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13 哀切
南方が優しかったのは自分が生徒だったからだ。
教師ではない南方は自分を拒絶する。
大我は南方を諦めた。
父親と同じであるなら期待するのは辛いだけ。
だが父親と同じだから、それでも期待してしまう。
教師であるから、生徒を見放すわけがない。
いつか情けをかけてはくれまいか。
それでも南方は、大我に必要最低限の接触しかしなかった。
もう家庭の状況を気にかけなかった。
自分の性的逸脱行為を批判するならば、南方が全てを引き受けると言って大きな心で自分を保護してくれれば良いのに。
南方が多くへ分け隔 てなく与える自分が生徒として受け取った愛情は、本当のものだったのだろうかと疑問が湧く。
どんなことがあっても自分を守ってくれるように思えた優しさは、消えてしまった。
南方の愛情だと思っていたものは、ただの職務だったのではないか。
諦めたのに。
愛情は偽物なのに。
だから南方は一切 行動を起こしてこなかったというのに。
それでも大我は、南方に愛されたかった。
泉と同じ大学はさすがに無理だったが、瀬峰と同じ大学には合格できた。
大我は親に一人暮らしを切望し、あっさりと許可された。
電車で通える距離だというのに。
親は自分を身近に置きたくないのだと再認識する。
大学に近く外観の洒落たアパートを選んだ。
一人暮らしの青葉に聞きながら、生活に必要なものを揃えた。
費用は全て、親が出してくれた。
愛情がない代わり、不自由はしない。
それは不快なだけで、負担をかけることに心苦しさは伴わなかった。
その不快な親から解放された記念に、髪を明るいベージュに染めた。
親の前でこのようなことをしたなら、目立つことをするなと冷たく言われたに違いない。
文句を言う声だけは簡単に想像がつく。
その声が聞こえない安心感を、印象が変わった自分を鏡で見るたびに実感していった。
大学の昼休み。
大我は瀬峰と共に食堂を訪れていた。
瀬峰は焼肉のランチセットを食べながら、隣に座る大我の弁当箱からポテトサラダをつまんで口に運ぶ。
「すごいな。俺料理とかできないから、大我のコト尊敬しちゃう」
「こんなので褒められてもなー。夜に作ったの詰めただけだし」
瀬峰が褒めてくれた。
謙遜しつつも、心底嬉しくなる。
金が尽きることがあるのかわからないが、大我は青葉に言われた通りに食費を節約していた。
家計簿もつけるように言われている。
面倒だとは思わなかった。
青葉も褒めてくれるし、言われたことをして損をしたことがないからだ。
「いやー、そんなチャラい顔してんのに料理できるとかヤバいだろ。女寄ってきそうだから弁当作ってるとか、誰にも教えないで欲しいんだけど」
言いながら少しすねた顔をして、瀬峰は自分のランチに手をつける。
その時、自分の後ろから声がかかった。
「ここのテーブル、なんか目立つなぁ」
目だけを声の主に向けると、背の高い男が隣はいいかと尋ね、瀬峰の横にランチのトレイを置いた。
「あはは、そう言えば二人で奇抜な頭してました!」
瀬峰がイエローブラウンの長髪を撫でながら隣の男に笑いかける。
四人掛けの丸テーブル、彼と大我の間にももう一人、連れなのか同じく背の高い男が腰掛けた。
瀬峰の横の黒髪短髪の陽気そうな男は、三年でバスケット部の宮崎だと名乗った。
大我の右手、銀縁眼鏡を掛けた穏やかな表情の男は、帰宅部の河南 だと名乗る。
宮崎は瀬峰が所属する部活動の先輩なのだろう。
瀬峰は入学した当初は度々 大学に近い大我のアパートを訪れていたが、バスケット部に入るとその頻度は低くなっていた。
瀬峰が河南に対して名乗り、二人に大我を中学のときの同級生だと紹介すると、
「白石くんは部活とかサークル入ってないの?」
宮崎がランチに手を付けながら尋ねてきた。
「うん、サークルとかバイトとか、なんかしなきゃなーとは思ってるんだけど」
家を出るという目的は達成できた。
次は親の保護を断ち切らねばならないと漠然と考えてはいたが、なにもしていない。
大我の答えに対して反応したのは、宮崎ではなく河南だった。
「あ、なら僕のバイト先、紹介しようか? いつも人探してるから」
低く落ち着いた口調で、自分のことを僕という。
「えー、なんのバイト?」
「色々やってるけど、僕は大体配達してるかな。園姫 駅の周りのオフィスビルとかお店に、書類とか荷物運ぶの」
園姫は中学の頃から遊びに通う街、オフィスビルはわからないがアーケード街なら歩き尽くしている。
だが、仕事内容に興味が持てない。
「免許は持ってるけど、多分この髪じゃできないでしょ」
体 良く断る。
河南が社会人でも通用する落ち着いた人間に見えるから、自分がそこに入り込めるとは思えない。
弁当に再び手をつけると、宮崎が笑う。
「白石くんって、なんか面白いね」
「すみません、タメ口で……」
なぜか瀬峰が謝る。
「たまにはこういうのがいても、俺はいいよ。嫌いじゃないな」
宮崎に次いで、河南も機嫌の良い口調で言う。
「ね。僕も好きだよ、こういう子」
大我は横目でわずかに河南を見て目を逸らし、苛立ちを隠した。
この男が言葉を発すると、南方を思い出す。
似たタイプの人間だというだけだ。
顔は似ていない。
声も南方より低い。
だが低くて柔らかいから、南方に落ちたあの日の声の響きと近いものに聴こえる。
髪も南方より短い。
教師みたいなことも言わない。
むしろ会って間もないのに好きだとか言う。
全然違う人間なのに。
悲しいことを思い出すから、早くここから立ち去って欲しい。
昼休みが終わる直前まで彼らは隣に居続けた。
他愛もない会話を無視できず軽く躱 しようやく二人が去ると、大我はテーブルに伏す。
「大我どーしたの? なんか怒ってない?」
上からかかる瀬峰の声に顔を向けて、大我は明らかに苛立った表情で呟いた。
「俺、さっきの河南って人、好きじゃない」
南方と問題なく接することができた期間はほんのわずか、『愛されたいのに愛してくれない』という辛い想いを耐えた期間が大半を占める。
だから。
もう河南とは、二度と会いたくない。
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