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Ju te Veux:01-2:パスタ屋さん

 湯島は、焦らすのが巧い。  彼が“ピアノの人”だと互いに言い出せない時期は、ずいぶんと長かった。あれはよく分からない、彼なりの判断基準でもたらされた、“焦らし作戦”だったのではないかと、今では思っている。  そうして、ここにきて「電子ピアノを買おうと思っている」宣言である。 「えっと…よく分からないんだけど、電子ピアノってアップライトみたいな?」 「ええ、そのタイプの物を買おうかと。ランクや種類は色々ありますが、結構弾き応えのある物もあるんですよ」 「そうなんだ……」 「それに」  湯島は瀬川の瞳に向かって、ふわりと微笑んだ。 「いつでもピアノをお聴かせできますと言えば、瀬川さんが毎日うちに遊びに来てくれるかもしれないでしょう?」  会社を出るときに、湯島はいつも前髪を留めているピンを外していた。前髪を整えただけで、湯島の男前度はグッと上がる。そんな男前な湯島にそうやって微笑まれると、瀬川はなんだかドキドキしてしまうのだ。  ううう、男前って、ホントに得だ……。 「……湯島君は、いつもSatin Dollだとジャズを弾いてるけど、他の曲も弾くのか……?」 「弾きますよ?クラシックも多少は弾きますし、ボサノバとかシャンソンとか、映画音楽なんかも。その時良いなと思った曲は耳コピで弾いたりしますね」  ボサノバやシャンソンか……。なんとなく、湯島君には合っているような気がする。瀬川はジャズが好きだが、ボサノバや、スパニッシュも好きだ。ひょっとして頼んだら弾いてくれるだろうか。 「なぁ、耳コピってことは、楽譜がなくても弾けるのか?」 「ええ。僕、子供の頃に少しだけピアノを習ったんですが、小4で塾に入る時点で教室はやめさせられてしまって……。だから、その後は全くの独学なんです。Satin Dollで弾いてる曲も、ほぼ耳コピで覚えました」  その言葉に、瀬川は素直に感嘆の溜息をこぼした。あの素晴らしいピアノが、耳コピだなんて。色々なレコードを聞いたり、プロの演奏を聞きに行ったりもしたが、彼のピアノはそれらと全く遜色がないのに。 「……それもすごい才能だなぁ……」 「いえ、基礎がなっていないので、お恥ずかしい限りなんですが」  謙遜しているのか本気なのか、湯島は本当に恥ずかしそうに目を細めた。瀬川はピアノを弾けないが、もし自分がピアノを弾くのなら、「嫌味か」と言ってやりたくなっただろう。だが、湯島にそんな意図がないことは分かっている。彼は素でそう言っているのだ。  ジャズピアニストの奥さんを持っていたSatin Dollのマスターから惚れ込まれていることや、彼のピアノ目当てに店に通う常連客のことは、多分頭にないのだろう。湯島君らしいといえば湯島君らしいが、少々歯痒い。 「瀬川さんがお好きな曲を教えていただければ、僕、勉強しておきます。電子ピアノですから、音はSatin Dollのグランドには劣りますが、頑張って弾きますので」  湯島がご主人様のコマンドを待つワンコのような目で自分を見つめている。綺麗で、上品で、ピアノが巧くて、その上ワンコ。ああ、いるな。アフガンハウンドとか、サルーキー?なんだかああいうエレガントな大型犬が目の前に座っているみたいだ。  そう思ったら、瀬川は口元がにやつくのを止められなくなった。 「瀬川さん?」 「あ、ごめん。うん、じゃあ電子ピアノ、楽しみにしてるよ」 「はい」  ご主人様に褒められた大型ワンコが、目の前で嬉しそうにしっぽを振っている。瀬川は良し良しと頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、ここが人目のあるレストランであることを思い出して、なんとかその衝動を抑えつけた。    ◇◇◇ ◇◇◇

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