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「僕はキミなんか好きにはならない」

 シャツを重ね着してジーンズをはいてバスルームから出る。  佐倉はまだベッドの上で、掛け布団を頭からかぶって寝ていた。 …いや、起きてる。  布団がかすかに震えている。 (泣いてるんだ…)  息が震えて、ときおり小さくしゃくりあげている。  声をかけようと思って、やめる。  加害者である俺が、今さら佐倉にどんな慰めの言葉をかけようと言うのか。  制服を拾って早く出よう。あたりを見回して、まずテレビの電源が落ちているのに気づいた。  さらに、床に散らばっていたはずの制服が、きれいにたたみ直されてテーブルの上にある。佐倉か?  不思議に思いながらテーブルに近づいて、気づく。 (村崎が来たんだ!)  それぞれの制服の上にクロークの番号札が置かれてあった。  カメラは4台ともそのままだが、電源は、やっぱり落ちている。  俺がシャワーを浴びて、着替える間に、ここに来て、制服をたたんで、テレビとカメラの電源を落として、…そして。 …佐倉が泣いているのは、村崎に何かされたから? …どうしよう。  いや、今の俺に、佐倉を気づかう資格なんか無い。もし何かいかがわしいことをされてたとしても、時間的に大したことはされてないはずだし…そう考えれば、圧倒的に俺のほうが“重罪”だし…。…でも。  俺が帰ったあと、奴がまた来たら…?  勝てんのか?佐倉は。 「シャワー、終わるまで待っといてやろうか?」  布団がビクっと動く。 「佐倉。」 「うるさい帰れ…」 (おお。)  発言は強気だな。(涙声のくせに)  俺の心配してる意味、わかってんのかな…。 「大丈夫、か?」 (ふたつの意味で。) 「…僕はキミなんか好きにはならない…」 …は? …なんだよそれ。 (俺、そんな思わせぶりな態度、とったかな。)  なんだかあわててしまう。  でもその意味を改めて思い直すと、心が少し重くなった。  彼にとって、脅威の対象となっているのは、もはや、奴だけじゃない… (…当然だよな)  早くこの場を去ろう。佐倉にとっても、そのほうがいいんだ。  クロークの番号札をフロントに渡して、“荷物”を受け取ったら、すべてが終わる。  佐倉とも、これで、最後。 (じゃあな。佐倉。)  声には出さず、荷物をまとめて、何も言わないまま部屋を出た。  今の佐倉は、…俺の声すら聞きたくないんだろう。 『やだあっ!』  エレベーターを降りた瞬間、ロビーのさざめきに佐倉の悲鳴が混じった気がしてギクリとする。 ――…空耳、だよな… (佐倉…)  村崎に乱暴されてないだろうか。  そういえば、佐倉に対する村崎の最後のペナルティを聞いてない。  戻るべきか。でもカードキーは置いて来たので部屋には入れない。 (フロントに連絡して、開けてもらおうか…。)  いや、そうなれば、佐倉の醜態が晒されることになるかもしれない。警察沙汰にでもなったら、佐倉はさらに追い詰められてしまうに違いない。 …警察…  そうか…俺が、村崎を裁くきっかけを作れば…  もし村崎がこのあと夕飯に出かけるとして、俺がロビーで待ち伏せして、村崎にからんで騒ぎたてたら? ――無理だよな…。  奴の顔を、俺は知らない。 「お顔の色が優れませんね。」  はっ  思わず顔をあげると、フロントの若いお兄さんが俺に向かってニコニコしている。 「こちら、お荷物になります。」 「あ、ああどうも…」  でかくてやたら頑丈な、白い紙袋を手渡される。村崎がクロークに置いていったやつ。  2倍入ってるだけあって、紙袋はいつもよりでかい。白いガムテープでとめられて、中は見えない。  見えたとしても、見た目はウサギのぬいぐるみが2体入っているだけだ。クスリは腹に縫い込まれてある。 「プレゼントですか。」 「え…」  また話しかけられて、お兄さんを見る。柔らかな笑顔。  俺がだまっていると、お兄さんは続けた。 「失礼いたしました。お荷物を預けられた方と受け取られた方が、違っていらしたもので。」 (…!)  この人、覚えてるんだ! 「確か、立花様でいらっしゃいますよね?受け付けの際には制服でいらして…」 「どんな人でした!?」 「は。」 「あ、えっと、いや、ほんとに覚えてるのかな、と思って…」  焦って露骨に聞きすぎた。荷物を預けた人物を知らないなんて…不審に思われただろうか。  でもお兄さんは、なぜだかそこでふっと笑った。その笑顔は、なぜか少し意地悪っぽくも見える。  お兄さんは俺に向かって軽く顔を近づけ、そして今度は、周りに聞こえないような小声で言った。 「大丈夫。僕は目ざといから。“お客”でしょう?後ろ髪を結んだ、黒い服のスラリとしたきれいな男の人。誰にも言わないよ。」 …なんだこの人、急に馴れ馴れしくなったうえ、変なこと言い出して…  お兄さんはまだニコニコ、というよりはニヤニヤして俺を見る。  意味わかんないけど、とにかく、村崎の外見に結びつくヒントは得られた。 「ども、ありがとうございます。」  荷物を抱えて、そそくさとフロントをあとにする。 (髪を結んだ、黒い服の、背の高い痩せ型の男。)  フロントに併設されたカフェに入って、フロントがギリギリ見える場所に座ってコーヒーを注文する。  カフェのなかはロビーより人がさざめいていて、夜だからか、打ち合わせをしながらサンドイッチを食べている社会人や、ケーキでお茶しながらまったり話す年配の女性陣、パソコンと資料を見比べながら携帯に向かってしきりにええ、ええ、とうなずく30くらいの男などがいる。俺は高校生だけど今は私服なので、周りは別に気にもとめないようだ。たぶん大学生くらいには見えてるんだろう。  コーヒーを飲みながら、ぼうっとフロントを行き来する大人たちを見る。客が少ないのか、あのお兄さんも手持ち無沙汰ぎみだ。ヒマだから覚えといてくれたのかも。 (髪を結んだ、黒い服の…)  別に村崎が現れることを確信してるわけじゃない。でも、もし現れたら… ――やだあっ  佐倉の怯えた声が頭のなかをひるがえり続けている。  向こうの顔も知らないまま、俺と佐倉は弄ばれた。 …こんなの、フェアじゃない。  このままじゃ、これからもずっと、繰り返すことになるかもしれない。佐倉の悲しみも、…俺の狂気も。  村崎が来たら、殴りかかって、とっ捕まえて、大騒ぎして、この紙袋ごと警察に突き出してやる。  村崎と一緒に捕まることはいっこうに構わない。それで佐倉が明日から安心して眠れるんなら。(もっとも、俺のそんな奇行なんか、俺の顔も本名も知らない佐倉は気づかないだろうけど…) 『スラリとしたきれいな男の人』  あのお兄さんはほんとに変なことを言う。でも、少なくとも痩せてはいるんだろう。想像してたのは、オタっぽい汗かきの、いかにも変態な中年。 (きれいな、とか言うか普通?)  まあ、あのお兄さんもちょっと俳優の向井理似で、かっこいいっちゃ、かっこいい。でも“きれい”なんて言葉は普通、男が男に対して使うもんじゃない。と思う。  やっぱ変だ、あのひと…あ、 (やばい。また目があった。)  客のいないフロントをさっきからぼうっと見ていたので、何度かお兄さんと目があってはいた。 (見てませんよ。)  視点をボヤかしてお兄さんの後ろのデカい柱時計を見ようとしたら、 (?)  お兄さんは俺にウィンクをした。 --------→つづく

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