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Fly me to the Moon:07:夜のオフィス

   ◇◇◇ ◇◇◇  あれは何だったんだろう……。湯島君、全然違う人みたいだった……。見間違いだろうか……。  後片付けを済ませ、社に戻る。営業企画部のフロアは真っ暗だ。日曜日な上にバレンタインで、しかももう9時を回っている。イベントのサポートメンバーも、もう帰ってしまったのだろう。  今日の売り上げは店舗から後日詳細が回ってくることになっている。報告書の提出は明日で良いだろう。瀬川はイベント用具を片付けて、細かい仕事を済ませてから、自分の席に座ってひと息ついた。  ふと、先程湯島から貰ったショップバックを手に取る。ハンズのショップバックの中には、一回り小さな、別の店のショップバックが入っていた。高そうな紙袋だ。厚めのつるつるの紙に、箔押しでよく分からない横文字が並んでいる。店の名前だろが、こういう物に疎い瀬川には、何という店なのか判別ができなかった。  その高そうなショップバックの中には小さな箱と、ショップカードが一枚入っていた。このショップのカードだろう。どうせ名前は判別できないからとそのカードは気に留めず、小さな箱の方を開く。  中には、小さくて宝石のような、美しいチョコレートが4粒入っていた。 「うわ、何か高そうなチョコだな……」  1つ摘んで口に入れる。ふわりと口の中に、チョコレートの甘みと苦み、それから薔薇の香りが広がった。 「うわ…。うっま~。何だこれ。薔薇の香りのお菓子って、口の中が香水くさくなるのに、これちっともそんな感じしないな……。こっちは?」  次に口にしたのは、コーヒーリキュール入りのトリュフだ。甘い物が苦手な人でも楽しめるような味だった。男性に好まれる味なのだろう。 「そっか……今日、バレンタインだもんな……」  そうだ。今日はバレンタインだ。湯島君、何やってんだよ。バレンタインだってのにわざわざうちのイベントに来て、女子に混じってチョコモチーフのストラップなんか作って。わざわざ300円も払わなくたって、いくらでもあんなの作れるだろう?それにこんな高そうなチョコ……。  そこまで考えて、瀬川はガバリと姿勢を正した。  まさか……おいおい、嘘だろう……?  頬が、赤くなるのを感じた。  まさかこれ、そういうチョコだなんてことはないよな?俺と湯島君の付き合いがどんだけになると思ってんだよ。もしそういうチョコのつもりなら、もっと他に言うべき時があっただろう……?  そう思いながら、何故か瀬川の胸は早鐘のように鳴り始めた。  ってゆーか俺は何でドキドキしてんだよ!男からチョコ貰ったんだぞ!?もっとこう……もっと何か、他にあるだろう!?キモイとか、勘弁してくれとか……なのになんで俺はちょっとときめいてるんだよ!?ってゆーかときめいてんのか、俺は!?ひ~、それこそ勘弁してくれよ……!!  瀬川は2粒残ったチョコを見つめた。きっと、残りのチョコもすばらしく美味しいに違いない。多分、多くの女性がいわゆる本命チョコとして贈呈するチョコなのだろう。そんな本気度の見えるチョコだった。 「~~~~~~!!」  瀬川はショップバックをひっくり返した。手紙とか、このチョコがどんなチョコなのかを表すような物は入っていないのか!?  しかしひっくり返しても、出てきたのは先程のショップカード1枚だけだった。 「くそ…っ!これだけかよ!」  ショップカードを掴んで見つめる。ショッパーとは色合いも雰囲気も全く違うカードだ。そこに何か書き付けなどがないかと目を通し…… 「!」  今度こそ、瀬川は目を丸くした。だって、そこに書いてあるのは自分のよく知った店名と住所だったのだから。  瀬川はしばらくそのカードを睨みつけていたが、おもむろに残ったチョコレートの1つを口に入れた。ミントリキュールの爽やかな香りが口の中に広がる。それを全て口の中で溶かしてから、最後のチョコを口に入れた。プレーンのトリュフだ。甘すぎず、苦すぎず、滑らかな心地良さが口の中で蕩ける。極上のチョコ、というのを、初めて食べた。今までに、こんなチョコをくれた人はいない。  チョコレートが完全に口の中から消えて無くなると、瀬川は勢いよく立ち上がった。 「くそ、湯島!テメェ、こんな日にこんな真似しやがって……!」  そう叫ぶと、瀬川はフロアの電気を消して外に飛び出した。  湯島が何を考えているのか分からないけど、奴が自分を呼んでいることだけは分かった。  分からないというのなら自分の気持ちも分からないが、それでもこんなことをされたら、自分は行かなければならないでなはいか!!    ◇◇◇ ◇◇◇

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