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第6話

 真優子が眠りについた後レイは起き上がりリビングで一人酒を煽っていた。もう何も考えたくなかった。だからといって死ぬ気にもならずただぼんやりと壁の時計を見つめていた。いくら飲んでも酔わない。酔えない。 ──……高浜さんに言いたいことがあるんでしょう? だから、探していたんでしょう。  高浜に言いたいこと。想いが溢れ出して叫びだしたくなることは今まで何度もあった。その度にレイは自傷行為に走った。それは本当に死に至りそうな行為からほんの少しの痛みを味わうくらいの行為まで様々だった。それしか方法がなかった。自分を痛めつけることで何とか生きてこられた。そうしなければ生きてこられなかった。高浜に会ったら。言いたいことなど死ぬまで言ったとしても足りないかもしれない。ずっとそのことだけを考え続けてきた。この執着はいつか鈍い色を放つ殺意にまで変わっていた。高浜を殺して自分も死ぬ。それほどまでに思っても高浜には結局レイの存在など取るに足らないもののひとつなのだ。哀しいことに。  いきなり真優子の携帯が鳴る。静まり返った部屋にそれは響きレイは驚いて絨毯にグラスを落としてしまった。もう夜中の三時だ。いったい誰が。とりあえず真優子に渡そうと思いテーブルの上に置いてあった携帯を持ちふと光る文字を見てレイは息を飲んだ。 ──高浜悟。  その文字がレイの手を震わせる。なぜ、こんな時間に真優子の携帯に。レイは瞬間的に玄関へと携帯を持ったまま走った。大きく息をして画面を押す。耳に当て高浜の声を待った。 「……なぁ、真優子さん……俺は、あの時、死んでたほうがよかったのかな」  レイは耳を疑う。あまり、呂律が回っていない。声が聞き取りにくい。飲みすぎたのだろうか。高浜らしくない。レイは後ろを気にしながら耳を澄ませた。 「……俺は、あいつを愛してた。なのに……俺は刺されたことより、あいつをそこまで追いつめた自分が怖かった……」  激しくなる呼吸が聞こえないようにレイは携帯の下部を押さえる。高浜は何も気付かずに続けた。いや独り言のようだった。 「……愛してるというのは、錯覚だったのか……? 愛するって、どういう感覚なんだ……? 俺が感じていたあの想いは、いったい……」 「……レイ!」  背後から声を掛けられてレイは驚いて振り向く。そこにはガウン姿の真優子が立っていた。 「何してるの……いったい、誰と話してるの」 「真優子さん……」  レイは携帯を落とした。それを見て真優子は驚いたようにレイを見上げる。真優子はレイの表情を見てすぐに相手が誰かわかったようだった。跪いて拾い上げると耳に当てる。 「高浜さん! 高浜さんでしょ!」  高浜の声を聞いた途端、真優子は急いで寝室へと走っていった。追っていくと真優子はガウンを脱ぎ捨てクローゼットから厚めの黒のロングコートを出して急いで羽織った。そして電話に向かって大声で叫んだ。 「高浜さん、しっかりして! 今、行くから!」  レイは呆然として真優子の慌てた様子を見ていたが横を擦り抜けようとした真優子の腕を思わず掴んだ。 「レイ」 「……どこへ行くの」 「どこって、高浜さんのところよ、放して、レイ」 「高浜さんが、どうかしたの」 「危ないの。薬を飲み過ぎてる。間違えると死ぬわ」  やはり真優子は知っていたのだ。真優子はレイが思うよりも多く高浜のことを知っている。そして高浜が意識が混濁した状態で連絡してくるのは真優子のところなのだ。レイには理解できなかった。 「こんなこと、今まで何度もあったの」 「……放して、レイ、急ぐのよ」 「どうして。高浜さんはあなたの何なの」 「……レイ?」  レイは真優子の前に立ち塞がる。 「高浜さんに、僕を取られたくないと、あなたは言っていたじゃない」 「……そこを退いて」 「あなたは言ってることと、やってることが違うよ」 「レイ」 「高浜さんが死ねば……僕はあなたのものだよ」  真優子の平手がレイの頬を叩いた。目が覚めたようにレイははっとする。 「そんなこと、今は関係ないわ」  真優子は薄い肩でレイを押し退けるとそのまま走り出した。玄関のドアの閉まる音が重く聞こえる。レイはそのままその場に跪いた。両手で髪を握り締める。目を強く閉じ苦しい息を吐く。何てことを言ってしまったのだろう。こんなことを言うつもりではなかった。ただ。  高浜を憎く思ったのだ。弱さを見せる高浜を許せなかった。しかも真優子に。あの男は自分からすべてを取り上げないと気が済まないのか。許せない。死ねばいい。そう思ったのだ。だったらと、レイは思う。もしレイに助けを求めたとしたら? 自分は何と言ったのだろう。考えても考えてもやはり真優子と同じことをしたのだろうとレイは想像して、また自己嫌悪に陥った。この想いはいったい何なのだろう。名を付けるとすればそれは何なのだろう。自分のこの強い想いの正体さえもわからずにレイはずっと座り込んでいた。  寝室の壁に蹲ってもたれていつの間にか少し眠ってしまっていたらしい。携帯の音で目が覚めた。真優子だ。レイは薄暗い部屋の中をのろのろとリビングへと歩いた。出る前に切れてしまえばいい、そう思ったが呼び出し音は根気強く鳴り続けた。ソファにゆっくりと座って手にした携帯を耳に当てる。 「レイ? 私よ」 「……うん」 「……高浜さん、本当に危なかったの。あの人、亜由美さんが亡くなってから、クリニックに通うようになってね、精神安定剤や、睡眠薬を飲んでたの」 「……そう」 「……大量服用してね。お酒も飲んじゃって……」  レイはぼんやりと目を閉じる。助かったのか。複雑な気分だった。 「……切るよ」 「待って、レイ」  真優子が畳み掛けるように続けた。 「許せない気持ちはわかるけど……」  ボタンに手を掛ける。 「港総合病院よ! レイ!」  僅かに聞こえたがレイはボタンを押して一方的に会話を終わらせた。自分に来いと言っているのか。港総合病院。高浜のマンションから近い病院だ。場所はだいたいわかったがとても行く気にはならなかった。行っても高浜を更に突き落とすようなことしか言えない。そうしたら高浜はまたこんなことをするのだろうか。だいたいバカげている。薬と酒を大量に飲んで真優子に電話をすれば助かるに決まっているではないか。狂言もいいところだとレイは冷めた気持ちでいた。しかし心のどこかでいつ死んでもいいと思いながら何とか生きてきてしまった自分を重ね合わせ複雑な気分にもなる。高浜は今何を考えているのだろうか。レイは立ち上がるとゆっくりと寝室へとコートを取りに行った。  眩しい外の日差しに目を細めながらレイは前髪でそれを遮るようにして病院へと向かった。入り口で何度も迷ったが真優子に会いに来たと思えばいいと思い切って足を踏み入れる。レイは人目を避けるようにして総合入り口で高浜の病室を尋ねた。エレベーターの前でもまだ悩む。そんな時に限ってエレベーターはすぐに降りてきて、レイは仕方なく中に乗り込んだ。三階のボタンを押し表示を見つめる。開いた扉の前にはナースセンターがありレイは高浜の病室の番号を告げた。看護士に指さされたすぐの部屋は個室でそっと中を覗くと真優子がいなかった。困った。入るに入れない。レイはもう少しだけドアを横へ滑らせると高浜が眠っているかどうかだけ確かめようと思った。眠っている。とても疲れた寝顔だった。レイはそっと中に入るとベッドへと近付いた。ゆっくりと少しだけ開いた唇に自分の指を当ててみる。温かい。あんなに冷たかった唇が、今は。レイは目を閉じた。もう帰ろうと思った。ここに来たら何か答えが出るのかと思った。だが自分の心は空ろなままだった。もちろん高浜が生きていて良かったと思わなかったし、死ねばよかったのにとも思わなかった。その時。 「……き……」  レイは目を開いた。唇から手を放す。 「瑞樹……」 「……誰?」 「瑞樹……」  高浜の目の際から涙が一筋流れた。点滴をしている左腕の指先が少しだけ空に上がる。何かを掴もうとしているように見える。レイは思わず身体を引く。その指に触れられないように。高浜は一瞬幸せそうな笑顔を見せた。そして次の瞬間には苦しげに眉根を寄せた。 「……レイ?」  レイが振り返るとそこには真優子がいた。近付いてきて高浜の顔を覗き込み慌てて枕元のブザーを押した。 「どうしました?」 「苦しそうで、どうしたら」 「今すぐ行きます」  くぐもった声がぷつんと途切れた。真優子が振り返る。 「レイ、彼に何をしたの」 「何も……ただ……」 「ただ?」 「瑞樹って……誰?」 「それは……」  続けようとしたが医師と看護士がやってきて二人は外へと出された。看護士がすぐに顔を出して心配はないと言ってきた。ほっとしたように真優子はレイを見上げた。 「知ってるんでしょう?」 「知らないわ。本当よ。それがどうかしたの?」 「……高浜さんが……譫言で……」 「瑞樹……って?」 「……うん」  真優子は記憶を辿るように遠い目をした。 「……聞いたことがないわ。彼が初めて店に来たのは三年前だけど……すぐに、あなたのお姉さまに……。その後、確かにいろいろなことを話すことはあったけど、一度もその人の名前は……」  レイを見上げて真優子は淋しそうに笑った。 「私、あなたが思うほど、あの人のことを知っているわけじゃないわ」  病室から出てきた医師が真優子を呼んだ。話をしている間にレイはその場を後にした。もうここにいる必要はなかった。  いつの間にか乾いて冷たくなった空気が全身に当たってレイは身体をすくめる。ポケットに両手を入れとにかくその場を離れようと思った。 「……レイ!」 「……真優子さん」  真優子があのコート姿のまま飛び出してきた。そうだ。着替えを持ってきてやることも忘れていた。コートの下は下着姿のようなものだ。困っているのも気付いてやれない自分はやっぱりダメな人間だと思う。高浜がどうだという前に自分のことをしっかり見つめなかった。それが今こんなことになっている。すべては自分が招いたことに違いなかった。 「ごめんね、真優子さん。今から帰って、何か服を……」 「大丈夫よ、それより、あなたこそ、大丈夫? レイ」  レイは頷いた。 「……顔が青いもの。……眠ってないのね」 「真優子さんだって、寝てないんでしょう」 「私はいいのよ。帰ってゆっくり寝なさい」  レイは真優子に向き直り俯いた。 「……僕が……高浜さんのこと見てるから。真優子さん、帰って、休んでよ……」 「……レイ」  真優子は一瞬困惑の色を浮かべたがすぐに微笑んで頷いた。 「……じゃ、お願いね」 「……はい」  真優子を思って言ったつもりだったが通じているだろうか。二人は一度高浜の部屋へと戻った。すると高浜が目を開けていた。二人を見て驚いたような顔をしてそれからいつものように落ち着いて笑った。 「高浜さん」 「すまない、真優子さん……迷惑を掛けた」 「……いいのよ。……私は一度帰るから、あとはレイにあなたを任せるわ」  高浜の視線を感じたがレイは顔を逸らしたままだった。そんな二人を見て真優子は戸惑ったようだったが思い切って部屋を後にした。  長い沈黙が続く。レイは窓の外に視線を投げたまま高浜を見ようとはしない。高浜が苦笑した。 「……君にも、迷惑を掛けた。……すまない」 「……狂言もいい加減にしないと、今に信じてもらえなくなりますよ」  高浜は言葉に詰まったようだった。こんなことを言いたいんじゃないとレイは思いながら、でもほかに何も言葉が思い付かない。シーツが擦れる音がして高浜を見ると起き上がろうとしている。思わずレイは両手を差し伸べて尖った肩を支える。視線が間近で合ってレイは息を呑んだ。 「……君は、言ってることと、やってることが、違うな」  真優子に投げた言葉。自分がおかしいのだ。狂っているのだ。レイは両手を引く。高浜がゆっくりと起き上がった。枕元のブザーを押す。 「どうかしましたか?」 「家に戻ります。手続きをお願いします」  レイはいぶかしげに高浜を見たがそれを気にせず勝手に点滴を腕から抜いている。血が滲んでくるのを枕元にあったタオルで押さえる。看護士が慌ててやってきたのでレイは後ずさる。 「ダメですよ、高浜さん、今日一日は安静にしていないと」 「家で安静にします。病院は落ち着かない」 「……先生に、相談しないと」 「お願いします」

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