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第12話
-日風水世-
尾久山と天地なら苔室も心を許しているだろう。こういうことはよくある。空腹とよく似た重みを感じながら駅へ向かう。北の正門に繋がる道を歩いていると見慣れた小さな姿があった。上まで閉めたため襟に口元が埋まっているさらさらとした髪の小学生だった。彼は五十音高校を見上げていたが距離を縮めていくわたしに気付いた。
「あ、おねぇさん」
人懐こく笑みをみせ小学生はわたしに駆け寄った。運動部でも見ていたのだろうか。吹奏楽部の演奏を聴いていたということもある。
「どうしたんだ、こんなところで。家族 が通っているのか?」
「ううん。友達が通ってるんだぁ」
「そうか」
友達にしては歳が離れているような気がしたが人それぞれ様々な交友関係があるのだろう。
「おねぇさんはぁ?」
「友人が風邪をひいて。それの見舞いだ。帰ったら手洗い嗽 をすること。約束してくれ」
男児は小指を出した。わたしもそれに応じる。
「じゃあそろそろ帰るねぇ。おねえさんも風邪に気を付けるんだよぉう」
彼は小さな手を振ってわたしとすれ違った。正門は閉ざされていて駐車場には数えるほどの車が停まっていた。駐車場近くにありフェンスのすぐ傍にある第二体育館からはバレーボール部の掛声が聞こえた。その脇にある弓道場からは道着わ身に付けた部員が見えた。敷地を囲うフェンスの他に弓道場の活動場所を囲う柵、そしてグリーンの網が掛かり鮮明ではなかったが軒下に氷見入先生が座っていた。部員2人に何か指導していたが目が合った気がした。他にも部の顧問を掛け持ちしていたらしい。そのことは把握していなかった。犬上は苦手意識を隠さずわたしに話したが、わたしは理科の授業程度でしか接点がなく、それでも一対一で話すような場面もそうなかった。そのため犬上が言うほど苦手と感じる場面もなかった。ただ少し生徒に対して冷淡だという印象はあった。不真面目な生徒や成績の芳しくない生徒を気に掛ける様子もなく、授業に付いてこない・付いてこられない者たちのことはまるで見えていないような。しかし授業終わりやテスト期間に生徒が質問をしてそれにきちんと答えている姿は何度か目にした。だが部の顧問としてどういう態度で生徒と接しているのかはまるで分からない。わたしが見ているから氷見入先生も見ているのか、それともわたしのことは見ていなくてただフェンスの外を見ているのか分からなかったが氷見入先生はわたしのいるほうに顔を向けていた。この田舎街に赴任しているのが怪しく思えるほどどこか浮いた容姿や雰囲気をしているという旨の話は耳にしたことがある。
弓道場の真横にある東門の近くを通ると高校のほうから出てきた生徒とぶつかった。
「すまない」
相手は少し怒ったような表情をした。しかしいつものことだった。太い眉とわずかばかりふくよかさを思わせる頬とくしゃくしゃの髪。生徒会の書記である。是成 法生 だ。大体いつも不機嫌で横柄な態度を取っているため大して怒っているわけではないようだった。わたしの掲げた生徒会立候補時の公約とは相容れないらしく生徒会室には生徒会定期集会にしか顔を出さないが彼なりに別の場所で生徒会活動をやっているらしかった。
「部活だったのか」
是成 は映像研究部にいたはずだ。映画やアニメーションなどを観たり、技法を学んだり、実際製作する部で、ここは熱心に外部から講師を呼んだりしている。卒業生に美術大学や専門学校の映像学科に進学した者もいる。
「そうだよ。お前はデートってか?腐れリア充どもが」
「いいや、そんなんじゃない。じゃあ、またな」
彼はあまりわたしや尾久山を好いていないらしかった。同じ期に生徒会という枠の中で一緒になった。それはわたしの中で独り善がりであっても不思議な仲間意識を生んだ。常に不機嫌で無愛想で怒っているような態度ゆえに周りからは反感を買っているようだが、わたしは彼が不快にならない程度には仲良く付き合っていきたいと思っている。
「ん」
是成と別れ、また駅へ続く道を歩いた。
-雨土歌-
オレの横で雲霧はうどんを啜った。ニュース番組しか観るものなかったけど赤飯 侍やってたからそれ見てた。雲霧はカピカピ忍者に似てるなぁなんて思っているうち雲霧はうどん食べ終わったみたいだった。赤い顔して見るからに熱っぽい。咳ばっかして喋るのつらそうだから話しかけなかった。ただでさえ喉に悪そうな喋り方で喉に悪そうなことばっかりしてるんだし。
「クソ不味かった。あンがとよオ」
「完食しといて何言ってんだよ」
熱っぽい目がオレを見る。目付き悪いから睨んで見える。
「気ィ済んだだろオ、とっとと帰れエ」
「ま、飯食わしたしな。分かった。ちゃんと寝ろな」
食器を水場に戻したけどどうせ洗わないだろうから適当に水で濯いだ。
「冷蔵庫にイチゴあんだよオ…持って帰れ」
「なんで?」
どうして練乳単品しかないの問題は冷蔵庫開けてから解決した。でもイチゴ持って帰れって、なんで?イチゴ大好きそうな見た目してるのに。
「俺ちゃんイチゴ嫌エ。多分会長ちゃんにだろ」
「え、何、これ持ってきたの彩波ちゃんじゃないの」
「違エよ。天地」
耳の穴に指突っ込んで雲霧はまた寝る気らしかった。少し身体が重そうでここで、食後だし風邪薬勧めたいところだったけど生憎風邪薬無いみたいだった。
「あんま彩波ちゃんのことぞんざいに扱うなよな」
扉の奥に消える前に一応言っておいた。雲霧は立ち止まったけどほんの数秒のことで結局何も言わずドアが閉まった。じゃあ帰るか!って思ったけど雲霧がクソ真面目に寝てるとか考えられなくて、ちゃんと寝てんのか?って気になったからオレはドアを開けた。不自然なほど静かでもともと日当たりが悪いみたいでさらに遮光カーテンも閉めてるから真っ暗だった。ベッドは確かにこんもりしてるけど無音。息の音もしなかった。死んだ?戻しかけて息詰まらせた?マジかよ。
「雲霧!おい!大丈夫かよ!」
布団剥がして雲霧の身体を揺すった。汗ばんで熱い感じがあった。ひっ、と吃逆 みたいな音がした。
「雲霧?大丈夫か?生きてる?」
びくって雲霧の身体は小さく波打った。鼻を啜る音がした。
「泣いてんの?」
肩掴まれてオレは引き寄せられた。基本的には夢旭、臨時で琴野葉さんが使ったオレの胸にぽすっと収まる。夢旭より小さくて琴野葉さんよりちょっと硬い。普段の雲霧からは考えられないくらい優しい手付きでオレの背中の服を摩った。ぐりぐりオレの胸板に頭擦り付けてきて髪がぱさぱさ鳴っていた。女の子みたいに泣くんだな。うっうって詰まった声が小さく聞こえる。っていうかなんで泣いてんの?オレの手はどこに落ち着けていいか分からなくて適当な場所に置いた。なんで泣いてんの、ほんと。もしかしてオレが彩波ちゃんのことで責めちゃったから?もしかして反省 してた?全然オレなんかの言葉が雲霧に響 くなんて思ってなかった。だっていっつもマイペースで傍若無人で自分・自分じゃん!いやいやいやいや、傷付けて泣かせちゃってるならちゃんと謝らないとだろ。
「ご、めん。もうちょっと、雲霧の都合も、考えなきゃだった……かも?」
胸のところで雲霧はぐりぐり頭を揺らした。甘えられないタイプのいじけた子みたいな静かに泣く姿が普段の口喧しい姿とあまり重ならなくて、実は雲霧と違う誰かが入れ替わってるんじゃないかとすら思った。こういう時どうしたらいいんだ?妹とか弟いたらよかったんだけど。妹はいるけど同い年だし、どうしたらいいんだ?夢旭は泣くとオレのこと突き飛ばすし。妹は泣くとサイレンみたいに主張激しいし。「せや!拾った仔猫と同じようにしたろ!」って頭撫でといた。髪パッサパサ。毛先とか絡まってるんだろうな。夢旭も髪染めないけど日に焼けて傷んでてパッサパサだった。変かも知れないけど、オレは傷んだ毛フェチなところある。パッサパサ感がいい。琴野葉さんとかすごい綺麗な髪してるし、髪艶々の子のも触ったことあるけど、あのしっとりしてさらっさらなのも気持ち良いのに、傷んで跳ねてびろびろになってガッサガサのパッサパサの毛がクセになる。
いつの間にか雲霧は泣き止んでいて胸とか腹の辺りが重くなった。今度は寝息が聞こえる。子供かよ。ゆっくりベッドに寝かせて布団掛け直した。妹にもやったことないぞ。夢旭には……あるな。だって先に寝ちゃうんだもん。仕方ないね、夢旭のほうが負担かかるんだし…………××××したら。
「おやすみ。またな」
枕元の棚みたいな場所にあったコップの水が半分になっていたから捨ててまた汲んでからオレも帰った。山川と氷見入のことも王様が意外とべったべたの甘えたってことも雲霧が独り寂しく泣いてたことも、全部見なかったことにしよ。忘れるに限る。あいつ等のためっていうかオレがひとりで気拙いから。
オレの家はホームセンターの前を西に行っていっぱい店が集まって一番端にある100均の横通るんだけど、そこを見覚えのあるぽちゃぽちゃ体型のやつが例の小学生女子を連れて歩いてた。是たんだよ。是成 。兄妹だとしたら格差…かな?是たんがそもそもちょっと女性的な顔ってのもあるっていうか。逢沢みたいな中性的ってのとは全然違って、眉とか髪とか顎とかは見るからに男って感じなんだけど、やっぱぽちゃぽちゃしてるからかな、オレはちょっと女性的だなって思った。肉付きとかが。下半身が丸い。それだ。だから女の子だったら可愛いんじゃないか…?いやいやいやいや、無責任にそれはな。思うだけなら無罪 だから!
小学生女子は歩く是たんの周りをうろうろしていて大分距離あったからオレからは話が聞こえなかったけど、兄妹にしては殺伐としている感じがあった。それでホモ呼ばわりされてロリコンを自称し始めてるくせにまったく纏わりつくような小学生女子には興味を示していなかった。売り言葉に買い言葉かな。それにしても日々マヌケっぽいとは思ってたけど小学生女子にまで絡まれるか。生徒会だよ、生徒会書記。ある意味では五十音の代表 だよ。ま、ロリコンを豪語していることは差し引いて。
-日風水世-
月曜日の少し違う真新しい感じは他の生徒 たちが言うことと反対にわたしは好きだった。生徒会室が乱暴に開いて珍しく浅海がやって来る。何か怒っているのに焦っているのか分からなかったがわたしの前にある会長テーブルに紙袋を置いた。
「おはよう浅海」
「…っ」
浅海はわたしを睨んでそのまま紙袋を残して帰ろうとする。
「忘れ物だ」
こんな短時間に忘れるだろうか。故意にも思えた。とすれば落し物でも拾って、持ち主を探して欲しいのかも知れない。浅海は少し口下手なところがある。
「違ぇよ!アンタにだ!」
怒鳴るように浅海は言って出て行った。乱暴にドアが閉まる。わたしが浅海から受け取るような物などあっただろうか。紙袋の中を覗いた。薄手のグレーのカーディガンとハンドタオルが入っている。彼にも気を遣わせてしまった。きちんと礼を言えなかった。後を追うよりかは次会ったときに言うのがいいだろう。窓を向いて朝日を浴びていたが紙袋に気が行ってしまい、暫く眺めていた。そのうち尾久山がやって来て窓際の席に座った。彼も朝日を浴びて明るい茶髪が輝いていた。静かな朝だった。今日は藁山学園は来ていないようで、騒がしさはない。高校と東友 の間の道を走る車の男が聞こえるほどだった。下から男子生徒の部活に関する会話が聞こえ、ふと浅海のことを思い浮かべた。運動部に入れば喧嘩をしたいなどという欲求から放たれるのではないか。そんな単純なものではないのかも知れない。
生徒会室の扉が開いてわたしも尾久山もそこに注目した。開け方に少し迷いがあるような気がした。
「Hello にちは」
白ランとサングラスがまず目に入った。そしてそこには逢沢の少し複雑そうな表情もある。わたしが出る前に尾久山が出た。
「そんな制服 で五十音 うろつかないでよ」
尾久山でわたしの視界から逢沢が消えた。
「tooth、喰いしばって」
鈍い音がして尾久山の身体が後ろへ傾いた。わたしは息が止まる思いがした。逢沢が尾久山を殴った。逢沢の穏やかさを知っているだけに未だに信じられなかった。
「尾久山!」
尻餅を付いて頬を撫でる尾久山の傍に寄る。逢沢はわたしたちを見下ろした。
「sorry。井上学院のheadになっちゃったよ。もうmeは井上学院のtop。だからyouたちを潰す。sorry」
尾久山が立ち上がり、反撃するんじゃないのかとわたしは前に割り込んだ。
「彩波ちゃん、下がってて」
「いいや…ここはわたしが、」
「いきなりbossが出てきちゃダメでしょ…」
逢沢は尾久山を見ていた。尾久山とやりたいんだということは分かった。
「ここには1人で来たのか」
「だって五十音はsoldier居ないんでしょ。some peopleは…居たみたいだけど」
「夢旭っ、」
尾久山は跳ねるように飛び上がって逢沢を突き飛ばした。しかし数歩走ってまた戻ってくる。
「彩波ちゃん!」
「頼んだ」
逢沢の奥にいる尾久山へ叫んだ。逢沢はわたしに隙を見せるように尾久山を振り返る。
「浅海をやったのか」
「井上学院もやられっぱなしってわけにはいかないからさ」
長いこと知っていたわけではないがわたしの知っている逢沢とは違った。グリルズとかいう歯に被せる装飾品が見えないからか。
「思ったよりgreatじゃないね、topってのも」
「そうか?いつ決まったんだ」
「youに会いに行った時には、実はもう、ほとんどdecideしてた。五十音にお邪魔したでしょ。あの後」
逢沢は溜息を吐いて困惑気味に笑った。
「sorry。youとtalkしに来たんじゃなかった。どうする?ここでやる?girlを殴る覚悟はもう出来てるんだ」
逢沢は自身の拳を握った。やりづらさは伝わってくる。
「分かった。ただ、わたしは学校間の乱闘は反対すると掲げてこの場にいる。わたしからは攻撃しない。来るなら来てく、れッ!」
最後まで言う前に拳が頬を掠めた。避けた直後に再び拳が襲う。殴られる痛みを待っていたはずなのに膝が出て、逢沢の脇腹を蹴り払っていた。彼の身体が転がる。華奢ながらも井上学院の数多い工業科の皆々を降した奴だ。おそらくこれでは終わらない。転がりながらも床を払いながら起き上がり、すぐさま反撃してきた。わたしに一歩踏み込んだかと思うと前転し、逆立ちする。後退る余裕もなく白ランが旋回する。強かに腹を打ち、腰を真後ろにあった机を打った。そのまま机ごと転倒する。
「ねぇ、このままずっとguardに徹するつもりなの?」
ゆっくりと逢沢がやってくる。喧嘩はしない。わたしからは殴らない。机を直しながら立つ。だが逢沢はわたしが立ち上がることを許さなかった。腕を掴んで引き寄せた。肉を握り潰しそうだった。骨を軋ませたがっている。認めたくなかった。わたしは逢沢を殴りたくなっている。蹴り上げたくなっている。ただ刻まれた感触だと思っていた。
「meのface立ててよ!こんなんでwinしたって、少しも嬉しくないな!」
「勝手に押し掛けてきて好きなことを言う」
潰しかねない腕を投げ捨てるように手放した。逢沢はよろめく。身体はその隙を狙って蹴りを撃ち込もうと反応した。次の動きが読めてしまう。勝手に動こうとする衝動を抑えねばならなかった。もしそのまま委ねてしまえば逢沢を潰してしまう。傷害罪だ。Aのようにしてしまう。わたしはまた責められる。それは嫌だ。ならばどうする?そうならないように、次の一撃で沈めればいい。一撃で?自信はなかった。人を思い切り殴るだなんて久々だ。眼前に飛んできた拳を掴んで捻り上げる。考えている時間がないなら作るしかなかった。立たせたばかりの机に押さえつけ、体重を乗せる。殴るなんて出来ない。逢沢に対して何の恨みもない。肉を叩きつけ骨を打ち痛い思いをさせるだなんて考えたくもない。
「っ、!」
「負けを認める。だから二度と五十音高校には、」
「don't kidding!meにもprideってものがある!井上学院で殴り倒してきた奴等にもな!」
逢沢はわたしの下で暴れた。気持ちは分からなくもない。ただ五十音高校の文化とは違う。巻き込まれるのは迷惑だ。学校間の乱闘を反対するための暴力は果たして有りだろうか?逢沢に当たらないように、しかし彼の頭の真横を殴って威嚇した。
「勝ちを認めて、二度と五十音高校には関わるな」
まだ暴れることをやめなかった。臀部がわたしのスカートを焦らす。
「二度は言わない。勝ちを認めるか、辱められるか」
わたしは逢沢のことは嫌いではない。人格的には好きな部類だ。穏和で棘がなく、明るさもある。
わたしの下で強張っていた彼の身体が弛緩する。しかし力が抜け切る寸前で再び暴れ始める。それが答えだった。
「残念だ」
白ランを捲ると学校指定らしき皮のベルトが締められていた。バックルを片手で外すとスラックスをずり下げた。
「何す、!」
現れた尻を弾くように叩いた。乾いた音がする。
「ひっ」
「恥ずかしいだろう?早く勝ちを認めろ」
尻を叩く。痣を残さないように内側に力を込めず、払うように。逢沢の尻は白かったためにわたしの掌の痕が付いている。
「っう!」
「井上学院の勝ちだ。何をこだわる?番長 にはなったんだろう?」
逢沢はまた暴れた。後ろでに拘束しているわたしの腕を振り解こうと身体を揺する。また引き締まった尻を叩く。
「あっ!」
スラックスからベルトを抜いた。2つに折って逢沢の上半身を乗せている机を叩いた。わたしも耳を塞ぎたいほどだった。間近で聞いた逢沢はどうだろう。
「井上学院の番長としてお前を陵辱する。お前の肉体 であることに変わりはないが、逢沢、お前自身には何の恨みもない」
掌で何度も尻の肉を打つ。乾いた音が耳を劈く。
「あっ、くっ…んっ、ぁっ!」
日に焼けていない尻が赤く染まっていく。肉を打つ音が鼓膜を殴る。
「五十音は負けた。もう二度と浅海にも尾久山にも手を出すな」
尻の赤さをみて頭はもうやめろといっているのに、掌はまだ衝撃を求めていた。肌を打ち、肉が歪み、皮膚が染まる。これも暴力だ。しかしわたしのスカートの裾は空間を作り、プリーツを押し上げていた。勃っている。性的な欲求を覚えたつもりはないが、興奮しているらしい。このままでは本当にどうなるか分からない。
「五十音は負けた。いいな?約束してくれ」
HR が始まる5分前のチャイムが鳴る。もう時間だ。少し遅れることになる。尾久山と浅海は大丈夫だろうか。逢沢を放す。赤くなっている肉感が眩いほど網膜の裏に張り付き、彼に背を向け無理矢理視界から外した。陵辱する、それはあくまで彼の尻を晒し、幼子の折檻のようにするだけで、それ以上のことをするつもりはない。
「井上 学をバカにするな!」
教室に戻ろうとしたわたしに回し蹴りが飛ぶ。振り返り、潜るように躱して逢沢へ接近すると白ランの胸ぐらを掴んだ。
「五十音を蔑ろにしているのは井上学院のほうだろう。逢沢、お前一個人には関係のない話かも知れないが」
わたしの腕を剥がそうとするため空いた手で逢沢の細い顎を掴んで持ち替えた。
「お前らの勝ちだ。江尾工業も五十音に興味を失くして井上学院に標的を変えるだろう。あとは好き勝手やってくれ。ただし五十音を巻き込むな」
「NO!」
逢沢はわたしを殴ろうとする。わたしの足を払おうと躍起になっている。指を3本、小さな口に突き入れる。上顎がわたしの指を噛んだがすでに掴んで前歯に押し付けていた舌ごと潰れる。冷たかった指先が温かくなる。
「っつ、!」
「喧嘩じゃ済まなくなる」
前歯が上がる。怪我しない程度に下の前歯に舌を押し付ける。逢沢はわたしの腕を離そうと引っ張ったり引っ掻いたりした。指先が温かく、心地良い。
「井上学院の勝ちだ。五十音は潔く負けを認める」
逢沢の歯がまたわたしの指先に刺さった。口を塞がれ言葉になっていなかったが返答は拒否だった。
「分かった」
まだ口腔の温度が惜しかった。頭部を投げるように放す。あれだけ温かったのに口から出せばすぐに冷えた。そう感じただけなのかも知れない。指の甲の皮膚が破れ血が滲んでいる。しかしよく見ている余裕はなかった。ステップを踏んだ逢沢が体重を乗せて襲いかかる。片足を後ろに回し、宙を殴った腕を掴んだ。バランスを崩した腹に膝を入れそうになり咄嗟に力を込め、支えるように彼の腹に添えてから下ろした。それから何度か拳を受け止める。反射的に脚が出て、逢沢を蹴り倒しそうになった。気を取られてしまう。それが大きな隙となって頬に殴打が入った。
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