えたってお前に対して特別な感情を持ってる奴の仕業だ」  盗まれたとは敢えて言わなかったのに、陽は誰かがシャツを盗ったと考えている。 「特別な感情って、嫌われてる……んですかね?」 「それならいいがな。ま、良くはねえけど、俺と同じような気持ちでお前を見てる奴がいるって思うと胸糞悪いから、それよりはマシだな」 「えっ……え?」  荒地にも言われたがどうしても信じ難かった。だって、今まで告白されたこともなければ誰かと付き合ったこともないのだ。  だいぶ遅い初恋だとは思うが、本気で誰かが好きだと思ったのは陽が初めてだった。 「そんな、モテるタイプじゃないです。陽さんじゃあるまいし」 「自覚なしだからな……ったく」  ボソリと呟いた呆れ混じりの陽の声は、洗面所へと向かう睦月の耳には届かなかった。  翌日──。 「あれ……これ」  いつもと同じ時間の教室。自分の椅子を引いて、昨日失くなったはずのワイシャツが椅子の上に戻されていることに気付いた。  やはりどこかに落としていたんだと手に取る。きっちりとアイロンをかけていたはずのシャツはグシャグシャに丸まり皺が寄っていたが、違和感を覚えたのはそのすぐ後のことだった。 「……っ」  思わず手を離してしまい、前の席に座った荒地が振り返りどうしたと心配げな声色で聞いた。  シャツを持っていた睦月の手は、ベットリと粘着性のある液体で濡れていて、生臭いような臭いが立ち込める。 「なに……」 「睦月、それ……ちょっと貸せ」  白地のシャツ故に目視では気付かなかったが、よくよく目を凝らして見ると、ところどころに白濁とした液体が飛び散っている。ソレが何かなんて考えたくもない。  荒地が鞄から昼食を入れていたビニール袋を出し、すぐさま睦月のシャツをしまった。口を固く縛って、鞄の脇に置く。 「取り敢えず、手洗って来いよ」 「あ……う、うん」  恐怖に足が竦み、貧血を起こした時のように、頭がクラクラして立っているのがやっとだった。 「杉崎、付いて行ってやれよ」  荒地の言葉に、表情を固くした杉崎が立ち上がり黙ったまま睦月の腕を引いた。  杉崎に腕を取られて自分の手が震えていることを知る。クラスメイトが騒ぎ立てなかったことに安堵する。荒地がいち早く気付き、特に何を言うこともなく処理してくれたからだろう。 「大丈夫か。気分悪かったら、保健室行くか?」 「大丈夫……けど、ごめん。なんか怖くて……一人になりたくないかも」 「わかってる」  トイレで何度も石鹸をつけて手を洗う。鏡に写った自分の姿は、顔色を失くして青ざめていた。  犯人は男なのだろうか。シャツについた液体が何かはわからないが、もしかしたら男かもしれないという驚きよりも、陽が胸糞悪いと言った通りに、自分がそういう対象として見られていることに驚きを隠せない。 「なんで……? 俺、だって……男、だよ。そりゃそんな背高くないけどさ、最近は女子に間違われなくなったし、こんなっ……」 「前に言っただろ? お前が気付いてないだけだって……睦月は可愛いって一年の頃から先輩たちが噂してたし、本気で告ろうとしてた先輩もいたんだぜ? でも、休み時間は俺か荒地がそばにいたし、放課後は殆どが部活入ってるし、睦月帰るの早いからタイミングなかったみたいだけどな。そういうのは知らない方がいいかと思って言わなかった、ごめん」  そういった経緯があったために、陽とのことも驚かれなかったのか。 「杉崎が謝ることじゃないよ……でも、何でだろう、俺って狙われやすいのかな」  自嘲気味に笑えば、杉崎が違うよと首を振る。 「睦月は陽さんのこと綺麗、綺麗って言うけどさ……どちらかといえば、中性的で綺麗なのは睦月の方だろ? 可愛いっていうのもあるけど、肌も白いし……野郎が興味持つのもわかるっちゃわかるんだよ」 「そんなの、言われたことないし」 「毎日自分の姿鏡で見てんだから、わかってくれよ」  呆れ顔で呟く杉崎に、幾ばくか沈んでいた気分が浮上した。可愛いと言いながらも、杉崎は睦月を男友達として見てくれている。それが嬉しかった。 「杉崎は、自分を可愛いって思う?」 「はっ? 思うわけないだろ?」  んなこと思ってたら気持ち悪いわ、と返されて、自分で言ったくせにと笑いが漏れる。濡れた手をハンカチで拭いて、傾きかかった自分の気持ちが、心強い友人たちのおかげで落ち着きを取り戻した。 「なら、俺だって自分のこと可愛いなんて思うわけないでしょ」 「いや、お前は誰が見ても可愛いだろっ」 「付き合いたてのカップルみたいな会話してんなよ……これ以上エスカレートすんならやべえぞ。この間のこと、陽さんには言ったのか?」  トイレに追いかけて来た荒地に突っ込まれて、確かにと押し黙る。可愛い可愛くない話をしている場合ではなかった。いつもの定位置、睦月を挟むようにして荒地と杉崎が並びながら廊下を歩き教室へと戻る。  気にしたことはなかったけれど、もしかしてそうやって常日頃から彼らなりに守ってくれていたのかもしれない。 「うん……なんか、怒ってた」 「そりゃ、そうだろ。帰り迎えにとか来てくんねえの?」  睦月が怖いと言えば、陽ならば迎えに来てくれるだろうが。 「また、迷惑かけるとか思ってんなよ。何かあってからじゃ遅いだろ。葉月と一緒にいる時にそいつに襲われでもしたらどうすんだよ」  襲われる、という荒地の言葉は妙に現実味を帯びていて、背筋を冷たい汗が流れ落ちる。  もしも葉月に何かあったらと考えたら、どうしようもなく怖くなった。 「俺らが一緒に帰れればいいけど、殆ど毎日部活だしな」 「大丈夫だよ。何かあったら警察に電話かけるなりするし、人通りの多い場所歩くようにするから、二人ともありがと」 「何かあったら、絶対言えよ?」  荒地から伝えられた言葉に、もう一度ありがとうと礼を言った。

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