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 架空の会社のロゴを作るという課題を出すと、千坂くんはさらに印象深い作品を仕上げてきた。  案として描いたものも捨ててしまうのが惜しいほど個性的で、すべてを本気で買い取りたい気分だった。  さまざまな課題を出すうちに、千坂くんが彩色に興味がなさそうだと気づいた。  カラーの作品でも大体単色で、オンかオフかのモノクロな作品しか見ていない。 「千坂くん、色彩の授業も受けてるでしょ。全然いかせてないよ?」  イラストボードをフルに使ったポスター制作の課題すら、モノクロで描こうとしている。  意見すると、千坂くんはほおづえをついて濃紺で着色した下書きをながめ、僕を見上げた。 「俺、シンプルなものが好きなんですよ。できるだけ一色で描きたくて」  気難しい顔をした千坂くんらしいこだわりに、思わず笑ってしまう。 「仕事で好きなものばかり描くことはないからね。せっかく勉強してるんだから、勉強してること全部いかして描こうよ」  色彩のテキストを開かせて、色相・明度・彩度対比を考えて描くように課題を出す。  千坂くんはしばらくテキストに見入ってから、僕がいることに気づいて慌てて頭を下げた。 「あ、わかりました。ありがとうございます」  僕が席から離れてからもテキストのページをめくっていて、千坂くんが彩色した作品に期待が持てた。  すぐに彼は色相環やカラートーン、色の意味や効果を把握して、オフロードバイクのイベント告知ポスターを描き上げた。  これを単色で描こうとしたなんて、なにを考えているのだろう。  どうしても少ない色数で描きたいようだけれど、色の選択にセンスがあるし、作品は十分魅力的で商用で通用するレベルだった。  その後も時々気になる点を指摘したが、大抵彼は独学で完璧に作品を仕上げる。  僕は課題を出すだけで、指導することなどほとんどなかった。  ただただ彼の作品を見て、素直に感動した点を伝えた。  翌年七月、求人票が公開されはじめる時期。  廊下で求人票を見ていた千坂くんに声をかけると、彼は僕にどのような会社で仕事をしているのかとたずねてきた。  他のバイト講師は授業中に雑談で自分の仕事について話すそうだ。  僕はまだ未熟な人間であるし、無茶な日常は参考にはさせられないのでまったく話題に出したことがない。  でも学校での会話は僕の数少ない娯楽、隠すつもりもないので千坂くんに仕事のことを話した。  自宅にいながらネットで仕事を探したり受けたり、人づてに仕事をもらったりしてそこから少しずつ仕事を増やしている。  仕事が絶えない保証もないので、この体制は学生にはすすめることはできないと説明する。  自宅で仕事をするためにそろえた設備のことや、空いていた部屋ひとつをカッコつけてデザイン事務所のようにレイアウトした話をすると。 「憧れるな。仕事場、見てみたいです」  千坂くんはそう、申し出てきた。  地味に続けている仕事を他人に評価されることはそうそうなくて、他人を仕事場にまねく必要も滅多にない。  なんだか嬉しかったので、僕は申し出をこころよく受け入れた。  友だちも誘って来るといいと提案したのだけれど、自宅近くの待ち合わせ場所に現れたのは千坂くん一人だった。  彼は自分一人に時間をさくのは無駄だったかと申し訳なさそうな顔をする。  僕はそんなことはないと、笑顔で仕事場にまねき入れた。  自宅マンションの一室、十畳ほどの白で統一した仕事部屋。  興味深く部屋をながめて回った千坂くんは、ふと思案するように立ち止まると、少し沈んだ表情で思いがけない言葉を口にした。 「先生、俺をここで雇ってもらえませんか?」  僕は、真っ先に、思った。  ずっと使いたかった彼の作品を、ここで使うことができる。  雇いたい、けれど。  僕一人だからこの場所で保障もなく無茶ができるのであって、千坂くんに同じ条件を強いるなんてできない。  将来有望な千坂くんがこんなところで働くなんて、惜しいどころの話じゃない。  でも。  千坂くんが欲しい。 「一つ、理解してもらえたら、いいかな」  条件を伝えようとして、口ごもった。  千坂くんを受け入れる覚悟はあっさりできたのに。  片親であることを語る決心が、簡単にはつかなかった。  無計画に子どもをもうけたおろかな人間であると、千坂くんに見損なわれたくない。  こわい。  だけど、それは事実で。  千坂くんが欲しいなら、隠し通すことなどできない、言わなければならないこと。 「僕はここに、息子と二人で住んでいるんだ。息子を優先して仕事をするけど、それでもよければ」  千坂くんは仕事場の壁に貼られた息子の描いた絵に目をやる。  僕が言わなかっただけで、部屋の中は子どもがいることが明らかな様相だった。  片親にもいろいろある、子どもがいることの理由など関係なしに、千坂くんは雇ってくれと言ったのだろうか。  そうなのだと期待しながら、僕は息子の生活に合わせて仕事をすると告げる。  千坂くんは検討する様子を一切見せず、短くこたえた。 「全然、構いません」  リビングで彼にコーヒーをいれて、千坂くんが専門学校を修了するまでに二人で業務ができるよう体制を整えると約束した。  千坂くんの技術で今までやらなかったような仕事も受けてみたい。  これを機会に法人格を取ろうか、法人化することでできる仕事も増えるはず。  たくさんの可能性が見えて、僕は浮かれて彼にやりたいことを列挙した。  息子を保育園に迎えに行く時間になると、千坂くんは深く礼を述べて帰路についた。  僕は一人リビングに戻り、飲み干されたふたつのコーヒーカップを片づけようとして、ふと、先刻を思い返した。  僕は、彼の能力ではなく、彼自身を欲しがってはいなかったか。  一人せわしなさに耐えるように過ごすこの場所で、有能な彼が介助してくれることを思いえがき、労働の部分ではなく精神的な部分で救われ、浮かれた。  気づいたことで、急に胸がきしんだ。  胸がきしんだことに、うろたえた。  どうして、こんな気持ちになっているのか。  こんな感情をいだくようなあいだがらでは、断じてない。  急いで胸のきしみを消し去ろうとしたが、余計に苦しくなるだけだった。  余裕のない日常の中、唯一の気を抜ける場所で、圧倒的な才能で作り上げられた魂のこもった作品をいくつも目の当たりにした。  その魂の持ち主に、僕は傾倒してしまったんだ。  間違いをたださなければとあせったが、壁掛け時計を見上げ、僕は慌てて家を出る。  忙しさにかまけて、僕は間違いを黙殺した。

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