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泣き顔
タクシーに気づいた佐倉は、しかし急には止まれなかったのか足がもつれたかで、タクシーの進行方向でバランスを失い、よろけ倒れて膝をつく。
(とろっ!)
あわてて駆け寄る。タクシーは佐倉の目の前で急停車した。
横断歩道の線の上に手をついた佐倉の姿が、タクシーのライトにくっきりと映し出された。
うずくまった佐倉の周りで、雨が、針のように乱反射している。
「当たったあ!?当たってないよねえギリギリ!」
タクシーの運転手が血相を変えて降りて来て、佐倉に話しかけている。佐倉は呆然としているようだ。
「佐倉!」
小さな背中を後ろから抱え込むと、
(冷た!)
ずぶ濡れの制服は氷みたいだった。
「友達?見てた?当たってないよねえ今。」
「おじさんタクシー乗せてください!」
「病院?行くの?いやあそんな強くは…」
「ちがう風邪ひく!佐倉が!」
俺の必死の剣幕に気おされたのか、運転手さんは「あ?ああ…」 と間抜けな声を出して、後部座席のドアを開けた。
「立てるか佐倉。」
言いながら佐倉を引っ張り起こす。
タクシーの周りには少しずつ人が集まり始めていたので、面倒なことにならないうちに早くここを去るべきだ。(何しろ2人ともヤバ系のクスリ持ってるし。)
「ずぶ濡れだねえそのコ…シート濡れちゃうなあ…」
運転手はブツブツ言いながら、バスタオルを貸してくれた。
佐倉は後部座席に座ってからも、うつむいたままじっとしている。差し出されたバスタオルをひろげて佐倉の頭からかぶせた。
運転手にはとりあえず俺の家の住所を伝える。ここからなら車で20分かからないし、着替えも俺の服がある。佐倉は早く着替えさせたほうがいい。
運転手は車を発進させるとすぐに無線でどこかに連絡を取り始めた。
と、佐倉が、うつむいたままでポツリとつぶやく。
「本当に来るなんて」
「え?」
「…で、僕はどこに連れて行かれるの?」
えっ。
ああ…警戒してるんだ俺のこと。気が動転して自分の家しか行き先が思い浮かばなかっただけなのに。
「早く着替えたほうがいいと思っただけで、別に佐倉の家でもいいんだ。そこまで送ったら俺はこのタクシーで帰るよ。」
「…家…」
「どこでもいいよ。お前の行きたいとこで。でも、早く着替えないと風邪ひくぞ。」
交差点で停車したとき、佐倉が細かく震えてるのが見えていた。
佐倉はだまってしまった。
信用させるために、続けてみる。
「俺、別にお前を待ち伏せしてたわけじゃないよ。村崎を、待ってたんだ。」
そこで初めて佐倉は少し顔をあげたようだ。
直接見ないように、運転席の後ろに貼られたタクシ― 会社の宣伝チラシを見るようにする。
「…村崎さん、を?」
運転手はまだ無線に夢中だ。
佐倉が興味を示してくれたようなので、もう話してしまおうと思った。
「捕まえて警察に突き出してやろうと思って。」
「…警察に?どうして?」
どうして、だって?
お前、村崎が憎くないのか…そう言おうと佐倉を見て、俺はまた固まってしまった。
佐倉がまっすぐこっちを見ていたのだ。
大きな黒眼。長いまつげ。女の子みたいな顔をしていた。
俺は思わず一度唾を飲み込んだ。
緊張したんだと思う。佐倉のその目は、俺を非難するように厳しく光っていたから。
…それとも、怯んでしまったからかもしれない…
佐倉の、美しさに…
「…だってあいつ…いや確かにモノはいいものくれるけど、俺らにとっては、“有害”だろ…」
「君はクスリのために会ってたんだ?」
揺るぎもせず、まっすぐに俺だけを見る目。
「…お前だって、そうだろ。」
「あげるよ。僕はコレには興味ない。」
佐倉はそう言って自分の足元を占領している例の白い紙袋を軽く見てうつむいた。
「え…じゃあなんのために…」
あんな、恥ずかしいこと…
「…村崎さんのためだよ…。」
なん…、え…?
…どういう、意味…?
問い詰めたかったが、佐倉はそう言ったきり、窓を向いて静かになってしまった。
「じゃあさあキミ、名前だけ聞いといていい!?」
運転手が顔を半分こちらに向けるようにして言う。
「当たってないって言ったんだけどさ、本社がうるさいんだよねーホラ、キミらがよくても親とかがさ、やたらと騒ぐでしょー今。だからね、連絡先だけでも聞いとけって。」
未だにその話。呆れてしまう。
しかも内容は会社の保身のことばっか。本当は佐倉の体のことなんてどうでもいいのだ。
佐倉は窓の外を見たまま、運転手を完全無視。
「こいつの名前は“立花さくら”って言います。今ちょっと動揺してるみたいなんで、連絡先とかは俺書きます。メモとかありますか。」
渡された紙に、“立花さくら”という“偽名の偽名”と、嘘の住所と電話番号を書いて渡す。
「はいどーも。えーと、立花さくら、くん?さくらって珍しいねえ男の子で。制服からすると学校はあそこだね、名門の。有名な。なんだっけ、まあとにかく知ってるよ。中学生?高校生?」
佐倉、ここは『高校生です』くらい言っとこう。
「佐倉…」 呼びかけて、はっとする。
佐倉は、泣いていた。
窓に反射した顔でわかった。
肩が細かく震えているのは、寒いからじゃなくて、嗚咽を堪えているのだ。必死に。
「なーんも話してくんないねー、さくらくんはねー。」
うるさいぞ運転手。それどころじゃないんだよ。
でも、このあとは結局運転手もだまって、佐倉も窓を見たまま動かず、俺ひとりわけもわからず緊張したまま、タクシーは俺の家のほうに向かって行った。
「ここらへんでいいです。」
タクシーは俺の家の2軒手前で停めてもらう。
「一応なんかあったら連絡してね。まあ当たってないとは思うんだけどね。」
運転手は最後まで、情けないくらい自分の保身に務めながら名刺をくれた。
傘まわすから待ってて、と声をかけたにもかかわらず、佐倉は車が停まると同時に外に出た。まだ雨足は弱まってはいない。
タクシーは俺がドアを閉めたとたんものすごい勢いで発進したので、頭に来てテールランプをにらむが、佐倉が濡れてしまうのですぐに傘を差し出しに行く。
そっと顔色を伺う。
暗くてよくわからなかったが、少なくとも、佐倉はもう泣いてはいないようだ。
「…どっち?」
……。
あ、俺んちか。
(あまりにも端的に言われるので、戸惑う俺のほうが頭悪いみたいに思われそうだ。)
「どっちも違う。奥の、玄関に明かりがついてるとこ。」
俺よりひとまわり小さい佐倉の肩が、ゆっくり左を向く。
「へえ…立派な家だね。」
「…お前んちより?」
あんな名門私立に通うくらいだから、お前んちだってある程度はリッチなんじゃないのか。よく知らないけど。
佐倉は答えずに進み始めた。傘をさしてついて行く。
玄関の前まで来たとき、また佐倉がつぶやいた。
「…いいなあ。」
「なにが?」
佐倉はちょっとあってから、「戸建て。」と言った。
「佐倉のうちはマンション?」
「…。」
佐倉はまた少しだまって、「3階建て?」と言う。
「あー…。中二階があるから、2.5階?」
「…立派だね。」
佐倉に褒められたので、俺は素直に嬉しくなった。こいつはきっと、嘘やお世辞を言えそうにないタイプ。
「――ッ、しゅ」
佐倉が少しうつむいて両手で鼻を覆い、男とは思えないほど小さいくしゃみをしたので、俺はあわてた。
「体、冷えてんじゃん、ごめん。早く行こう。」
佐倉の背中を抱くように押しながら門の中に入る。
---------→つづく
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