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Ju te Veux:03:Satin Doll
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瀬川の心配通り、Satin Dollに着いたのは夜8時半を過ぎてからだった。ホワイトデーだというのに、いつもより少し遅くなってしまった。店に入ると湯島のピアノが流れてくる。曲はホワイトデーらしく、恋の苦みと、それでもなおありあまる歓びを歌った、「But Beautiful」だ。
湯島のピアノに包まれながら店に入ると、カウンター席から声がかかった。
「瀬川さん、おそーい」
「もう、湯島さんお待ちかねだよ~!」
いつもなら、こんな風に声を掛け合うような雰囲気の店ではない。だが、今日は湯島にずっとご執心だった女性客……内田が、友達と一緒にニヤニヤと笑いながら声をかけてきた。……ひょっとしたら、もうずいぶん出来上がっているのかもしれない。
「マスター、ほら、ホワイトデーにご来店のカップルのお客様には、オリジナルのカクテルをプレゼントでしょ!」
「も…、内田さん、やめて下さいよ……」
瀬川が止めようとしても、内田はさっさとマスターにカクテルを出すように促している。マスターの方も、瀬川の顔を見るなりカクテルの準備を始めていたようだ。
「どうぞ、瀬川さん」
差し出されたカクテルは、底にカシスの赤を沈めて、その上にゴディバのホワイトチョコレートリキュールにジンクラッシュドアイスをシェイクした物を重ね、ミントの葉をあしらうという、いかにもホワイトデーらしいオリジナルカクテルだ。
カウンターに座る常連の視線が自分に集まって、瀬川は居心地の悪い思いでそのカクテルに口を付けた。いつの間にか「But Beautiful」が弾き終わって、店内が静かなのが余計に居たたまれない。
「ほら、湯島さん!こういうときはサティのJe Te Veuxくらい弾かないと!」
Je Te Veux……“あなたが欲しい”とはまた、ずいぶんストレートな事を言う。
だが湯島は小さく苦笑すると、Je Te Veuxをジャズアレンジにして弾き始めた。これにはさすがに店中から「ひゅ~」と冷やかしの声が上がる。
「も……!!そーゆーことされるともうこの店来れなくなるから!!」
瀬川が恥ずかしさのあまり真っ赤な顔で叫ぶと、負けじと内田も叫んだ。
「バレンタインにあんなシーンを見せつけられたんだから、ホワイトデーにはこの位するわよ!何よ、リア充のクセに!ほら湯島さん、ピアノ弾いてる暇があったら、もうとっとと瀬川さんを連れてって、魂の交換でも何でもしてきなさいよ!」
Je Te Veuxの歌詞を捉えて内田がそう言うと、湯島は笑顔で弾ききってから、「それでは遠慮なく」と立ち上がった。
「内田さんが怖いから、行きましょうか、瀬川さん」
「はいはい。あ~、あっつい!マスター、暖房効き過ぎなんじゃないの?」
そんな内田の声に押し出されるようにして、2人は店を追い出された。
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