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週明け、千坂くんは打ち合わせに出向いて事務所にはおらず、五嶋くん一人だった。
先週飲み屋でトラブルにあわせてしまったことをわびると、彼はいつになくまじめな表情で聞いてきた。
「先生、ちさっち好きなのに、なんで恋人になってあげないの?」
先日さらに親しくなったのか、千坂くんの呼びかたが愛称になっている。
彼は気まぐれで呼びかたを変える子なので気にすることはないのだけれど、やはり気になってしまう。
そして僕が千坂くんに想いを寄せていることを、案の定見透かされていた。
「千坂くんは若いんだから、僕よりもっとふさわしい人がいるんじゃないかな」
想いを消し去ることができないから、僕には彼を遠ざけるしかない。
「俺はちさっちには先生しかいないと思うよ?」
「もしそうだとしても、僕は幸せになってはいけないから」
僕は。
母親になりたくない人とのあいだに無計画に子どもをつくり、母親にならなくてもよいから子どもを産んでくれと、自分本位に願い出た。
千坂くんには話せなかったことを、僕は五嶋くんにあっさりと話していた。
僕が幸せになってはいけない人間であると、肯定して非難して、僕が千坂くんにはふさわしくないと認めて欲しかった。
だけど、五嶋くんは悲しそうな顔をするだけで、僕を非難しなかった。
「でもさ、先生が幸せにならないと、ちさっちが不幸になるよ。ちさっちの幸せってなんだと思う?」
千坂くんが不幸になんてなるはずがない。
彼は才能があってなにごともそつなくこなす、優しい人。
幸せになるための力を十分持っている。
「僕より素敵な人と、温かい家庭を持つことだって、思うけど」
僕が望む彼の幸せを答えると、五嶋くんは強気に反論してきた。
「あのね、ちさっちの幸せは先生とえっちすることだよ!」
彼は、積極的で、陽気すぎる。
想像もしていなかった答えに、僕はあっけにとられた。
五嶋くんは千坂くんが異性との交渉経験が皆無で、なのに僕に対してはそのたぐいのことを意識していると言う。
そんなことは聞けないし考えたこともなかったけれど、言われてみると千坂くんならそうなのかも知れないと、思えてしまう。
「先生のせいでちさっちが一生童貞って、あり得ると思わない?」
一生。
五嶋くんの言葉は、なんと言うか極論なのだけれど。
極論だからこそ、意思が揺れた。
僕が贖罪をやめなければ、千坂くんは幸せになれない。
そもそもこれは贖罪なのか。
むしろ新たな罪を犯してはいないか。
この先千坂くんが他の誰かと幸せになる未来は、それでもあると思う。
でも僕は、心の底ではそれを望んではいない。
それに彼は、僕と栄進に寄り添えるとみずから、念を押して僕に言っている。
想いは同じなのに、僕が僕の都合で彼を否定してしまっている。
僕が安らぐことで、一人では幸せにする自信のない栄進を幸せにできるかも知れない。
栄進にとっても千坂くんはすでに、保護してくれる大切な存在になっている。
僕が望むことは贖罪をなしとげることではなく、二人の幸せを願い、願いをはたすことではないか。
僕が幸せになることで願いがはたせる可能性があるのなら、幸せになることをこばむことこそおろかなこと。
「僕が一生息子に対して意味のないつぐないをするよりも、千坂くんを幸せにするほうが、重要だよね。僕にそれ、できる気がするんだけど、思い上がりかな?」
僕は今まで自分の欲を満たそうとして責任に押しつぶされていたけれど、僕の欲が千坂くんの欲とまだ同様であるのなら。
彼が寄り添ってくれるのなら、責任をはたすことは可能なのではないか。
そして、今まで僕は栄進と千坂くんを幸せにしようという努力はできて、多少なりとも彼らの力になれているという自負がある。
五嶋くんは心底嬉しそうな口調で僕を肯定した。
「そんなことない! 先生と一緒ならちさっち、一生幸せだよ。聞いてみなよ」
千坂くんが一生幸せになれる。
第三者の彼の迷いのない言葉に、僕の考えは間違えていないと後押しされた気がする。
後ろ向きだった僕は、彼の明るさで至極前向きになっていた。
週末の仕事上がり、僕は実家に帰りが遅くなるからと栄進を頼み、千坂くんを助手席に乗せて車で郊外に向かった。
ちょっと付き合ってとだけ彼に言うと、そのちょっとがなんなのか見当がつかないせいか少し不安そうにしていた。
やがて目的地に到着する。
ワンルームワンガレージ型の、ホテル。
千坂くんは、あせる。
「五嶋になにか言われたんですか」
「そうだけど、僕が来たくて来たんだよ」
五嶋くんが千坂くんとホテルに行ったのは、想いをおさえつつもあきらめきれない千坂くんが僕とホテルに行くための予行練習をしたからだと聞いた。
千坂くんをうながして二階の部屋に上がる。
彼は戸惑いながらも、僕の後を追って来た。
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