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第6話 誘惑

「やぁ....」  俺は、古ぼけたドアの前に、不似合いな微笑みを見つけた時、正直、硬直した。『やっちまった』あの夜から、俺の頭の中に住み着いた栗色の髪と鳶色の瞳......が、俺のオフィス兼棲みかのドアを塞いでいたのだ。 「あんた......」  言いかけた俺に少々不服そうに口の端を歪め、組んだ腕に添えた指先を小刻みに動かした。 「サイモンだ、『J』。依頼人をあまり待たせるのは良くないな。......暖かい珈琲でも入れてくれないか?」 「依頼人て......サイモン、あんた.....」 「話は後だ。先ずは部屋に入れてくれないか」 「あ、あぁ.....」  鍵を開ける指先が不器用に震える。俺をじっと見つめる鳶色の眼差しに何も返す言葉が思い付けなかった。俺は眼を伏せたまま、彼を部屋に招き入れ、ドアを閉めた。  急いで、ドリッパーを仕掛け、珈琲を抽出する。サイモンの目差しが背中越しに俺を突き刺している。在り合わせのカップを戸棚から引っ張り出して、サイドテーブルに置いた。 「何か、探し物かぃ?.....秘書官どの」  ゆっくりとカップに珈琲を注ぎながら、自分を落ち着かせる。実際、滑稽なほどに俺は狼狽えていた。大概の依頼人...探し物でも殺しでも、どんな相手でも互角に渡り合ってる俺が、らしくもなく気まずそうな顔をしているのを、やつは、サイモンは不思議そうに見た。 「今さら、何を惚けるんだい、『J』。私の依頼が探し物なわけはないことくらい、わかっているはずだろう?......あぁ、そうでもないか」  珈琲を差し出すと、サイモンは、小さく―ありがとう―と言い、ゆっくりと一口、味わってカップを置いた。 「君の淹れる珈琲は、いつも深みがあって美味いな......」  ゆったりと微笑むサイモンと向き合う俺は、なんとも居心地が悪く、なんにせよ、早く話を済ませてしまいたかった。 「で、どんな用件なんだ?」  サイモンは急かす俺の落ち着きの無い様子を無視して、珈琲をゆっくり飲み干した。そして、折り目のきっちりついたスーツの内ポケットからUSBを取り出した。 「なんだ?」 「大統領の側近の中に、チャイニーズ-マフィアと通じている者がいる。それを消して欲しい。......だいたいの目星はついているのだが、私は裏社会には暗くてね。なかなか動きが掴めない」 「俺にスパイの真似事をしろと?」 「裏社会に顔の効く君の力を借りたいんだ。報酬は弾む。......それと、D.C.の郊外に事務所がわりのアパートを借りてある」 「アパート?」 「ニューヨークはD.C からは遠くてね。大家も住人も口は硬い。今度の仕事が終わるまで使ってくれ」 「連絡ならモバイルやタブレットで充分じゃないのか?」 「ネットはハッキングされる。アナログの方がむしろ安全だ。......それに」 「それに?」 「君に、会いたい時にすぐ会える距離がいい」  上目遣いで俺を見上げる目が潤んでいるように見えたのは、気のせいだろうか?胸とあっちが、ズキリと疼いた。 「おぃおぃ、口説いてるのか?......お嬢様がそんなことはするべきじゃないぜ.....」  軽口を叩いて揶揄して、ヤツが怒って部屋から出ていってくれることを期待した。が、動揺を隠しきれない俺に、ヤツは小さく笑ってなおも追い込んでくる。 「昨夜、君が口説いたストリート-ガールよりはテクニックは落ちるが......。見ず知らずの女性を口説くよりは危険は少ないと思うが?」 「サイモン、あんた......」  唖然とする俺の胸元にしなやかな指先が伸び、タイを緩めた。 「大事な案件なんだ。是非、君の手が借りたい......」 「大統領のためなら、身体も張る......というわけか?」 「悪いようにはしない。私は君を裏切りはしないし、プロセスについては詮索しない」 「そうは言うけどなぁ......」  俺は俺を裏切り、妙に元気になりっぱなしの分身をなんとか宥めようとサイモンの手を払おうとした......が、ヤツはあろうことか、俺が手を焼いているそいつをスラックスの上から、さらりと触れた。 「おぃ......」 「交渉の続きは、リラックスしてから、ゆっくり話をしよう......」  細い腕が首に回され、薄紅色の濡れた唇が寄せられたところで、俺の理性は簡単にぶっ飛んだ。手練れの娼婦よりももっとタチの悪い、初心な男に、俺はいとも簡単に陥落した。  ベッドの中の反応は、どう見ても睦事に慣れちゃいない奥手そのもので......、なのに俺はそいつに埒も無く惹かれた。それはたぶん、あの面影に、ひどく良く似ていたせいかもしれない。  結局のところ、俺はヤツの中で弾け、ヤツは羞じらいながら幾度か達した後で、俺に仕事を了承させた。 「君の側にいると、何故か安心するんだ.....」  胸元に顔を擦り付けて甘える大統領秘書官どのに、たった二度のセックスで呑まれた俺は、もしかしたら、相当にチョロい男だったのかもしれない。

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