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第5話 秘密(Simon side)
「休暇は如何でした?」
秘書のミズ-ノースが、コーヒーのカップをデスクに置きながら、私に訊く。
「最高だったよ。」
私は微笑みながら答える。
本当に最高のバケーションだった。
まだ、微睡みの中にいる彼の瞼にキスして、ストリートに出た私の目に、マンハッタンの朝陽はこのうえなく眩しかった。
警戒はしていたつもりだったが、道端に座り込むアル中の若者や有色人種(カラード)の少年達、ホームレスの婦人が、怪訝そうな眼差しで私を見ていた。だが、彼らの誰もが声も掛けては来なかった。あの街では異邦人な私なが、あまりにも軽快な足取りで歩いていたからかもしれない。
『楽しそうだね。』
と階段に気怠そうに座っていた老人に言われた。
『ええ。』
と私は、答えた。
実際、私の胸は高揚していた。私が大人でなく、あそこが危険なニューヨークの下町で無かったら、間違いなくスキップしていただろう。
何故なら、私は、遂に『彼』を、私の騎士(ナイト)を見つけたのだから。
確証はないが、私の中には確信があった。柔らかなウェーブのかかった黒髪、黒い瞳---やや下がり気味の目が照れくさそうに笑うと私はとても嬉しかった。手足の長い長身をやや猫背気味にして、咥え煙草で眼を細める『彼』は、あの頃はたぶん17歳。あの独特の訛りで、私を「お姫さま(プリンセス)」と呼んだ。
あまり男らしいと言い難かった私は、女の子のようだ---と揶揄されることが好きでは無かったが、『彼』にだけは腹が立たなかった。『彼』はまごうことなき「騎士(ナイト)」だった。
周囲の邪な視線や企みから、非力な私を守ってくれた。
そっと前髪を上げて見た額の傷跡は、間違いなく、『彼』が私の騎士(ナイト)である証---。無法者に乱暴(レイプ)されそうになった私を身を挺して命懸けで守ってくれた時に、無法者が振りかざしたナイフに切りつけられた傷、そのままだった。
『彼』は、額から多くの血を流しながら、大人ぶって、咥え煙草で言った。
ー気にすんな。あんたは俺の「お姫さま(プリンセス)」なんだから、守るのは当然さ。こんな傷、なんて事無いさ。騎士(ナイト)の勲章ってヤツさ。ー
はにかんだ笑い顔が眩しかった。あの頃の私の唯ひとりの友達。唯ひとりの味方---。
「本当に楽しかったんですね。」
ミズ-ノースが言った。
「あなたが微笑むなんて。」
「そうだな。」
と私は答える。
ここでの私の渾名は、「アイス-ドール」。表情は人には見せない。
けれど『彼』の『J(ジェイ)』の煙草(シガー)の味のするキス---昔と同じ煙草(シガー)の薫りに抱かれて、ほんの少しだけ、心が綻んだ。私の騎士(ナイト)、私の『J(ジェイ)』---君は憶えているだろうか、別れ際の君の言葉、私の言葉を---。
君は、不良と言われ、鼻摘み者と言われていた。けれど私には、誰よりも大事な、信ずることの出来る唯ひとりの存在(とも)だった。だから、君があの町を出ていく日に、私は言った。
ーでも、ボクが危機に陥ったら、助けに来てくれるよね。君はボクの騎士(ナイト)なんだから---。ー
ーああ、必ず助けに行くさ。お姫さま(プリンセス)---。ー
そして、その言葉どおり、君は私を助けに来てくれた。あの倉庫での再会は、騎士物語(ローエングリン)そのものだった。
けれど---
「秘書官、国務長官からお電話です---。」
「繋いでくれ。』
私はもはや、純真無垢なお姫さまではない。
だから、君に気付かせるわけにはいかない。
悪魔とでも取り引きをする魔女の私がかつての姫君だったことを---。
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