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廊下の窓を全開にして、はな六はそこに布団を干した。五年もの長い眠りから目覚めて一週間。晩秋のよく晴れた肌寒い朝である。 長い眠りの間に、はな六の個室は埃っぽくなってしまっていた。だが毎日サボらずに掃除をしたおかげで、すっかりきれいになった。 (これで、ベッドのカーテンや天蓋も交換出来たら、もっといいんだけどなぁ) だが、近いうちにこの店を出るはな六に、そこまでしてやる義理はない。はな六は狭くて急な階段を降りた。一階では、お婆さんが帳場の横に折り畳みの椅子とテーブルを出して、近所の老婆達と茶飲み話に花を咲かせていた。はな六は挨拶をして帳場に上がり、急須に電気ポットからお湯を注いで、老婆達の湯呑みにお茶をついで回った。 はな六が目覚めた翌日、老婆達は口々にはな六をからかったものだが、今ではまるではな六のいなかった五年間などなかったかのように、昔通りに振る舞っている。セクサロイドのはな六にとって、五年間という月日など短いが、老婆達にもそれはあってなきような歳月らしい。だが、歳を取るに任せている老婆達は、五年の間により身体が小さく縮み、背中がいっそう丸くなった。 老婆達がこうして集まる午前中の一時が、この店が一日で最も"お茶屋さん"っぽい時間帯だ。この店は一応喫茶店として登録されている。だが、この店には客にお茶を提供する設備などはないのだ。こうして近所の年寄り達に茶を振る舞うのは仕事ではなく、プライベートでしているだけのこと。夜に訪れる客達は、帳場横の冷蔵庫から、瓶詰めのコーラやオレンジジュースを買えるくらい。この"お茶屋"は、一階で瓶詰めのコーラを飲みながら意気投合した客と店の従業員が、二階に上がって"自由恋愛"をするというコンセプトの店なのだ。だがはな六はというと、毎晩自分のベッドの上に鎖で繋がれたまま、客が来るのをただ待っている。客は、店のショーウインドーに飾られた二体のマネキンを見て、この店の実態をセクサロイドを格安で抱く為の店と知り、二階へと上がって来る。以前ははな六の他にも何人かのセクサロイドがこの店に勤めていたが、はな六が寝ている間に皆辞めてしまい、現在の従業員ははな六ただ一人だけだ。 はな六は老婆達の脇をすり抜け、裏通りへと出た。裏通りは相変わらずの掃溜めっぷりで、道のあちこちにゴミくずが転がり、吐瀉物の染みがついていた。通りにはお婆さんの店と同じような店がひしめき合うように軒を連ねている。それらの店がお婆さんの店と違うのは、ショーウインドーに何もかざられていない点だ。そこには夜になると赤い光が灯され、人間やアンドロイドが立って客を引く。この通り一帯が、そういう界隈なのだ。 はな六は表通りに出た。以前は"壁外"に出ないと無かったコンビニが、今は歩いて三分もしない所に営業している。はな六はコンビニで水を買うために出てきたのだ。 表通りには、昔は沢山の"小料理屋"や"お茶屋"があったが、それらは軒並み潰れ、建物は改装されて、流行りの服屋や雑貨屋や美容院など、新しいテナントが入っていた。本物の喫茶店(カフェ)もあった。そのためにこんな昼間から、大勢の観光客が往来している。実に健全な昼の街の風景だった。十年経てば山河も変わるというが、街などは五年もあればこんなにも跡形なく変わってしまうのだろう。こうして、"夜のテーマパーク"の異名を持つ、百五十年以上も続いた由緒ある歓楽街は、中心部から、明るく楽しく滅びつつある。 雑居ビルのひしめく合間から、遠くに高層ビル群が見えた。昔は高い壁に阻まれて見えなかった風景だ。外界と花街を隔てる壁は、はな六が寝ていた間にすっかり取り払われていた。 この数日、店はずっと暇だった。だから夕方になっても、はな六は仕事の準備もせずに、ベッドに寝転んで携帯端末でゲームをしていた。ただオンラインで対人戦の出来るというだけの囲碁ゲームだった。はな六にとって、セックス以外に暇潰しにすることといったら、囲碁しかなかった。だが暇が潰れるというだけであって、碁が好きという訳ではない。むしろうっすら嫌いですらあった。 碁を打つのに飽きて、はな六は出会い系アプリを開いた。もしも今夜も客が来なかったら、性欲解消の為の相手を探しに、外へ出なくてはならない。相手探しをしていると、チャットアプリからの通知が表示された。"サイトウ"からだ。 サイトウとは、先週来たあの骸骨かミイラみたいな風貌の客だ。サイトウははな六を運命の相手だと一方的に決めつけ、五百万円ではな六をお婆さんから買ったという。だが、現在はアンドロイドの売買は人間の売買と同様に、法律で禁止されている。五百万は、補償金という名目でお婆さんに支払われた。はな六が仕事を辞めた後の、お婆さんの生活を補償するための500万、という訳だ。それが合法なのかどうか、はな六は知らない。お婆さんは、はな六がサイトウの元について行くかどうかははな六自身が決めればいいと言った。何故なら契約はお婆さんとサイトウが結んだものであって、はな六には関係無いのだからと。サイトウが無理矢理はな六を連れ去ろうとしようものなら、すぐに警察に通報してやるから、とお婆さんは言った。 妙なトラブルに巻き込まれるのは御免なので、はな六はサイトウの住み処近くにでもとりあえず引っ越して、新しい仕事に就き、生活を安定させたうえで、サイトウとは付かず離れずの付き合いが出来ないかと考えた。幸いにも、サイトウの住まいはワコーシティーにあるという。首都(メトロポリス)に電車で三十分足らずで出られる街だ。首都になら、はな六向きの仕事がきっとあるだろう。そう考えると、サイトウの近所に住むことは、悪くないアイデアだとはな六には思えた。 はな六は、可愛らしい女の子のような幼顔以外は、人間の成人男性を模した、精巧な造りのアンドロイドであるが、種別がセクサロイドであり、しかもセクサロイドの中でもかなり特殊な部類なので、普通の人間がするような仕事をすることが、出来ないのだ。 十九年ほど前、主人を亡くして自活しなければならなくなったはな六は、数々の職を転々とした。どこへ行っても、特殊なセクサロイドとしての性質が災いし、クビになった。というのも、職場の同僚や客の男性達に、つい性的な意味で反応してしまったからだ。仕事中なのに、魅力的な男性の匂いを嗅ぎ当てると、「おれとセックスしてください!」という一言がうっかり口をついて出てしまうし、どんなに頑張って性欲を我慢しても、ズボンの股間がびしょびしょに濡れた。それでだらしのない奴と思われたり、気味悪がられた末に、クビを切られてしまったのだった。 職を得られず困窮したはな六は、アンドロイド保護施設に入るも、やはり性的なトラブルを起こして退去させられた。それからしばらくは、夜な夜な繁華街を徘徊しては一晩泊めてくれる相手を探さなければならなかった。そうして、ある時仲良くなったホームレスから"夜のテーマパーク"の異名を持つ歓楽街の話を聞いて、はな六はほうほうの体でこの街まで流れて来たのだ。 当時は、アンドロイド保護条約が締結され、世界中のアンドロイド達が人間の支配から解放されて間もない頃で、世間はアンドロイドに関わることに、ただでさえ及び腰だった。どんな対応をすればアンドロイドに対して差別やハラスメントになるのか、人々は分からなかったのだ。ことに夜の商売を営む者達は、アンドロイドを敬遠した。だがこの"夜のテーマパーク"はそんな御時世でも相も変わらずの無法地帯で、アンドロイド保護条約など何のその、当たり前のようにアンドロイドを売り買いし、違法な仕事に就かせていたのだった。だが、そんな劣悪な環境に、はな六はかえって助けられた。 現在では、世間のアンドロイド恐怖症はすっかり鎮静化したようで、そのために、アンドロイドが夜の仕事に戻って来つつあるようだ。はな六がナイトワークの求人を検索してみたところ、メトロポリスにはその種の求人がふんだんにあった。少なくとも上京すれば、生活に困ることは無さそうだ。 はな六はサイトウからのメッセージを全て読まずに、通知を既読にした。サイトウのことを思うと、不思議と腹の奥がしくしく痛んだ。はな六は指先で唇に触れた。サイトウからの口付けで、じんわりと心地よく痺れたそこを、そっとなぞった。 それからすごすごと携帯端末をキャビネットに仕舞い、服を脱いで、自分で自分の足首に、手首に、枷をはめた。 ほどなくして最初の客が入室してきた。中肉中背の男だった。男は一言も口を利かず、ズボンと下着だけ脱ぎ、性器にコンドームを被せ、はな六の中にローションを注ぐと、はな六を淡々と犯し始めた。はな六は行為の間中、サイトウのことを思っていた。この一週間毎晩、どの客との行為中にもサイトウの事を思った。そうすると、どんなに乱暴にされても痛みは遠退き、快感の海にずぶずぶと溺れていられるのだった。 「あ……あぁ……ぁ……!」 はな六が喘ぐと、相手は一層荒々しく腰を打ち付けてきた。そして射精すると、はな六の上にぐったりと覆い被さり、もうお前しか抱けないと言った。

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