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Fly me to the Moon:09-1:Fly me to the moon

  ◇◇◇ ◇◇◇  外に出た湯島は、瀬川の腰を抱いたまま、Satin Dollの入っているビルのエレベーターに足を向けた。な、なんでいきなりこんなエレベーター!?訳が分からない瀬川は一瞬途惑って湯島を見上げる。  「行くぞ」とは言ったが、どこに行くかも、外に出てどうするかも、瀬川は何も考えていなかったのだ。  だが、湯島は違うらしい。瀬川をエレベーターに乗せるなり、迷わず4階のボタンを押している。 「え?湯島君、どこ行くの!?」 「僕のうち、ここなんです」 「え?あ、そうなの!?」  そのまま、4階にある湯島の部屋に押し込まれた。いや、他に言い方があるのかもしれないが、腰を抱かれたまま有無を言わさず玄関のドアをくぐらされたのだから、押し込まれたというのが瀬川の正直な気持ちだ。 「ちょと!強引すぎないか!?」 「だって瀬川さんが行こうって言ったんじゃないですか」 「そうじゃなくて、今日のやり方がだよ!」 「すいません。瀬川さん、ピアノ弾いてるのが僕だって気づいているくせに、いつまでたっても何にも言ってくれないから、ちょっと焦ってたのかもしれません」  湯島が素直にそう謝ると、瀬川は顔を赤らめた。 「……ごめん」 「いえ…」  湯島の部屋は几帳面に整っていて、いかにも湯島の部屋らしかった。縦の物は縦に、横の物は横に、全ての物がきちんと置かれている。 「えっと……いくつか訊いて良い?」 「はい」  瀬川が勧められるままにソファに座ると、湯島が「ビールで良いですか?」と缶ビールを渡してくれた。 「何であそこでピアノ弾いてるの?」 「うちにはピアノがないからです」  まじめな顔で理由にならないようなことを言う湯島に、瀬川は何をどう突っ込んで良いのかと顔を顰める。そうだ。こういう物言いをする男だ。くそ、この理系男子め!! 「……もう少し詳しく話してもらっても良い?じゃあ、どういう経緯であそこでピアノを弾くようになったの?」 「マスターとは部屋が隣なんです。奥さんが出て行って暇そうにしていたから、休みの日にちょっと弾いても良いかと訊いてみたら、マスターが僕のピアノを気に入ってくれて。これから好きなだけ店で弾いてくれと言われたので、気分転換に弾かせてもらってました。ピアノを弾けば、酒代はただにしてくれると言われましたし」  なるほど。やっと理由が分かった。湯島の話は時々とても端的すぎて、聞きたいことを聞き出すためにはちょっとしたコツがいる。 「じゃあどうして変装してたの?」  だが、その問いに、湯島は心外な顔をした。 「変装なんてしてません」 「してるだろ!?眼鏡だってしてないし!」  これが変装でなくてなんだというのだ。明るいところで見ても、今の湯島は会社で見る湯島とはまるで別人だ。 「ピアノを弾くときに眼鏡だと、眼鏡が邪魔くさくて。だからピアノを弾くときは、僕はコンタクト派です」 「じゃあ会社でもコンタクトしろよ!かっこいいから!」  何もわざわざあんなだっさい分厚い眼鏡をかけなくても良いではないか。そう言うと、湯島は蕩けるような笑顔を見せた。 「かっこいいですか?ありがとうございます。でもコンタクトして細かい作業をすると、目が疲れて頭が痛くなるんです」 「じゃあその髪は!?髪型も全然違うじゃん!」 「作業中は髪が邪魔になるので、ピンで留めているんです」 「でも良い匂いするし!」 「会社から帰ってくると溶液の匂いが染みついてるんで、シャワーを浴びてから店に行くだけです」  何を言ってもぱんぱんと言い返され、瀬川は少しだけ顔を顰めた。  どうしよう。湯島君とは長い付き合いなのに、宇宙人と喋ってるみたいな気がする……。 「あの、僕の方からも良いですか?」 「な…何?」  攻守交代のようだ。湯島は瀬川の隣に座ると、瀬川に向き直った。距離が近い。瀬川の肩に、湯島の胸がぶつかる。  その胸の厚さと熱さに、今湯島君の部屋で2人きりでこんな話をしているのだと思い知らされて、なんだかドキドキした。

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