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あかい目
鍵を開けて家に入りながら話しかけた。
「たぶん風呂湧いてるよ。着替え用意しとくから、すぐ入れよ。」
佐倉は答えずに、ゆっくりと玄関を見渡して、壁の時計を見て言った。
「…寝てるの?」
「…誰が?」
「まだ9時前だけど。…キミのご両親。」
あっそっか。
「うち誰も居ないんだ。親は2人とも仕事で海外行ってて、今この家にいるのは、俺ひとり。」
佐倉が俺を見る。
大きな眼でまっすぐに見るので、慣れない俺は緊張を覚える。
「その、風呂とか食事とかはさ、高梨 さんが用意してくれて…あ、高梨さんっていうのはうちに来てくれてる家政婦さんなんだけど、あ、でも今日は金曜日だから土日は休みでもう居ないから、えと、ようするに腹減ってる?」
…何を言ってるのか自分でもよくわからない。
佐倉は、とりあえず俺の“腹減ってる?”の問いに対し、無言で首を横に振って否定した。
「じゃあ…、風呂入れよ。」
どーしたんだ俺は。
なんで俺が自分のテリトリー内で佐倉より緊張するんだ。くそう。
「お湯がぬるかったら“追い焚き”っていうボタン…」
語尾がしりすぼみになったのは、着替えを佐倉の制服と交換しようとして、ふと、不透明でデコボコしたガラスの向こうに、佐倉の肌色の体が動いているのが見えたから。
(…いや当然だし。…いやいや、だいたいアレ男だし!)
シャワーの音が止んで、佐倉の声が風呂場に反響しながら聞こえる。
『…なに?』
「…ぬるくない?」
『…これから浸かるところなんだ。…体を洗ってて。』
それから少しあって、ちゃぷんとお湯の音がして、
『ちょうどいい、ありがとう。』
と言われた。
…佐倉を見ただけなのに、俺はなんでこんなに緊張するんだろう。
ウォーキングクローゼットに制服をかけて、除湿機をMAXにする。シャツとブレザーをハンガーにかけているとき、改めて佐倉の体の華奢さに気づいて思わず顔がにやけた。肩幅、小っさ。
ダイニングキッチンに行くと、夕飯は高梨さん特製の“ネコムライス”。
ハンバーグとサラダとオニオンスープがついている。
音楽チャンネルを見ながら夕飯を頬張っていたら、テレビの画面が暗くなった瞬間、俺の背後、キッチンの入り口のドア付近に、白い服を着た少年が立っているのが映った。夕飯を吹き出すかと思った。
佐倉だ。
驚きのあまりすごい勢いで振り向いたので、椅子かテーブルの足でスネをしたたか打ってしまった。
でも、その痛みがどうでもよくなるくらい、佐倉は…
きれいだった…
…ので、俺は、また動揺してしまう…
風呂上がりで上気しているのか、それか、また泣いていたのか、佐倉の頬は薄いピンク。白目もピンクなので、たぶん風呂場で泣いたんだ。
俺の寝巻きは佐倉にはぶかぶかだった。袖を何回か折って着ている。
「す、座れよ…。」
佐倉はゆっくり動いて、テーブルの対面に座った。
「夕飯、別にシェアしてるから、あっためるよ。」
「…いらない。食べていいよ。僕の分。」
そう言いながら、俺の夕飯を見て、
「お子様ランチみたい。」
と言った。
「…ネコムライスっていうんだ。」
「ネコ?」
「普通より野菜を細かく切った、まあようするに単なるチキンライスなんだけど。高梨さんが作ってくれる、俺が小学生のときからの定番メニュー。なんか、ネコが家政婦するとかいうユル系の漫画があって、そのネコが野菜嫌いの小学生のご主人に作るのが“ネコムライス”なんだって。高梨さんにとって、俺はまだまだ小学生らしい。おかしいだろ。」
「…ふうん。」
佐倉は俺の夕飯をジッと見る。
「高梨さんは金曜日は土日の夕飯分も作り置きして帰るんだ。冷蔵庫に貼ってるメモによると、明日はビーフシチューで、明後日はカレー。高梨さんのカレー、すげえうまいよ。冷蔵庫にあるけど、そっちあっためようか?」
「いらない。」
「…あ、そう…」
冷めた反応。佐倉が興味を持ってるふうだったので、つい嬉しくなってベラベラとはしゃぎ過ぎた。
それにしても佐倉は、こんなに扱いづらいヤツなんだな。無表情で、感情が読めない。
(ホテルのベッドの中では、あんなに“感情豊か”だったのに。)
おっと…(何考えてんだ俺はっ)
「…リンゴ、おいしそう。」
「えっ!?――…ああ、あれ。」
キッチンのほうのカウンターテーブルの上に果物カゴがあり、リンゴのほかにも、バナナやオレンジが入っている。
「食べていいよ。はい。」
果物カゴのなかから、リンゴを一つ取って佐倉に差し出す。佐倉はだまって受け取る。
あ、指が触った。
…って、くそ。俺は、また無駄に緊張してしまっている。
「い、家とかに連絡しとかなくていい?制服、あと2,3時間はかかるかも。」
佐倉に対する過剰な気づかいに自分でも嫌気がさす。
佐倉はリンゴを両手で持ったまま、つぶやくように言った。
「うちには、塾のあと友達のとこで勉強会するから、今日は帰らないって言って出て来た。」
「ならその友達に連絡とか。」
佐倉はしばらくだまって、
「嘘だから。いないよ、友達なんか。」
と言った。
「…じゃあ、どこに泊まる気だったんだ?今日。心配しないのか。親は。」
「僕の成績が安定してるから、今は僕がどこで何をしようとあの人たちは何も言わない。」
佐倉は親とうまくいってないのか。
「…ふうん。俺んちはウザいくらい俺に干渉しようとするけどな。あんま俺に会えないから。」
「…そ。」
興味なさげ。
「…とはいえ、お互い変なクスリのために変態野郎とホテルで会うような息子に育っちゃってる以上、親の教育方針なんて関係ないな。はは。」
俺が自虐的な意味も含めてそう言うと、
「…そういうふうに言うの、やめろ。」
佐倉は一瞬俺をにらんだ。
(えっ…)
不意をつかれたみたいに狼狽して固まる俺から、佐倉はすぐに視線をそらし、右手にあるテレビに顔を向けた。ソファごしに見えているテレビでは、さっきから“ONE OK ROCK”の特集をやっている。
軽々し過ぎたか。佐倉は俺とは違って、ああいうクスリを使うこと自体、罪悪感にさいなまれるタイプの人間なのかもしれない。俺の発言はそんな佐倉を馬鹿にしたように聞こえて、それが彼の気分を害したのか。
佐倉は無表情で画面を見続ける。
横向きの顔の白い輪郭。
長いまつげの下、大きな黒眼が、テレビ画面の光彩に合わせてはらはらときらめく。
「…ねえ。」
テレビを見たまま佐倉が口を開く。
「な 何?」
やばい。見とれてたのがばれたか。怒ったかな…。
「ナイフある?」
佐倉はこっちを向いて、手に持ったままだった、まるごとのリンゴをテーブルの上に置いた。
――なんだ、そっちか。(ホッとする俺。)
高梨さんお気に入りのダイニングテーブルは、天板のチーク材が塗装で磨き上げられてつやつやとしているので、リンゴはテーブルの下にも逆さになってきれいに映し出された。
そして、いつの間にか、佐倉の機嫌を損ねないよう、無意識に必死になっていることに気づく、俺。
妙な劣等感を覚えながら、からになった食器を下げ、ナイフを取って戻る。
「ありがとう。」
佐倉はナイフを受け取るときに一瞬、口角をあげた。
微笑んだのだ。
ドクッ
俺の心臓が、その瞬間に強くはねた。
----------→つづく
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