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リンゴ

 でも佐倉が笑ったのはほんの一瞬だけで、彼の顔はまた、“無表情モード”に“リセット”される。 (…もっと、見たいな。佐倉の笑顔…。)  そうだ。 「ワンオク、聴く?」 「ワンオク?」 「今テレビでやってるやつ。おとしてるのがあるけど。」 「…知らない。興味ない。」 「…。」 …なんか、ネコみたい。  機嫌がいいのかと思えば、気分が乗らないと遊んでくれない。そのネコに、てい良くあしらわれてるみたいだな、俺は…。  そんなことをぼうっと考えていたら、佐倉が奇妙な行動を取り始めた。  リンゴを自分の前に置いて、ナイフを体と平行に持ち、刃を下に向けてリンゴに押し当てると、上から両手で押さえるようにして、そのまま下に向かって力を込め始めたのだ。 ――ぐぐぐ… ダンっ!!  ぞっとする。  佐倉の指が落ちたかと思った。テーブルにナイフが叩きつけられた音だった。  佐倉は顔色ひとつ変えず、相変わらずの無表情で、半分になって転がったリンゴをまるで薪か何かのように再びテーブルに設置し始める。  グラグラするのをナイフを少し刺して止め、また両手を上に置こうとしている。 「おい!ちょー待てっ!」  あわてて椅子から身を乗り出し、佐倉の右手ごとナイフを持ち上げた。驚いた佐倉が俺を見る。 「危ないよ。」 …どっちが!! 「お前、包丁使ったことないの!?」  すると佐倉は少し憮然とした。 「…悪い?」 「なんだよ言えよもう。超こえーよ。貸せよ。」  佐倉からリンゴとナイフを奪う。 「…もうそのままでいいよ。かじるから。」  佐倉はますます不機嫌な口調になった。 「いいよ、むいてやるよ皮も。」  そう言うと佐倉から素直に驚きの声が上がった。 「…皮、むけるの。」 …こいつの親や学校は、リンゴの皮の向き方も教えないのか。(俺は小学生の低学年で高梨さんに教わった。)  少し得意になったので、プレースマットの上でちょうど6等分したリンゴの皮に切り込みを入れ、“耳”を残して皮を取る。  佐倉の黒眼が大きくなった気がした。 「…ウサギだ。すごい。キミ器用だね。」  なかなか慣れないネコを、“猫じゃらし”にくいつかせてやったような気分。 (ふふん。)  ウサギ型のリンゴを渡そうと指を伸ばすと、佐倉の指も素直に伸びてきたので、いい気になった俺はさらに少し“意地悪”をしたくなった。そこで、わざと、伸びてきた指からリンゴをスッと遠ざける。  佐倉がムッとした表情になる。その顔も、女の子みたいでかわいい。 「…なに。」 「アーン。」  佐倉はますますにらむように俺を見た。 「…それ、命令?」 「ふふっ」 (冗談ですよ。)  十分堪能したので、リンゴを渡してやろうと指を伸ばすと、佐倉の首が伸びてきた。  きれいな歯並びの前歯が、少し開いた佐倉のくちびるから一瞬のぞいた。 …そして… ――さくり  指先に伝わる、佐倉の歯の感触。  佐倉は何でもなかったようにまた元の位置に戻って、さくさくとリンゴを噛む。 …仕掛けた俺のほうが動揺してしまった。  悟られないよう、指先に残ったリンゴをゆっくり自分の口に運ぶ。 「…おいしい。」  佐倉がまた一瞬微笑む。 「…うん…。」 ――佐倉を見る。いや、  佐倉しか見えない…  佐倉はじっと俺の下にあるリンゴを見ていた。  それからうざったそうに俺を見上げる。 「…食べていいの?悪いの?」  あ、ああそうか…  それからリンゴをひとつひとつ、佐倉と“シェア”しながら食べた。  佐倉は当然のように俺の指からリンゴをかじるので、俺はなんだか、佐倉がまるで俺の手のなかだけで生きる、小さくて可愛い生き物にでもなったかのような錯覚を覚えていた。  佐倉が近づくたびに、いい匂いがした。俺のうちのシャンプーは、こういう匂いがするんだな…どきどきする自分の鼓動を感じながら、そんな間の抜けたことを思う。  あとひとつになったとき、佐倉が言った。 「もういい。ありがとう。」  そしてまたテレビのほうを見る。 「…あと1個だよ。」 「うん…でももうお腹いっぱいなんだ。」  思わずクスリと笑ってしまう。 「リンゴ半分で腹いっぱいって、どんだけ少食なんだよ…。」 …ちがう。  笑ったのは、可愛くて仕方ないと思ったから。 「大きくなんないぞ。」 「…もうとっくにあきらめてるし。」  また笑いたくなる。佐倉が可愛くて仕方ない。  なんだろう、この気持ち…  リンゴをつまんで椅子を立ち、テレビ画面を眺めていた佐倉の前に行く。  佐倉が俺に気づいて、少し眉をひそめて怪訝そうに見上げる。 「…なに。」  俺はリンゴを半分くわえて、佐倉の顔に近づいた。 「ン。」  リンゴを差し出す。佐倉は少し困惑したみたいだ。でも表情は変えない。 「…ばかみたい。」 「ン、」  さらに顔を近づけると、佐倉は一度怯えたようにアゴをひいたが、了承したのかあきらめたのか、  佐倉は…  俺の顔に近づいて、俺の口先からリンゴをかじった。  黒くうるんだ瞳。  佐倉がリンゴをくわえた瞬間、柔らかなくちびるが軽く触れる。  佐倉は、白いリンゴを口のなかでころん、と転がすと、さすがに照れ臭くなったのかうつむいて、静かにリンゴを噛み始めた。  …その瞬間、たまらなくなった。  また欲しくなった。  佐倉が。  佐倉が俺から離れないうちに、右手で佐倉の頭を、左手で背中を引き寄せ、佐倉の体を包み込む。  佐倉が少し緊張したのがわかった。でも、抵抗はしてこない。  佐倉は俺の肩のなかでリンゴを何回か噛み、ゆっくりと飲み込む様子までが伝わってきた。  そして佐倉は、じっと動かなくなった。  右手に絡みつく髪の毛は、まだ濡れている。 「…寒くない?」 「…。」 「佐倉…」  佐倉のくちびるに近づくと、佐倉は軽く顔を背けた。  かまわず頬に口をつけると、佐倉はビクンと震えて、一瞬小さく息をすった。 「…僕は、…“佐倉”じゃない…」  相変わらずの無表情でつぶやく。無視して白い首筋に向かう。  下のほう、鎖骨の少し上に、俺がホテルで佐倉につけたキスマークがくっきりと浮かんでいた。  目に入ったとたん、あのときの高揚感が蘇り、体が一気に熱くなった。 「っ!」  軽い体をテーブルの上まで一気に抱え上げた。  驚いたのか、佐倉は声にならない悲鳴をあげた。  佐倉の座っていた椅子が音をたてて倒れたが、今は気にならない。  テーブルの上で、佐倉は両手を突っぱねて、ぬいぐるみか人形みたいに動かなくなった。  シャツのボタンを外し、はだけたところから胸に舌を這わせる。風呂上りの、石鹸のいい香り。 「…あ…ッ」  舌で胸の突起を探ると、佐倉は恥ずかしそうに声を出した。  緊張した白い肌が目の前で上下する。佐倉は緊張をごまかすためか、俺の頭をそっと撫でた。 「…ここで、するの…?」 「…“してもいい”、ってこと?」  指先が震えている。めちゃくちゃ可愛い。  佐倉の背中をテーブルに押し付けようとすると、佐倉は後ろに退いた。  気づいてないのか、指のすぐそばに、リンゴを切ったばかりのナイフがある。  俺も慌ててテーブルに乗り、手を伸ばしてナイフを取って下へ落とすと、俺が接近したことに動揺したのか(それとも怯えてなのか)佐倉はさらに少し後退する。…もうあとがない。 ---------→つづく

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