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ひとりよがり

(……!)  佐倉がつぶやくようにその名前を口にした瞬間、甘ったるかった気分が、一気に苦々しくなった。  “サツキ”は、佐倉が村崎と会うときの、村崎の偽名。 「サツキ…? 村崎が、なんて…?」  佐倉は答えない。声が出せないんだ。のどの奥で、必死に泣くのをこらえているから。  でも。 『またペナルティを考えないとね、佐倉くん。』  奴から佐倉への最後のペナルティを、俺は聞いてない。 「村崎に、何か言われたのか?」  これ以上追い詰めるべきじゃないかもしれない。  でも。…どうしても知りたい。 「なんて言われたんだ?」  佐倉は、しばらく息を整えていたが、ようやく声を出した。 「…立花くんは、いいコだから、」  そこでいったん言葉を切り、うまく息をしようとして、佐倉は2,3度しゃくりあげた。 「これからは…っ、…キミに、面倒を見てもらえって…サツキさんのことは、忘れなさいって…――」 (え?)  佐倉はそこで少しむせた。 「…くくっ…」 (?)  佐倉が俺を見る。その顔は、…泣きながら、笑っていた。 「…僕、フラれたんだよ…サツキさんに。」  おかしいでしょ。  そう付け加えると、佐倉は、俺に向かって「はははっ」と、乾いた声で笑った。  そしてまた強く顔をしかめると、俺から目をそむけてテーブルの下をにらんだ。 「――…な…に…?」  なんだって…?  佐倉から告げられた言葉は、俺を混乱させるのに十分過ぎた。 (どういうことだ…?) 「…佐倉…お前…村崎に、喜んで会ってたのか…今まで…」  佐倉は首を横に振る。 「…今までは、会ってくれなかったんだ。連絡しても返信が無くて。」 「…つまり、えっ…?ずっと会いたかった、ってこと?村崎に?」  あんな奴に?あんな、変態野郎に? 「…冗談だよな…?」  佐倉は、俺を見た。冷たい目。 「最初はキミと同じ、クスリのためだったよ。…でも今は違う。言っただろ。クスリなんかいらないって。」  すねた子どものような口調。 「…僕は、あのホテルに、サツキさんに会いに行ったんだ。」 「あんな奴のどこがいいんだ!」  耐えられなくなって声を荒げてしまった。 …だって!  俺たちが、お前が、ホテルでどんな目に合わされたと思ってるんだ。  でも、佐倉は揺らがない。 「…キミは、サツキさんに直接会ったことがないから、そんなふうに言うんだよ…。」  佐倉はまるで、俺を憐れむかのように言い、完全に陶酔しきったふうな目で俺を見た。 ――佐倉は、あいつを、見たことがあるんだ…! ――いや、奴に直接会っただけで、そんなふうになるもんなのか!? ――いったい、奴に何をされて…  混乱した頭の中で、必死に記憶をたぐり寄せる。 ――…『お互い変なクスリのために変態野郎とホテルで会うような息子に育っちゃってる以上、親の教育方針なんて関係ないな。』  俺がそう言ったとき、佐倉は、『そういうふうに言うの、やめろ。』 と言って俺をにらんだ。  あれは、自分たちを卑下したことに対してじゃなく、“変態野郎”と、俺が村崎をののしったことに対して向けられた言葉だったのか。 『それ、“命令”?』  佐倉は、俺のものになろうとしていた。だから、俺の“命令”に逆らわなかった。 …逆らえなかった。 …村崎の言いつけで。 『…いつも、やってるの、こんなこと…』  ああ!  佐倉は俺を、村崎とグルだと思っていたんだ!俺が村崎に佐倉をねだったんだと!  佐倉から、俺は、ただ佐倉をヤりたいだけの人間なんだと思われていたのか!?  だから抵抗せずに受け入れようとして…  あのぎこちないキスも… 『…我慢しないと…いけなかったのに…』 …一瞬、体中から、一気に力が削げ落ちた。  ひとりよがり… …全部、俺の…  自分の体をよろよろと持ち上げて、佐倉を、見下ろす。  佐倉は下を向いたまま、袖でゆっくりと涙を押さえた。だけどそのそばから嗚咽する。 …そんなに泣くのは、  村崎が、  恋しいから――  テレビからの音楽は“カサブタ”に変わっている。  俺は、ふらふらとリモコンを取りに行き、テレビの電源を切った。  部屋の中は一気に暗く、静まりかえる。  雨音が、かすかに聞こえ始めた。雨は、まだ、降り続いている。  振り返ると、ダイニングテーブルの上には、固まったように動かなくなった佐倉。  でもその細い肩は、白い首筋は、雨音に包まれながらこまかく震えていた。  その非現実的な光景が、目の中に、ただ流れ込む。 「とりあえず…、俺の部屋に案内するよ。…汚したからまた、着替えなきゃな…。」  佐倉は片袖で顔を押さえたまま、こくんとうなずいた。  手を差し伸べると、素直に俺の手を握って、テーブルから降りた。 「…こっち。」  手を握ったまま、佐倉を誘導する。  佐倉は何も言わずについて来た。  気持ちは灰みたいに真っ白で、カラカラだった。  部屋に入って、明かりをつけて、佐倉を俺のベッドに座らす。 「ごめん…」  佐倉が俺に謝ってくる。そんなのは、  これから俺がお前にすることを知ってから言え。  着替えを探すふりをして、部屋の隅に投げ捨てたバッグへと向かう。  中のものを取り出して、振り返ると、佐倉はまだベッドのうえでうなだれたままだった。 「…ほら、脱げよ。」  佐倉はうなずき、着替えが用意されたんだと思い、俺を仰ぎ見ることもせず素直に上の寝巻きを脱いだ。 …透明な佐倉の肩が、白い蛍光灯の光に照らしだされる。  きれいだった。  でもこれも… …あいつのもの… ------------→つづく

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