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こういう場所に来たのは十年ぶりだろうか。
とりあえずコーヒーをいれようとすると、
「俺がやります」
と、千坂くんが僕の手を止める。
どこか緊張したような彼に飲み物をまかせて、僕はベッドにかけて部屋を見渡した。
洒落た一軒家の広い寝室のような、普通の部屋。
ベッド脇のテーブルに千坂くんが二つのコーヒーを乗せる。
椅子に座ろうとするので隣に座るよう勧めた。
千坂くんは眉を寄せ少し離れた場所に静かに腰を下ろすと、膝の上に手を置いて小さく息をはいた。
千坂くんが困りはてる姿なんて見たことがないから、申し訳ないけれどなんだかかわいらしく感じる。
「あのね。前にきみを巻きこめないって言ったけれど、やっぱり千坂くんに栄進の父親になってもらえないかなって、お願いをしようと思ったんだ」
ずっと彼を困らせていても悪いので、結論を告げた。
千坂くんは少しこちらに身体を向けたけれど、僕を見ずに口を開く。
「お願いしたいのは、俺のほうです」
拒否をしてから彼の意思が変わっていなかったようで、安心する。
「俺は、学校に通っていたときから、社長のことが好きなんですから」
今までの想いをはき出すように、つらそうに、慎重にこぼす。
そうなのかも知れないと思いながら、聞けなかった言葉。
もっと、聞きたい。
「どうしてなのか、聞いていい?」
「社長が俺の描いたものを、ひたすら褒めるので」
彼と顔を合わせていたのが週に数時間の授業中だけだったころを思い返す。
彼は講師に気さくに声をかけるような性質ではなく、本当に指導の際にしか会話がなかった。
「俺は描くものに、結構気持ち込めるから。いろんな絵のいろんな感情を、誰にも見せていない俺のすべてを褒められたような気がしたから、……しかたないですよね」
伏した横目でようやくこちらを見る千坂くんが、僕のせいだと、責任を取れと言っているようで、こんなところもあるんだなと、心が揺れる。
「僕あのころ、千坂くんの描いた絵が本当に全部欲しかったんだ。あのころからきみ自身が欲しかったのかも知れない」
不意に千坂くんは、怒ったような泣きそうな表情で僕に手を伸ばした。
やや乱暴に僕を抱き寄せ、先日より確実に、唇を重ねる。
そして両腕で、強く僕を抱きしめた。
「だったら俺を振らなくてもいいじゃないか」
切実な声音がまた僕の心を揺らして、僕も彼の身体にすがって、くちづけた。
そして唇を離し、彼をうかがう。
彼は腕を解いて、少し不機嫌そうに僕を見る。
「ごめんね、僕は弱いから」
「なにを、言ってるんですか。そんな優しい顔して小さい体で、俺の倍は仕事して、栄進にも気をつかって。社長は強い人ですよ」
僕の弱音に、千坂くんは不機嫌なまま反論する。
僕の責任の重さからいって、まだまだやるべきことはあり努力が足りないと思っていた。
同時に、僕のキャパシティではこれが限界だと思っていた。
自分では引き離すことしかできないその差を、千坂くんが縮小してくれる。
それでもまだ責任のほうが強くて、首を横に振ると。
「社長は強いのに、自分に自信が持てない人なんですか?」
僕の身体はベッドに沈められ、彼は僕のほほに手を添え、耳元でささやく。
「納得するまで俺が何度も言いましょうか。社長は強い。栄進を守る優しさと強さが、今の俺にはあなたの中の一番の魅力です」
身体に響く低い声、首元をはむようにくちづけられる。
久しぶりに他人から与えられるこの類の刺激に息をつき肩をすくめると、彼はその周辺に幾度も唇を寄せてくる。
すべてが愛しい人にそのように触れられることは至福で、目がくらむ思いがした。
彼は優しい人であるが厳しい人でもあって、気休めや利益のために言葉をかけたりはしない。
彼の言葉は感覚とともに身体に染み渡り、僕は自分がまっとうな人間なのだと認識して、今までが報われ、この先に安堵する。
「僕の願いを聞いたら、僕は幸せになれるけれど、千坂くんはそうとは限らないよ。大丈夫?」
空気に流されて間違った選択をさせても心苦しい、問うと千坂くんは半身をやや起こし、僕の瞳をのぞきこむ。
そして迷いなく、僕を安心させるように、誠実な面持ちで口を開いた。
「いい加減、わかってください。社長と栄進が一緒なら、俺は一生幸せですよ」
「ごめんね、ありがとう」
僕が自身より重きを置く栄進にも彼は心を砕いてくれる、感謝しても、し尽くせない。
のぞきこむ彼の首に腕を回すと、彼は再び唇を交わらせる。
その烈 しさが、心強く、心地よかった。
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