21 / 24

第21話

 目を覚ますと、まるで金槌で打たれたように腰が痛む。  どうしてなんて理由を探したのも一瞬で、隣で眠る陽の姿を見た瞬間、昨夜の濃密な時間が蘇った。 「結構……痛い……」  思わず声に出てしまったものの、いつもの時間に目が覚めたのは運が良かったとしか言えない。まだ窓の外は薄暗く、カーテンの隙間から入ってくる僅かな朝の日射しで室内が照らされている。  隣に眠る美しい顔の男に見惚れ、熱くなりそうな身体を、フルフルと小さく首を振ることで誤魔化した。  腰に鈍痛を感じながら、そっと床に足を下ろす。きちんとパジャマを着込んでいるし、身体に不快さはない。眠ってしまった後に身体を拭き、陽が着せてくれたのだろう。  陽を起こさないように音を立てないようにドアを開けて廊下へと出る。  寝不足ではない。むしろいつもより頭はスッキリしていた。 「よし。ご飯、作りますか」  エプロンを巻いて、炊飯器のスイッチを入れる。雑穀米とブレンドして炊くと、香りがよくて陽が好きだと言っていた。  別に相手にばかり合わせている訳ではない。ただ、好きな人が好きだと言ってくれるものを作りたいと思ってしまうだけだ。  いつものようにテキパキとは動けなかったけれど、なんとか洗濯と朝食を作り終える。  葉月を起こしに行こうとリビングを出ると、陽が部屋から出てくるところだった。 「おはよ、ございます」 「おはよう。よく起きれたな……今日、朝学校まで送ってくから無理すんなよ?」  痛めた腰を気遣われるのは、何だかいたたまれない。同時に本能のままに乱れてしまったことを思い出し羞恥心に襲われる。 「今更だろ? なに赤くなってんだよ」 「だ、だってっ」 「言ったよな? 愛してるって。もう不安になんてなるなよ」  廊下の壁に身体を押しつけられて、唇が塞がれる。睦月の手が陽の背中に回されると、キスは深まっていく。 「んっ……はぁ」  一度快感を知ってしまえば抑えられなくなる。もっとと貪欲に次を欲しがってしまう。 「兄ちゃんと陽ちゃん、仲良し? チューしてるの?」  いつからそこにいたのか、葉月の声が廊下に響く。二人同時にパッと身体を離し、珍しくも陽が焦った顔を見せた。 「……そう、仲良しの相手だけな。ほら、葉月もおはよう」  元々、頬や額にキスをすることは珍しくなかったから助かった。陽が葉月の頬にキスするのを見つめながら、睦月も葉月の髪をかき上げ額にキスを送る。 「おはよ、葉月。自分で起きれて偉いね」 「兄ちゃん、元気になった?」  心配気な顔付きで、葉月が口を開いた。昨夜あからさまに気鬱げな表情をしていた睦月を心配してくれていたのだろう。 「優しいね、葉月は。兄ちゃんもう元気になったよ」  葉月を抱き上げようとして、腰に鈍い痛みが走る。 「……っ、た」 「にいちゃ? だいじょうぶ」  腰を摩りながら廊下の壁に手をつく様子に、葉月が心配そうに眉を下げる。どうしていいかわからないとおろおろする葉月を抱き上げた陽が、大丈夫だと声をかけた。 「ちょっと運動し過ぎただけだ。明日には元気になってるから、心配すんな。ま、でもこれから頻繁に兄ちゃん身体痛くなるかもしれないから、そうしたら葉月お手伝いいっぱいできるか?」  よしよしと葉月の頭を撫でながら、陽が告げる。 「はっ? ちょ……陽さん! 葉月になんてこと」 「ん? 家族が仲良いのはいいことだろ?」  結んだままの唇に微かに笑いを滲ませながら、この人は睦月をどこまでも魅了する。 「仲良しだもんね」  ね〜と顔を見合わせて言う二人は、どこからどう見ても親子そのものだったけれど、どうしたもんかと睦月は痛む腰をもう一度摩った。  葉月を保育園へ送り、陽の車は駐車場へと入っていった。  そのまま陽は帰るのかと思いきや、睦月と一緒に陽も車を降りた。  昨夜、睦月も校長に呼ばれるかもしれないと言っていたから、その件だろうか。 「陽さん、何しに行くの?」 「んな不安そうな顔すんな。警察からの確認があるから保護者として立ちあうだけだ」  校内を陽と隣り合って歩くのは不思議な気分だ。  通り過ぎる生徒たちがハッと驚きの目を向けた後振り返る。陽は向けられる視線を気にも留めない。  陽はどんな高校生だったのだろう。  きっと相当モテたんだろうな、と陽の過去の恋愛を聞きたいような聞きたくないような、複雑な気分だ。  それを聞きたくても、聞ける両親がいないのは寂しいことだが、そもそも両親が生きていたら陽と一緒に暮らすこともなかったのだ。 「聞いてるか?」 「えっ?」  コツンと頭を小突かれて現実に戻る。  目の前には怒ったわけではないだろうが、真面目な話を聞いていなかった睦月を咎めるような視線を向けられて、ごめんなさいと素直に謝った。 「あの……不安とかじゃなくて。むしろ犯人捕まったしスッキリしてるっていうか。ただ、こうして学校をいっしょに歩いたことなかったから、陽さんはどんな高校生だったのかなとか考えちゃって」  しどろもどろになりながら説明すると、そりゃそうだなと言葉が返される。遠くを見るような瞳は昔を思い出しているんだろうか。 「あの男のことで悩んでるんじゃなければ別にいい。まあ、俺の高校時代なんか、それこそ健吾のアルバムとか見りゃ一発だろ」 「あ、そっか」  二人の遺品はもちろん取ってあったが、両親の中学、高校のアルバムを開くことはなかった。睦月の中学時代は葉月の子育てに追われていたし、高校に入ってからは自分が頑張らないとという思いで、過去を思い出したら立ち上がれなくなるような気がしていたのだ。 「でも、正直……こうしてお前と歩いてると、健吾が隣にいるような気がする。お前は、健吾の高校時代にそっくりだよ。顔も性格も……健吾をより美人にした感じだな」  遠い日の記憶を辿るように、陽が空を見上げた。  その瞬間。ああ、もしかしたら──と気づいてしまった。  五年前に陽が書いた〝幸せの温度〟あれは、あの主人公は。  そして彼が愛した人は──。  でも、言葉にするのは躊躇われた。過去がどうだろうが二人は帰ってくることはないし、愛し合い睦月と葉月が産まれたことに間違いはないのだ。  別にいい。陽が過去の恋愛の代わりに睦月を愛してくれているわけではないと信じられるから。 「陽さんにとって、父さんと母さんは……大事な人だったんだね」 「そうだな」  ほら行くぞと背中を押され、職員室に行くという陽とは昇降口で別れた。  その後二時間目の授業の後に校長室へ呼ばれていくと、数名の警察官と陽が物々しい雰囲気で座っていた。  話を聞くと、八田が売っていた睦月の写真を購入したことがきっかけで、どうしても本物の睦月に触りたくなったと犯人は供述しているらしい。  たびたび仕事を休み学校に忍び込んでは、睦月の写真を隠し撮りしたり、私物を盗んだりしていた、ということだ。警察に見せられた写真の中には、睦月の失くしたタオルもあった。  陽が警察に提出した制服は鑑定待ちだが、ほぼ男の体液で間違いないらしい。  誰とは教えてはもらえなかったが、実はほかにも私物を盗まれた生徒がいるらしく、八田の処分は軽くは済まなそうだ。  同情は出来ない。確かに進学校である桜坂高校において、八田がこのまま何のお咎めもなく学校に居続ける方が難しいだろう。  むしろ睦月が無事だったから、この程度で済んでいるのだ。  その日は授業にも身が入らず、校内は落ち着かない様子だった。  六限目が終わり、部活へ向かう荒地と杉崎を見送って、睦月は校門へと向かった。  校門前に白の車が停まっていて、車から降りた陽がガードレールに腰掛け下校中の生徒からの注目を集めて立っている。 「陽さんっ、目立ってます!」 「お帰り、睦月」  スマートな仕草で助手席のドアを開ける陽に、複雑な気持ちが芽生える。  普段は家からあまり出ない仕事をしているため、そう人目に触れることはないが、そもそも陽は目立つ容貌をしている。  金色の髪にしても、日本人とは思えないほどの目鼻立ちの整った顔にしてもだ。  まだ恋人になって日が浅い睦月にとっては、優越感を覚えるより前に気持ちが落ち着かなくなる方が大きい。  たくさんの女子生徒に熱のこもった視線を送られる陽に、ジリジリと焼けるような胸の痛みを感じる。  車に乗り込んだ睦月は、ふてくされた気分で窓の外に視線を向けた。 「どうした?」 「何でもないです……」  どうしてこんなかっこいい人が、睦月を好きでいてくれるのか。好きになって、両想いでそれだけで満足していたはずなのに、どんどん欲張りになってしまう。  陽がフッと笑いを溢す。きっと、この男は自分が周りからどう見られているかもわかっているのだ。睦月が嫉妬しているのも気づいているに違いない。 「何で笑うんですか?」 「いや、だいぶ我儘になったなって嬉しいだけだ。あんまり手がかからないのも可愛くねえんだぞ?」  尖らせた唇をキュッと抓まれる。可愛くないと言われて気持ちが揺れた。 「我儘なんて……言ってないです」 「お前はすぐ顔に出るからわかりやすいんだよ。外見しか見てない女子高生に嫉妬してくれるなら、毎日でも迎えに来るのも悪くないかもな」  プニプニと膨れた頬を指で押されて、口の中に入っていた空気が抜けた。  考えていたことを言い当てられて、ますますいたたまれない。  もっと素直に甘えたい気持ちはもちろんある。けれど、俺だけを見ててなんて赤ちゃん返りした子どもみたいだ。 「迷惑かけないようにって、お前は遠慮ばっかりだったからな。もっと我儘になれ、自分のしたいことをちゃんと口に出して言えばいい」 「したいこと……」  そういえば、進路のことも相談しなければならなかった。陽の手伝いが出来るような職につきたい。出来れば……大学に行きたいと。

ともだちにシェアしよう!