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 おまけに別のスタッフに何か声をかけてから、フロントを出てこっちに来る。 (え、え。ちょっと…)  俺が思わずコーヒーカップを置くと、お兄さんは俺のすぐそばまで来て、傘を差し出してくる。 (へっ…)  なるほど、外が暗くなっていたのですっかり気づかなかったけど、カフェから見ると外は土砂降りの雨模様だった。どうりでカフェにも社会人ぽいのが多い。  なんだ、この人、いい人じゃん…――と思いかけて、 「雨宿りじゃないんだ?やっぱり、誰か待ってるの?」 (え…)  背筋が凍りつく。  なんでばれたんだ!?  お兄さんに『ほらね』、という顔をされる。 「今日の客は、彼だけじゃないんだね。まだ決まってないんなら、僕そろそろ上がるんだけど。」 ……? 「あのコもまだ上にいるの?キミたちかわいいから、高いんだろうけど。」 ……。 (!)  この人、俺のこと、デリヘルかなんかだと思ってんだ!! (しかも佐倉と組んでることになってる!?)  失礼だろ! …いや、そう見られる俺たちが悪いのか。  怒るべきか落ち込むべきか、何も言えずにいると、お兄さんは傘をテーブルの隅にかけた。 「とりあえず傘はあげるよ。その気になったらフロントまで返しに来て。…って言っても、その様子じゃ僕はタイプじゃないみたいだね。傘は返さなくていいよ。気が向いたらまたうちに来てね。」  フロントで見せた柔らかな表情を全く崩さないまま、お兄さんはサラサラとすごいことをたくさん言ってのけ、また軽くウィンクをして、くるりと回ってフロントに帰って行った。  立ち去るお兄さんを、ケーキを食べてた女の人たちのうちの何人かがちらりと流し見た。  なんだか落ち着かなくなった。そんなふうに見えるのか?俺。てか、ほんとにあるんだ、そんなディープなサービス業。 …まあ確かに、いかがわしいことをしてたんだけど。佐倉と… ――アァア…っ!  ああ。また思い出してきた。しかも今度は声だけじゃなくて、体…滑らかな肌や、細い腰や、白いノド…  ダメだ!くそ!  あわてて顔をこする。 「はあ…」  あのお兄さんのせいだ。変なこと言い出すから… (――!!)  佐倉…!  フロントに佐倉がいた。向こうを向いていて顔は見えないが、確かにあの制服、髪型。  うつむいて、恐らく荷物を待っているんだ。 (あの変なお兄さんは…)  いつの間にかフロントには行列が出来るほど人がいて、フロント内はフル稼働している。お兄さんも別の客の接客中。佐倉にかまう余裕はないようなので、ちょっとホッとする。  お兄さんとは別の人が、俺のと同じ、白い紙袋を佐倉に渡している。…決定的。  佐倉はずっとうつむいていたが、荷物を受け取るとそのままこっちを振り返った。  あわてて視線をそらしたものの、そうか、向こうはこっちの顔を知らない。  目線の隅に、佐倉がうつむいたままロビーをのろのろと進んでいくのが見える。 …顔…。  アイマスクをしていない佐倉の顔、ちょっと見てみたいな。  さっきは一瞬だったしうつむいていたから、よく見えなかった… …なんて、バカか俺は!  好奇心にもほどがあるだろ。心の中で佐倉に詫びる。 ――傘、持ってんのかな。  佐倉はそのまま出て行くようだ。  外は土砂降りなのに。(タクシー使うのかも。)  佐倉は視線を下に向けたまま、ついに外へ出て、タクシーが並ぶロータリーへ向かう。  ロータリーの歩道に向かって右に折れ、エントランスを抜けて、とうとう雨に濡れ始めてしまったが、傘を探す気配はない。タクシーに声をかけるふうでもない。  濡れたまま帰る気だ。電車で帰るんだろうか。ここから一番近い駅でも、500mはあったと思う。  ふとフロントを見ると、あのお兄さんがチラチラと佐倉を見ている(気がする)。  まごまごしてたらあのお兄さんが今にも佐倉にまで駆け寄って行きそう。村崎への計画も気になったが、それより今は“佐倉な”気がする。制服の細い背中が少しずつ濡れていく。 ――なんか、  今は守ってやらないと…俺が  傘を取ってバッグを肩にかけ、急いでカフェを出る。ロビーを横切るとき、一瞬お兄さんがこっちを見てにやりと笑った気がした。  外に出ると予想以上に雨足が強い。すぐ向こうの佐倉が軽くかすんで見えるほどだ。佐倉は数十歩しか歩いてないけど、すでにずぶ濡れだろう。  傘をさして急ぎ足で近づく。佐倉はとぼとぼとゆっくり歩くので、すぐに追いつけた。  佐倉のすぐ後ろまで来て、なんと声をかけようか惑う。  濡れるよ  傘使えよ  俺タクシーだからいらないから  うん、そんな感じ… …にしても、 (白いな、佐倉。)  白くて細いうなじに、真っ黒な髪からしたたる雨のしずくが流れて、制服のなかへ、背中へ向かって、落ちていく。  きれいだ。  そう思ったんだった。俺も。  あのときの、俺の腕のなかの佐倉を見て。 “きれいな、とか言うか普通?”  なんだ。使える奴もいるんだな…。 「佐倉…」  俺がつぶやくように声をかけると、佐倉の肩がビクッと震えた。 「傘、」  俺がそれだけ口にしたとき。  佐倉は振り向きもせず、突然前方に向かって駆け出した。 (えっ!)  全力疾走なんだろう。細い背中がみるみる遠ざかる。ロータリーの出口で、歩道に沿って左に大きく旋回し始めた。 (逃げることないのに!)  いや逃げるのか普通!  あ! 「さくら!」 右見ろ!  叫んだのは、ロータリーに向かってタクシーが左折を始めていたから。 (…巻き込まれる!) ---------→つづく

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