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第3話

-日風水世-  げっそりした顔でふらふらと尾久山は生徒会室に姿を現した。体調が悪いのかと訊いても違うと言い、腹が痛いのかと訊いても違うと言う。まさか浅海とのことを思い詰めているのではないかと思ったがそのことは訊けずにいた。浅海は完全に尾久山の存在をなかったことにしているし尾久山も浅海との接触を避けている。 「彩波ちゃん…」 「どうした」  応接用のソファーにぐったりしながら尾久山は天井を眺めていた。 「野良猫と戯れて花畑のある庭で暮らしたいよ(ぼか)ぁ」  訳の分からないことを言って放心しているためあまり相手にはせず生徒会の書類をまとめた。尾久山はぶつぶつ不気味に呟いていたがうるさくはなかった。むしろ静かな感じがした。だからドアの開く音もしっかりと聞こえた。尾久山は「ひえっ」と悲鳴を上げて飛び上がっていた。やってきたのは琴野葉姉弟だった。 「おはようございます!仁王先輩」  弟のほうが飛び込んできてわたしの前に立った。小動物のような大きな目がキラキラしてわたしを見上げる。まだ成長期ではないらしくわたしより背が低い。 「こら、山兎。ごめんなさい、仁王さん。少し元気が良くて」  朱鳥(あすか)さんがわたしの前に立つ。精神的にも元気を取り戻したようで美しい形をした眉に少し気の強い印象を受けた。 「いや…元気で何よりだ」  心の傷になってはしないかと心配しなかったわけではない。 「尾久山くんと仁王さんのおかげです。ほら、山兎からもちゃんとお礼を言いなさいな」  光がさらさらの髪に白く輪を作っている。それを見ていると心臓を細い糸で締められるような感じがした。 「ありがとうございました、仁王先輩。あの……好き、です」 「礼には及ばないよ」  朱鳥さんは少し頬を赤らめて弟の肩に手を置いていた。指が細く艶やかな爪をしている。 「ごめんなさいね。この子、まだそういうのきちんと理解していないみたいで…」  健康的な色の形のいい唇が動いた。小振りな鼻は弟と似ている。その上からがもう見られなかった。 「そうか。気持ちはありがたいよ」  尾久山に逃げる。彼はまだ天井を見上げていた。 「それに助けてくれたのは尾久山だ。わたしは何もしていない」  朱鳥さんは一瞬で顔を赤らめた。 「あ、あの、尾久山くん…昨日は…その、ごめんなさい。色々迷惑かけて…」  尾久山は重そうに背凭れから背中を剥がした。隈の濃いげっそりした顔が頼りなく笑った。 「いやいや、弟さんが無事で良かったよ。それはちゃんと彩波ちゃ…仁王さんがしっかり見守ってくれていたからなんだし」  尾久山を振り返った朱鳥さんの横顔は真剣でありながらどこか呆けているようで、その瞳は水晶のようだった。網膜を焼かれてしまいそうでわたしのほうから目を逸らしてしまう。 「尾久山くん、あんまり体調良くないの?」 「へ?いや…その、何ていうか、まぁ…」  尾久山はやはり体調が優れないようだ。どうにかしてやらねばと思ったが、胸元に圧迫感があり見下ろすと琴野葉弟がわたしを見上げていた。朱鳥さんは尾久山が応対するようで、わたしはわたしに身を預けてくる琴野葉弟の肩に触れる。 「姉は、僕のこと、まるきり子供扱いしますけど、僕、本気です…本気で、仁王先輩のことが…」 「分かった」  付き合うとかは、出来れば、その。尾久山に言われたことを思い出す。生徒会だ。生徒にはなるべく平等でありたい。なるべく。そのためにはまず、明確な区別を付けてしまう交際などはするべきでない。 「じゃ、じゃあ…」 「心に留めておこう」  軽く小さな身体を引き剥がす。大きな目がわたしを見上げている。 「あ、あの…」  またガラガラと派手にドアが開いて何人か来室者が現れた。琴野葉弟はスッとわたしの後ろに隠れた。わたしも瞬発的に彼を守ろうとしてしまう。 「(うい)ちゃ~ん」  苔室(こけむろ)雲霧(くろむ)が耳の飾りをじゃらりと揺らしながらぐったりしている尾久山に近付いていった。 「ヤろうぜエ」 「違うでしょう。江尾工業高校の方々がお見えです。ご親睦会ですか?その際は是非とも私たちアイドル同好会が特別な接待をさせていただきますよ」  眼鏡にきっちり制服を着こなすのは確か山川峯夜。彼はわたしの目の前に来て一礼する。外見も雰囲気も少し苦手だ。 「おいおい、妬かせんなよ。お前は俺以外のやつと喋るな」  堂々とした出立ちの男子生徒が山川の隣に来て、人目も憚らず彼に口付ける。アイドル同好会の部長である天地(あまち)星空(せいらん)。成績は優秀だ。教師からの評判は分からなかったが、学校間の乱闘排除を掲げたわたしの対抗馬を頼まれていたくせ、生徒会選挙に立候補しなかった。前に立つと足が竦んだ。この生徒は特に苦手だ。雰囲気が特に。山川と並ぶとさらに苦手だ。 「江尾工業が来てる。何した?五十音(うち)は喧嘩しないんじゃなかったのか?」 「喧嘩はしない。詫びて帰らせる。すまなかったな」 「ふん。期待してんぜ、生徒会長サマ。用はそれだけだ。撤収!」  天地は山川の肩を抱き寄せ、他の部員に声を掛ける。苔室はまだ尾久山に用があるらしくへばりついていた。 「尾久山、ちょっと行ってくる」 「江尾工業来てるんだって?オレも行くよ」 「いいや、喧嘩する意思はない。わたしひとりで行く。ここを頼んだ」  しかし後ろからジャケットを掴まれる。琴野葉弟が居たことを忘れていた。 「あ、の…痛いこととか、だめですよ…」 「喧嘩はしない。昨日は怖い思いをさせて悪かった」  彼の小さな頭を撫でてやる。さらさらした髪の質感が掌に残った。  すでに人集りが出来ていた。3人ほどの他校生がいる。グレーのシャツにチェックのスラックスは江尾工業高校だった。 「行儀がなってねぇな、五十音高校は」  背が高く肩幅も広い丸刈りの男子生徒が人混みを掻き分けてやっと中心に辿り着いた時に言った。 「何か無礼が」  尻餅をついている浅海が目に入る。目が合う。だが逸らされる。 「手を出したのか」 「先にうちの門潜ったのはそいつ等だろうが」  確かに江尾工業高校の生徒はすでに五十音高校の敷地に踏み込んできている。 「用件だけ先に聞こう」 「井上学院を()ったのは誰だ」  半分はわたしだ。しかし番長(アタマ)という概念(もの)に相当する逢沢を懐柔していたのは尾久山だ。だがそのままやつの名前を出したらどうなる。間違いなく平穏な生活など送れなくなる。 「歯切れの悪い返答になるが、半分はわたしだな」  浅海が立ち上がる。まだ昨日の今日だ。口元も瘡蓋になっている。 「俺は江尾工業高校3年、殖蓮(うえはす)だ。尾久山に告げろ、明日、指巣(さしす)川で待つ」 「断る」   何をするかなど訊かなくても分かった。尾久山とカードゲームや映画鑑賞をするわけでもないだろう。喧嘩はしない、させない。 「おい!五十音がナメられるだろうが!」 「好きにナメさせておけばいい」  浅海がわたしの肩を掴んだ。力尽くで向き合わされる。 「あんたはナメられるってことがどういうことだか分かってねぇな!」 「喧嘩、暴力でしか人を測れない奴等の価値観に踊らされるのもどうかと思うが」  浅海の拳が視界の端から飛んできた。だが当たらない。彼は舌打ちをして拳を下ろす。 「曲がりなりにも女のあんたには分からねぇよ」  浅海はわたしを突っ撥ねて殖蓮(うえはす)と名乗った他校生を向いた。 「俺が行く。それでいいな」 「おい…」  勝手なことを言う。わたしは止めようとした。 「雑魚を相手に勝ちました、とあっては江尾工業の名前が廃る。尾久山を出せ、分かったな」 「断る」  殖蓮という他校生はわたしを見下ろすと綺麗に剃り落とされた片眉の筋肉を動かした。 「ならお前が来るか、ねぇちゃん」 「…喧嘩はしない。色んなところにそう誓ってる」 「それなら自分の身を守れや!」  怒声が聞こえた。瞬間わたしは突き飛ばされる。アスファルトに脚を打ち付ける。状況を確認する間もなく目の前に見知った色のブレザーが飛んできた。 「…っ女に不意打ちとか最低だろ…」 -雨土歌-  マジで最後の一滴まで搾り取られて腰は痛いし、ゴムで擦れまくって根元は痛いし、ダンスバトルで身体中は筋肉痛。それでまた江尾工業高校が来たとか言ってる。夢旭いるでしょ、多分。行かないほうがいいかな、なんて思いながらも彩波ちゃんひとりに丸投げするのもな、ってところで疲れた身体に鞭打って遅れながらオレも現場に駆け付けた。でも人集りに入る前に肩掴まれて振り返るとヤりドル愛好会の王様だった。口元で棒キャンディの白い棒が揺れている。 「アンタが目的らしいぜ。はん、モテるこったな。出ていかねぇのが吉だ。"喧嘩しない"が約束(モットー)ならな」  ヤりドル愛好会の王様は口の端を上げて嫌みったらしく笑った。確かにその通りかも知れない。でも彩波ちゃん、なんか凄そうなのと話し合ってるんだよな。オレは彼女に大体のこと丸投げしちゃったけどいいのか、それで。 「ま、(おれ)様はどっちでもいいけどな。生徒会様サマなら雑巾は雑巾の役割があんだよ。一発掘らせりゃ手は貸すぜ」 「絶対君からは手を借りないようにする」 「そりゃ残念」  口の中でデカい飴玉がカラコロ響いていた。頭鷲掴まれるみたいに手を置かれてからヤりドル愛好会の王様は消えていった。ケツだけはマジで守るよオレは。  オレは人混みを縫って江尾工業高校の人たちに会いにいった。1歩か2歩、いや多分5歩くらい遅かったみたいで彩波ちゃんと夢旭が尻餅ついてた。殴られた?夢旭の唇が赤く濡れて光っていた。彩波ちゃんの他の子たちよりちょっと丈の長いスカートの裾から膝が見えていた。雷が近くに落ちた時のような衝撃がズドンって脳天から落ちてきてプロバスケ選手みたいな大男に喰ってかかっていた。オレの仔猫ちゃんパンチなんか簡単に押さえ込まれる。良かった、当たらなくて。喧嘩になる。 「お前が尾久山だな」 「そうだよ!何か文句あっか!」 「江尾工業高校の殖蓮だ。五十音は日和見しているものと目を瞑っていたが、井上学に手を出したなら話は別だ」 「先に手を出したのは井上学院(あっち)五十音(うち)じゃない」  情けない言い分だよな。でも喧嘩はしないんだよ。彩波ちゃんとそう約束したんだから。 「だがお前等は井上学を降した。経緯はどうであれ、こうなっちまった以上取るべき行動は分かるな?」  江尾工の大男は拳をゴキゴキっと鳴らした。 「よせ、井上学院との摩擦の責任はわたしにある。尾久山は関係ない」   彩波ちゃんがオレの肩を掴んで奥に引き寄せた。 「井上学院とのことで江尾工業高校に損失があったならすまなく思う。二度と五十音高校には手を出さないで欲しい。本当に、」  オレの体勢が安定する前から彩波ちゃんはアスファルトに膝を着いた。土下座なんかしたって通じる相手じゃなさそうだ。でも彼女がそれを選ぶならオレも従う。でもオレも膝を着くと肩を叩かれた。誰の手かも分からない。ただ夢旭が彩波ちゃんの肩を掴んでいた。 「いい加減にしろ!もう後戻り出来ねぇんだよ!五十音守りてぇならもうやるしかねぇんだ。何の落度もねぇのに頭下げて済まそうだなんてみっともねぇ考えは捨てろ!」  夢旭が怒鳴った。困ったなぁ、公約破っちゃうじゃん。学校間の乱闘を排除します!って掲げたオレ等がそれを実行するために他校生ぶん殴るってそれはアリなの? 「ここには腑抜けしかいねぇんだ。指巣(さしす)川には俺が行く…」 「黙っていろ浅海。殖蓮とか言ったな、分かった。わたしが行こう。ただ尾久山と浅海には二度と関わるな」 「まずは仲間割れを解決させることだな」  夢旭が叫んだ。でも話は片付いたとばかりに江尾工業高校は引き上げていく。彩波ちゃんも溜息を吐いてギャラリーに撤収するよう言った。オレも戻るかなって思ったけど夢旭の喚く声が聞こえて足を止める。 「おい!女!」  仲裁しなきゃダメかな。何が一番正しい選択か分からないでいる。オレは彩波ちゃんに五十音高校を学校間の乱闘から遠避けるよう頼んで生徒会長に立候補してもらった。責任者としてそのサポートはするつもり。でも彩波ちゃんにとったらオレは生徒会役員ではなくて一介の生徒に過ぎないわけだ。ただオレが彼女に丸投げした手前、勝手にサポートを買って出ているだけで。生徒会選挙の責任者だなんて当選した日からそんな任に何の拘束力もない。 「どういうつもりだ!」 「生徒会長としての責務を果たす」  彩波ちゃんはまったく相手にする様子がなかった。 「何されっか分かってんのかよ!女なんだぞあんたは!」 「ある程度はな。だが仕方ない。五十音を守るならやるしかない、お前の言ったことは確かだ」  彼女はオレに気付いた。少し気拙そうな表情をする。 「彩波ちゃん…どうするの」  何て言っていいか分からなかった。井上学院の番長(アタマ)らしき逢沢に―ダンスバトルで―負けを認めさせたのはオレで、彩波ちゃんは人質を助けただけだ。井上学院について責任を問われるなら間違いなくオレ。 「成るように成るさ。自分の身を守るつもりはある。喧嘩をするつもりはない」  彩波ちゃんとすれ違う。オレは彩波ちゃんの後ろめたさを利用した。日常に飽きてつまらなくなったから飛び降りるという彼女に、オレは彼女の過去を振り翳した。彩波ちゃんは1人で一校潰している。その力を買った。それを忘れ去ることを条件にするみたいに。でもそうなんだよな、夢旭が言うみたいに、彩波ちゃんは一応女の子なんだよな。王者の風格みたいな、支配階級の人なんだなって空気があっても。  生徒会室には戻らなかった。社会科資料室に入るとパァンって破裂音がして紙吹雪が舞ってカラフルなテープが腕に掛かった。 「はぁ?犬上(いぬがみ)じゃねエじゃん!誰だよテメェ!尾久山!」  破裂音と火薬の匂いとシラけてる空間にオレもよく分からなくなっていたのに雲霧に胸倉掴まれる。理不尽過ぎる。 「何の用だア?生徒会にクラッカー代請求すんぞ」  顔面近付いてあっちこっちから睨まれる。見るたびに舌ピが痛そう。もうオレ牛タン食えない。 「あの王様みたいなのいないの。話あんだけど」 「あ~、天地?(カノジョ)情事(よろしく)やってるよ。理科準備室行ってみ」 「また戻るのか…分かった、ありが――」 「ただし、(おい)ちゃんを倒せたらなア!」  迂闊だった。雲霧はオレの首を掴むとドアに押し付けた。 「ワタシ、両手押さえる。雲霧、ちんちんペロペロするヨロシ」 「ちょっ!」  黒髪三つ編み片言男にオレは両手を後ろで拘束された。あれよあれよとオレは陰茎(せがれ)露出(ぼろん)させられてしまう。 「恥ずかしがンなよ、昨日あんなにハメハメしただろオ?」 「昨日あんだけ搾り取ったんだ。もう勃たない…っ!」  雲霧の口の中にオレの愛息子が消えていく。本当に昨日の今日でくすぐったさと変な感じしかしない。 「やめろ…って…」 「元気ない、だめネ。ちんちん勃たせるヨロシ。ワタシ、オマエの尻穴、イジる。オマエのちんちん、びんびんなる。どう?」 「ケツは弄らせない…っ、ちょ、ぁ…」  わざわざ先端の弱いところに舌ピ当ててくる。変な感じがするけどやっぱり勃たない。ムラムラしてる時ならきっと気持ち良かったはずだ。なんだか惜しい感じがしてそれが悔しい。 「舐め…回す、なっ……て、」  舌ピがこりこり刺激してくる。勃たないのに気持ち良いのはなんか拙い。意識持ってかれる。オレから気持ち良くなろうとしちゃう。でも丁度良いタイミングでドアが開いた。とはいえ加勢されたら本当にケツ危なくないか。慌てて振り返る。目的の王様だった。目が合う。腕にはペニスの平均値だの標準値だのうるさい測定眼鏡が寄り添っていた。 「何の用だ?」  引き攣った表情で王様はオレを見下ろした。読心でも出来るのか? 「なンで来るんだア?いいところだったのによオ?」  オレの愛息子(せがれ)を出しっ放しにして雲霧は王様に喰ってかかる。王様は部屋の奥のソファーにいる金髪赤メッシュのやつを顎で差した。 「やつが連絡寄越した」  金髪赤メッシュはスマホに夢中になりながらもオレにひらひらと手を振った。パズルゲーやってるな。音で分かった。雲霧はオレから王様、王様から金髪赤メッシュに忙しなく標的を変える。 「テメふざけんなよオ?何邪魔してくれてんだア?」 「そういうの見せられんのホントセクハラ~。あっちでやって~。いぇい!」  赤メッシュ金髪はスマホから目を離さず片手でガッツポーズをした。パズルのコンボ決めたんだな。音で分かる。 「で、用ってなんだよ」  王様は測定眼鏡の髪を撫でてからキスしてオレと2人きりになるところを探した。測定眼鏡はあっさりとオレに王様を渡したから少し意外に思った。オレなら妬くのに。  王様は適当に近くの被服室に入った。 「取り込み中だったんだって?中断させてごめんなんだけどさ」  見透かすような眼差しに晒される。彩波ちゃんと一緒に居るような感じがあった。王様はテーブルの上に乗せられてる椅子を降ろして偉そうに座った。 「ふん、いい迷惑だ。マイスイートハニーをイかせてやれなかったぜ」 「そりゃ良かった。それはそれとして…」 「あ?」 「いやいや、悪かったなって。折り入って話があってさ」  王様の表情が彩波ちゃんのよくやる研ぎ澄まされた感じと重なった。危険な匂いもする。彩波ちゃんに対してはもう大丈夫だけど、気を抜いたら食われるみたいな。 「はん、聞く価値はあるな。ケツでも慣らしておくんだな」  オレが黙ると王様も「続けろ」と真面目な調子で言った。 「彩波ちゃんの護衛を頼みたい。明日。江尾工業から」 「それは、あの生徒会長の嬢ちゃんに対する裏切りとも取れる。そこは理解してんのか?」  王様はまた片側の口の端を吊り上げて陰湿に笑った。オレはそれを真正面から受けた。威圧感に逃げたくなる。 「うん」 「特に断る理由もねぇ。アイドル同好会の承認に賛成してもらった恩もあるからな」 「なんであんな部作ったの」  アイドル同好会。運動部とも文化部とも違う。大会もなく顧問もなく、張り合いもない。 「運動部がだりぃから。それ以外に理由はねえな」  テニス部に入れば勝つことばかり。楽しむなんて出来るはずもない。レギュラー争いで部員と手を組むなんて出来るわけない。ただ優劣がつくだけ。  彩波ちゃんは屋上のフェンスの向こうでそう言っていた。何をやっても1番を取ってしまう苦悩、この王様も分かってるのかな。 「文化部だってあったでしょ」 「活動日、協調性、大会出場。ガラじゃない。帰宅部ってのも素晴らしいが、」 「帰宅部はないね」  文芸部、美術部、化学部の一部が帰宅部志望の人たちの受皿にはなっていた。 「勝利(うえ)は目指したくない、趣味も特技もない、誰とも協力したくない、でも独りにはなりたくない。アンタはそれを良しとしてくれた。ふん、借りを返すなら今だな。次からはケツ穴慣らしとけ」  オレの顔は引き攣っていたかも知れない。ただ単に測定眼鏡の説明がややこしくて要約を頼んだらめちゃくちゃアカデミックな内容で返ってきたから騙されて承認に賛成しただけなのに。別に受皿部を作ってあげたいだなんて多様性社会の開拓者みたいなことするつもりなんてなかった。 「話は終わりだ」 「ありがと。もう呼ばないからあとは存分にマイスイートハニーをイかせてやって」  王様は鼻を鳴らした。彩波ちゃんへの裏切りか。分かっていたけどはっきり言われると結構クるな。夢旭も結局は裏切ったみたいなことになって、彩波ちゃんのことも裏切る。現実(リアル)理想(スローガン)で板挟みだ。 「はん、あんたもマイスイートハニーから目を離さないこったな」 「は?」 「世話は焼かねぇ主義だ。じゃあな」  思わせ振りなことを言って王様は肩を竦めると座っていた椅子を片付けて被覆室を出て行った。オレにマイスイートハニーなんていた?あまり深く考えず教室に戻る。琴野葉さんが振り返って目が合ったからニッコリ笑っといたけどすぐに顔逸らされちゃった。マイスイートハニーから目を逸らすな。野球みたいなバッテリー的な意味合いで揶揄を込めてるなら彩波ちゃんのことだと思う。彩波ちゃんから目を離すな?目を離すから王様に頼んだのに。訳が分からない。王様のマイスイートハニー?ってことは測定眼鏡?そんなの王様が目を離さなければいいだろ。ああ、彩波ちゃんを頼んでる間はあの測定眼鏡から目を離すなってことか。完全に理解。完璧なる分かり手。 「尾久山くん、これあげるから元気出して」  琴野葉さんが飴玉サイズのチョコレートくれた。元気出して行こうか、な?未知なるマイスイートハニー。

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