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第9話
-雨土歌-
目の前にひらひらとスカートが揺れた。この丈は彩波ちゃんだ。
「戻ろう」
見上げると彼女はオレに手を差し伸べた。少し涙がちょちょ切れそうになる。何も事情を訊かないあたり、お見通しって感じだった。
「彩波ちゃ―」
オレが彩波ちゃんの手に応える直前に目の前の理科準備室の扉が開いた。
「おいおい、王 様のカワイイお姫様の甘ぁい声を盗み聞きか?」
彩波ちゃんが振り返ってそこから出てきたズボンにシャツ羽織ってるだけのほぼ半裸な王様が出てきた。目付きがちょっといつもと違ってる。鍛えてるのかなってくらいほぼおっぱいの胸筋とか鎖骨にキスマーク付いてんけど。
「教師陣が発狂するような服装だな」
彩波ちゃんはいつものように冷静だった。
「はん、知らねぇたぁ罪だな。ここは王 様たちの愛の巣なんだよ。愛 ・迷宮 」
今時ラブホテルでもそんな名称付けないと思うね。
「頭に入れておく」
「オレたちのことは放っておいて。早く戻ってやれよ。山川の喘ぎ声とか興味ないから…」
オレはまだ壁に凭れて廊下に座り込みながら王様にしっしっと手を払った。
「はぁ?王 様のスウィーティーの甘さを知らねぇな?」
「そういうのは恋人だけ知っときゃいいんだよ」
そしてオレは今日、甘さではなく苦さを知った。王様はオレをちょっと意外そうに見下ろした。
「ふん、違いねぇな。今日も学びがあった。愛の日記帳 に記しておくぜ」
かなり満足した様子で王様は理科準備室の奥に戻っていた。
「長居は出来ないな」
「本当に…」
『ぁ…あんっ!やぁっあっあっ!』
すぐに理科準備室 基 愛の巣、違った愛の巣 基 理科準備室の奥から山川の喘ぎ声が聞こえた。彩波ちゃんは顔色ひとつ変えずまたオレに手を差し伸べてくれる。やっと彼女の手に応える。
「もう二度とここには立ち寄らない」
「それが賢明だな」
彩波ちゃんは軽々とオレを立たせる。
「尾久山」
教室棟に向かって半歩前を歩く彩波ちゃんが振り向いていつよりしんどそうな表情をしていた。
「何?」
「苔室のことはどう思っている?」
「雲霧?なんで?」
神妙な顔付きと声で訊くから身構えちゃった。やっぱり夢旭のこと見張らなくていいよ、みたいなこと言われるのかと思って。
「いいや…特に意味はない」
雲霧の服装とか素行が目に付いたのかな。ちょっとやべぇやつではあるけど根は悪いやつじゃなさそうだったしフォローしとくか。
「見た目あんなだけど歌が歌手みたいに上手かった」
フェラが舌ピのせいでめちゃくちゃ気持ち良いこととキスが上手いことは言わなくていいよな。
「…そうか。今の質問は、忘れてくれ」
彩波ちゃんはちょっといつもと違った。あの部活は他の部活と比べると群を抜いて校則違反だもんな。面々を思い浮かべると長過ぎる前髪とか私服とか、マニキュアとかピアスとか染髪、脱色、カラコン、男子の三つ編みは縛ってるから女子のルールでギリギリセーフだけれども。そういうのは校則の強化・緩和とかにもっと力を入れたい会計さんたちに任せればいい。それとも井上学院と江尾工業に揉まれて、彩波ちゃんも校則の見直しのほうに力入れたい?それか、この線は無さそうだけど、彩波ちゃん、雲霧のこと好き…?
「雲霧と何かあった?」
「いいや、まったく。むしろ尾久山と何かあったのかと思った」
彩波ちゃんはすたすたと教室棟のほうに歩く。クラスとクラスを東西に分断する廊下でオレと彩波ちゃんは別れるはずだったのに彼女はオレをクラスまで送ってくれた。
「すまないな、色々無理を言って」
「えっ!いや、全然ッ!」
夢旭のことを言っているらしかった。彩波ちゃんはオレの顔を真っ直ぐ見て、湿布が必要かどうか訊いた。首を振る。「痛くなったらすぐ冷やせよ」と言って彼女は自分のクラスに戻った。夢旭と上手くいかないことはオレだけの問題であるはずなのに。井上学院と江尾工業とこれからどうなるのかも分からない中でオレが彩波ちゃんの足引っ張っていいわけないだろ。缶コーヒー代返すの忘れた。
オレの顔を見るたびにカレシに殴られたの?ってクラスメイトから冷やかされる。そうだよっ!ってへらへら笑って返すたびに胸の辺りに添えた釘をトッテンカントッテンカンハンマーで打ってるみたいな感じがした。元カレシに容赦なく殴られたんだよ。大嫌いだ、二度と関わるなって言われてさ。それも笑い話にしちゃえたらよかったんだけど。雨の日って嫌だな。暗くなる。別れた日は晴れてたから「じゃあバイバイ」って笑って言えたよ。「嫌われちゃったなら仕方ない」って。やっぱり雨の日って嫌いだな。
後ろから疼いてる頬っぺに冷たいものが当てられる。柔らかいけど硬さがある。
「ナイスルッキングガイが台無しネ。ワタシ湿布持ってるアル。貼るヨロシ」
独特な喋り方は自己紹介も同然だった。
「彼女、彼女。尾久山に湿布貼る、お頼み申す」
「いいって…」
あんまり喋って人と関わりたい気分じゃない。
「尾久山くん怪我してるの?」
琴野葉さん出してくるのはズルいでしょ。熱くなってた頬っぺたに湿布が貼られる。『カラダのキズくらいすぐ治せ』。知ってる声質で空耳が聞こえた。夢旭のパンチは頭まで響いてんのかな。
「大丈夫?」
琴野葉さんに覗き込まれてオレもお礼言ったらいきなり顔逸らされて女の子って分からないな。
「謝謝了。尾久山のナイスルック、救われたアル」
三つ編みくんはせかせかして自分の席に戻った琴野葉さんに言った。湿布はかなり主張が強かった。ずっとウィンクしてるみたいになる。
「でもあんたこんな世話焼きだっけ」
「尾久山、顔面ダメなる、可哀想ネ~」
スイッチ押すみたいに鼻先を押される。最近やたらと絡んでくるな。彩波ちゃんが後輩を助けたとかオレが部の申請の承認に賛成したとかそんな、そこまで恩に着るほどのことでもないのに。彩波ちゃんの後輩を助けたどうのこうのの件はよく知らないけど。
「ま、ありがとな。またひとつ美男子が世界から消えるところだったよ」
湿布の上から殴られたところを摩った。オレは健全なつもりだから、夢旭が付けてくれるなら傷痕でも痛みでも構わないって考えはない。逆も然りのつもりなんだ。オレの手の上から別の手も重なった。三つ編みくんの冷めたツラはちょっと心配そうで、相応 じゃなかった。…もしかしてこいつオレのこと好きなんじゃね。やたらと絡んでくるもんな。ああ、なるほど。オレのこと好きだったんだな。今度から優しくするか。失恋つらいもんな。分かるよ。
「ありがと、榎 ち」
歌う時にその先の歌詞が自然に頭に浮かぶみたいにこいつの名前を思い出す。これでもオレだって名前覚えようとは思ってんだよ。彩波ちゃんみたいに全校生徒の顔と名前を一致させられないけど。
-日風水世-
イチゴ牛乳を犬上にもらってから飲む機会がやたらと増えた。席を外すと大量のイチゴ牛乳が机の上に置かれ、何者かにプレゼントされているようだが下手に手を付けると金銭や返礼を要求されかねないために一度ロッカーに収め、古い物から持ち帰って処分している。匿名からの贈物は正直迷惑だった。ありがたさも芽生えない。経済は回れど飲まれることもなく捨てられる。飲むことを選ばなかったのはわたしではあるが。教室でイチゴ牛乳を口にしたのが迂闊だったがもう遅い。贈り主が満足するまで続くのだろう。机の横の袋にイチゴ牛乳を片付けすぐ隣の雨音を聞いた。前の席のクラスメイトのイヤホンから音漏れも聞こえた。チャイムにより教室は机の物音でよりいっそう騒がしくなる。
放課後の生徒会室に尾久山の姿はなかった。雨はまだ降り続き、明るい部屋があまり得意でないわたしは電気を点けなかった。外のほうが明るいくらいで窓は平たい小滝のようになっている。生徒会役員ではないため、適当に窓際に設けた席をそこに誰かいるように見てしまう。大丈夫だろうか。井上学院と江尾工業のことが片付くまでは彼の心労はまた別の角度で続くだろう。申し訳なく思う。その分野についての応援だの支持だのはわたしの性分ではないが知ってしまった以上、苔室のことも裏切っているような気になった。ガラガラと扉が開いたが、開け方が尾久山のものものではなかった。
「……また、その…南門に、井上学院の人…来てる…」
窓から遠い扉には黒く塗り潰したような人影が立っていた。声は犬上だった。
「そうか。ありがとう」
南門から来るとなると相応の事情が窺えた。犬上は猫が好きらしく、もしかするとあの門の近くにいる野良猫と遊んでいたのかも知れない。傍を通ると黒いタオルを被っていた。
「そこにドライヤーがある。使うといい」
美術部が塗装か何かを乾かすのに使っていた備品のドライヤーが棚に置きっ放しになっている。
「オレも、行く…!」
すれ違うつもりのわたしの腕を犬上は掴んだ。タオルの下から素顔が見えたが暗く翳っていた。
「雨降りだ。ここにいろ」
「……他校生だし、危ない…」
わたしは何も言わず南門に向かう。犬上は付いてきた。松林は大した雨除けにはならなかった。わたしは傘を持ってきていなかった。置き傘もない。途中犬上がタオルを被せ、彼はブレザーを被った。
「yeah!来たか」
暗い色の上下のウィンドブレーカーは井上学院の指定のものではないらしく、有名なスポーツブランドのロゴが入っていた。フードを深く被り、ネックウォーマーも付けて口元がわずかに隠れていた。そこにさらに傘を持っていた。サングラスが無いと一瞬誰かと思ってしまう。逢沢だった。
「long long ago,me 五十音 の子と付き合ってたんだ。I know.south gateは寂れてるってね」
「そうか。ここの方が良かったかもな」
逢沢はわたしに傘を突き出した。「This is it」と言って彼は撥水性のウィンドブレーカーのフードを摘んだ。わたしは厚意に甘えて傘を借り、犬上を傍に呼ぶ。ブレザーも表面はある程度撥水性があるものの、濡らさないに越したことはない。
「sorry,朝、井上学院 来たでしょ。こっちもさ…Last Man Standing Gameっていうの?それでまた番長 決め直すことになっちゃって。meとしては本意じゃないよ、meのstyleで五十音 とは勝敗決めて、そっちが勝ったんだし」
喋るたび逢沢の前歯が不自然に光った。人の生まれながらの歯ではないらしかった。人工物のような光沢は宝飾店で見る指輪などに似ている。
「ah…気になる?」
話は聞いていたが彼の目を見ず歯を凝視していたことを知られてしまったのかと非礼を恥じる。しかし逢沢は片頬を指で引っ張り犬上を見下ろした。
「This is グリルズ。銀歯じゃないよ」
逢沢の前歯は上下に細かなビジューを埋め込んだ銀歯よりも装飾品の向きが強い被せ物をしていた。雨空の中で光っている。
「……っ、」
犬上は少し怯えた。不気味な印象は確かにあったが、それよりも飲食出来るのかが気になった。
「sorry、話を逸らした。それで、meも、やるからには目指すはgo to the top。そうしたら…その時はまた五十音 に、今度は割と正々堂々fight fairで攻め込むことになる」
「困るな。断る。警察沙汰だ」
「like a youのような優等生はそれで構わないだろうさ。だがしかし、でもbut,police officer沙汰だよ?内申点に響くどころじゃないよねぇ?たとえ五十音 さんに何のa fault が無くたって…わらわらここにpolice officerが来てみなよ」
逢沢は訳知り顔で唸った。中学生の頃に警察が来た時はいくらか緊張感が走っていた。
「そうかも、な」
「それに五十音高校は野暮野暮の野暮ってstation、train、supermarket、その他で、その制服着てるだけで嗤われるね。youにはやっぱり、理解出来ないculture?」
「そうだな」
逢沢の言い方はいくらか気遣わしげだった。
「気持ちは分かるよ。meのfaithはlove and dance,sometimes peace。violenceはdislikeだよ」
「それは意外だったな。井上学院の代表じゃなかったのか」
彼はチッチッと舌を鳴らして突き立てた人差し指を左右に揺らした。
「meもrespectしてた前の番長もlove and danceなpeopleでさ。dance battleで番長を決めたんだ。みんなHIPHOPで解決すればいいのになぁ」
「まったくだ」
「とりあえずmeも井上学院の成り上がりsystemに惹かれて入ったpeopleだからねぇ。やるだけやるよ。じゃあね、そちらさんもsoldierを集めておくことだよ」
フードを深くし、ネックウォーマーを引っ張り、逢沢は帰る空気を出しはじめる。わたしは借りた傘を差し出す。
「生徒は兵隊じゃない。その時はわたしが相手をする」
「やりづらいなぁ…umbrellaはpresent for you」
逢沢はランニングを再開するように軽快に走っていった。
-雨土歌-
頬っぺたの熱がやっと引いて、顔は湿布分少し重い気がした。ずっと頭を傾けているから少し首と肩が疲れた。熱い缶コーヒー飲んで生徒会室には行かなかった。預かったコーヒー代返さないとなのに腰は重くて階段に座っちゃう。そこを2階分上に行けば生徒会室なのにオレはまさかの下に降りていた。オレってたまに意思に反して足が動いちゃうことあるんだよな、それも結局オレの中の多数決で負けたほうを尊重しようとする。情けない。誰とも喋りたくなかったし、会いたくない。でも帰宅って気分でもなかった。ああ、これか…王様が言ってたのは。でもメンバーみてもそんなことまったく思ってなさそうな能天気な奴等ばっかりだろ。なんだかんだで互いに仲間意識あったし、部長も面倒見だけはいいし独りになりたくたってなれないだろうに。
そんなに人通らない場所で静かだからオレは暗い階段に座っていたのに近くで怪しげな音がした。
『だめ……っ、入る……、入ってしまいますッ、!』
ここはラブホでも生徒会室資料室でも社会科資料室でもなければ理科準備室でもない。でもすぐ傍に更衣室がある。
『大丈夫だ。擦るだけだから。峯夜のかわいいところに、』
『中には、挿れなっ……ぁっん、』
峯夜ってどこかで聞いたことある。ありがちといえばありがちか。オレの愛 よりは。ちなみに妹は恋 。2人合わせて恋愛。双子だからね。いいよな、妹は女子校で生徒会長。オレは親父の学校で生徒会長補佐。なんてぼやぼや考えて温くなってきたコーヒーをまた飲んだ。ブラックコーヒーはあんまり選ばない。コーヒー自体飲まないし。ただ口に入れて喉を通せることを飲めるって言うなら飲めなくはなくて、ただ金払って飲みたいかっていうと、そんなそんな。コーヒー牛乳とか加糖・微糖でもそんなそんな。
『入ってま、っぁ、中には…、!』
『うぅん?約束、忘れてないよな?』
『いや、ぁあっぁあ…ッ!』
物音とか声がなんか不穏だった。あとこの喘ぎ声どこかで聞いたことあるんだよな。
『や、めてくだ……っさ、離し…!』
なんか闇って感じがした。外が晴れてればな。みんな元気に校庭でドッヂボール、一輪車、鉄棒、雲梯、ジャングルジム。でも晴れても雨でも今は放課後。叩くべきは空ではなく場所、否、爛れきった自由な校風。改革を掲げた生徒会副会長と会計さん、会長のスローガンに日和見 た最年少1年生書記さんには頑張って欲しいよ。オレは立ち上がって常温と化した頬っぺたをちょっと触った。癖になってた。掌に当たる湿布の起毛 。更衣室はコンクリートの柱挟んですぐ真横。オレとそのコンクリート柱の間にはあと5人くらいは座れそうなくらいの空間があった。それでも小さく聞こえてるし聞き過ごせる感じでもないから気分は向かないけど首を突っ込むことにした。
「うるさいよ」
更衣室を開ける。電気点いてて眩しかった。そこには理科の氷見入 と縛られた山川がいた。氷見入がテーブルに座って、後ろに腕を縛られてる裸の山川がそこに向かい合わせになって跨るような体勢になっていた。山川は眼鏡外していて一瞬誰だか分からなかった。多分山川。山川だよな?直感で山川だと思ったけど。とにかく目付き悪い感じの綺麗な顔。剽軽で人を小馬鹿にしたような表情も雰囲気もなくて、泣いてる感じがあった。氷見入は高学歴で気障 で女子からも人気があるし実際育ちが良さそうで見た目も彫刻みたいに綺麗だった。勘弁してくれ、教師陣と揉め事はダメだって。
「ああ…尾久山君か」
「まずは彼に何か羽織らせてくださいよ」
近くに落ちているシャツを拾って山川に掛けた。いや、その体位はやく解けよ。山川降ろせって。オレが退室したら続行、みたいな雰囲気があった。
「すまないね」
山川は涙ぐんだ目でオレを見た。唇は開いたまま固まっている。氷見入はまるで山川を自分の家族や恋人のように言った。
「やめましょうよぉん、こういうの。敷地内ですよ。山川くんも先生の上に乗るなんていけないゾ!」
シャツ羽織ってるだけの山川の身体支えながら氷見入から下ろす。腕を纏めてるネクタイは縛り慣れてる感じがあった。やめてくれよ、山川の裸見るとか。測定眼鏡なんだぞ。
「…尾久山君」
「内緒にしておきますよ、勿論もちろん。氷見入先生も校内で生徒に見つかるなんて無いようにしてくださいね」
氷見入は山川が居なくなると優雅にファスナー上げて脚を組んだ。
「物分かりが良いね」
「これでも修羅場はそれなりに潜ってきたつもりなんですよ」
「そのようだね」
「じゃ、着替えて山川くん。一緒に帰ろう」
声を高くして、大人たちに向ける人懐こい笑顔貼り付けて山川を急かした。色々訊きたいことはありつつ知らなくてもそんなにオレの日常は変わらないし、多分知らないほうが平穏だと思う。ただでさえ物騒なのに。自分の痴情も強制終了させられたのに他人の痴情の縺れとか。犬も食わなきゃヤシガニも食わないよ、そんなの。だって言ったろ、互いを好いていることは揺るがないってさ。オレもそこに軸を感じた。
山川が裸から制服着終えるまで待ってた。氷見入は服着ていく山川を見つめていて、もしかしてただの性欲処理の相手させてたっていうのよりもっと厄介な話に首突っ込んだかも知れないな、なんて思った。オレは早くこの異様な空間から出たくてまだブレザーのボタン留めて無いけどオレは袖摘んで廊下に引き摺り出した。ちょっとだけ息出来た感じがしたけど氷見入が追ってくるんじゃないかと思って山川をまた引っ張った。もうオレの中で氷見入はかなり不気味な存在になったみたいだ。更衣室から離れなきゃって意識ばかりでオレは生徒会役員でもないのに帰巣本能みたいな意識は生徒会室にオレを向かわせる。でも山川は嫌みたいで立ち止まっちゃってた。顔を見られなかったし掛ける言葉も浮かばないからせっかく上がった階段をまた降りて体育館に通じる外通路前の階段裏で山川の袖を離した。氷見入と隠れんぼしているみたいだった。別に追われてないけど。ただ服を着ていく山川を見ている時の目付きとか半開きだった口元とか擦り合わせた指とか、なんか見なきゃ良かったなって感想以外なかった。氷見入は教師だ。山川は生徒。6年前に江尾工業で更衣室盗撮した教師が逮捕されたらしいけど。
「変なところをお見せしてしまいましたね、ごめんなさい」
山川は塩をかけられたナメクジみたいな雰囲気でオレまで気拙い思いをする。教師にへらへらしてるところ、オレだってそりゃ見られたくないよ。特に山川とかには。
「いや別に…」
「…ご存知かも知れませんが、部の顧問なんです」
「はぁ…そうでっか…」
そこまでは把握してなかった。部の顧問だから何だよ。普通どの部も、顧問とあんなことしないぞ。
「……ありがとうございました」
氷見入のも測定したのか?なんて茶化す言葉が浮かばなかったわけじゃないけどそういう空気じゃないし、多分冗談言えるようなことでもないっぽいし、表に出たらヤバすぎ案件だし。
「じゃ、な」
気拙過ぎてとっとと帰りたい。でもそこを曲がったら氷見入居るんじゃないかとか、暗い廊下の奥から「尾久山君?」なんて声掛けてくんじゃないかと思うとすげぇ怖い。氷見入はちょっと浮世離れしてるようなところあるからな、外見も経歴も雰囲気も。
「ええ、さようなら」
山川の声は少し掠れて、こいつのほうが怖いよなって思うと素直にバイバイ!って訳にもいかなくて、かといって彩波ちゃんに接するみたいにこいつに素直になれるわけもなく「帰るべ」って山川の腕をまた引っ張った。
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