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19 憐憫
南方は再び言葉を失う。
罪を悔いる時期であろうが、大我にとってはきっと、そんな場合ではない。
「昨日やっとさぁ、結果届いたんだけどさ。九十九パー父親と判定とか書いてあるし。馬鹿じゃねーの……」
大我は、深いため息をつく。
もう一度息を吐くと、崩れるようにテーブルに頭を伏した。
「今さら情が湧かないから、金出すから出ていけって、言われたからね」
声が震えている。
そのようなことがあれば、当然。
掛ける言葉を探すが、見つからない。
大我が嗚咽をこらえるのを見てやっと、斜め隣席、手の届く距離にいた大我の背中に手を伸ばし、撫でる。
大我は伏したまま、顔だけをこちらに向ける。
さほど日に焼けていない白い肌、うつろでも端正な顔立ちとわかるその瞳が、ひどく潤んでいる。
この子の親は、どうしてこの子を愛さないという選択ができたのだろう。
いや、この子を愛さなかったのは、自分も同じ。
「みなちゃん、なんでここに連れてきてくれたの。俺のこと、好きじゃないだろ」
「ずっと、気にはしてたんだよ」
思いつめた表情で涙を流す大我に、ハンカチを差し出す。
大我は頭を上げると目を覆い、顔を隠すようにうつむいた。
「それ、仕事だからだろ」
教師だから仕事として、情をかけていたのだろうか。
無機質な意思で大我を見ていたから、深く関わることができなかったのだろうか。
わからない。
「もう俺、生徒じゃないから、仕事、しなくていいんじゃないの」
それは一層感情のたかぶった涙声で、実際にそう思ってはいないように聞こえた。
自分が関わることを、大我は望んでいるのではないか。
「一人暮らししていたところは、引き払ったんでしょう? どうするか、決めたの?」
「昨日の今日で、決まるわけ、ないし」
「この家、前は両親と兄と僕の四人で暮らしてたんだよ。今は僕一人で住んでるんだけど、一人では広いから。白石が良かったら、使っていない部屋を貸すよ」
以前はどんなに悩んでも大我と関わることができなかった。
だが今は、大我と関わりたい。
これは、過去にはなかった強烈な憐れみのせいだろうか。
自分が見守ることができるなら、そうしたい。
「俺のこと、嫌いなんだろ」
大我は目を覆う手を下ろし、涙目のまま見据えてくる。
南方は答えるか否か、一瞬迷う。
「正直、前にここに来たときに、嫌いになったのかも知れない」
南方は思ったままを告げた。
「嫌いでも、関わらなければならなかったんだ、教師なら」
自分の思い描く教師としての理想から外れてしまって、ずっと困惑していた。
聞く耳を持たず自分には対処しきれない生徒なら、関わらずとも、それで良かった。
だが大我は、放送部に在籍し続け、他の教科の成績は低迷していたのに自分の授業は聞き続けた。
「仕事の範囲を超えて白石が嫌いになって、関わることができなくなってたんだと思う」
額を押さえて、うつむく。
相手が生徒の範囲を超えた不貞をしたから、教師としての職務を果たせなかった。
逆に自分が教師の範囲を超えて生徒を想ったのか、それは、わからない。
「それで、あぁ、なんて説明したらいいかな。白石は、イレギュラーなんだろうね。嫌いだからって、嫌いなままでいたくなくて、本当にずっと、気にしていたんだ」
大我が、大きなため息をつく。
顔を上げると、自分を見据えた瞳と目が合った。
大我が静かに、口を開く。
「あのさぁ、スゴいへこんでるときに嫌いって連呼されたら、俺傷つくよ」
「あぁ、……ごめん」
「でも、好きになってくれようとしてるみたいだから、傷つかないけどね」
大我は口元に手を当てて、目を細めた。
ずっとふさぎ込んでいたが、少し、笑ったように見えた。
「前ここで諦 めたって言ったけど、俺ずっとみなちゃんのこと、好きだったからね」
「酷いこと言ったのに、どうしてまた」
「んー、身体の奥底からそう思ってる感じ。わかんないかな」
恋愛感情というものは理屈ではないと言う者もいる。
自分にここまで他人を想うことができるだろうか。
「ちょっと、それがわかるの、うらやましいな。僕は恋愛をしたことがないし、生徒にだって本当に愛情持って接することができていたか、わからなくなっていて」
以前母親に渋々語った、一人に強い情を持てないという話は真実だった。
多くの人間を愛しているからと理由をつけたが、大我と関わりたくないという感情を持ったことでその濃度の薄い情も本物なのか、意味のあるものなのかと不安になった。
たくさんの人間と関わらねばならない教師であり続けることに、漠然と自信をなくしていた。
「だから今、白石と関わって生徒とどう関わるべきか、勉強し直したいんだけど、虫が良すぎるかな」
大我が不憫だからではなく、自分のために身近にいて欲しいと願った。
言ってすぐ、やはり自分には愛情が不足していると自己嫌悪したが、大我を不憫に思う資格は一度大我を切り捨てた自分にはない。
言い直さずに、大我の反応を待つ。
大我は力ないが不満げな表情を見せる。
「俺は今も、その他大勢の生徒なわけ?」
大我はまだ、自分の愛を得ようとしている。
否定をしては本当に自分の願いは虫が良すぎるが、嘘はつけない。
「その他大勢じゃなくて、イレギュラーな生徒だね。白石が欲しがっている愛情はあげられないかも知れないけれど、情を持って向き合いたい気持ちは、ちゃんとあるよ。どうかな、うちの部屋を、借りてくれる?」
大我は唇を噛んで、南方を見据える。
ややあって、口を開いた。
「ここにいてもいいなら、喜んで居座るに決まってるだろ。俺、みなちゃんのこと大好きなんだから」
力なく、大我が微笑む。
南方は要望を受け入れられたことと、その表情にわずかに愛らしさを感じたことに、安堵した。
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