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28 信認

 団地からバスで終点の波巻(なみまき)まで行き、駅ビルの喫茶店で大我は泉を待った。  自ら連絡する度胸もなく泉が不快に感じる気がしたので、南方に連絡を頼んで約束も取り付けてもらった。  なさけないが、仕方もない。  片ひじをついてうつむいていると、人の気配とともに目の前にアイスコーヒーのトレイが置かれる。  気まずい思いで顔を上げると、 「久しぶり」  と、かすかに不機嫌な表情で泉が席に着いた。 「ごめん」  一刻も早くあやまりたかった。  大我は挨拶もなくひざに手を置き、頭を深く下げる。  泉のすべてをないがしろにしてしまったことに、罪を犯したことよりも南方に迷惑をかけていることよりも、今一番後悔している。  前方から、声がかかる。 「なにがごめんなの」  顔を上げる。  泉はいらだったりはしていない、それがどういう表情なのか、わからない。  大我は自分に起きた出来事から話していった。  親や南方に心配して欲しくて、わけのわからないことに手を出したこと。  間違いに目をそむけ、泉や瀬峰が普通に接してくれることを支えにしていたこと。  次第に間違った自分に耐えられなくなって、健全な人間と距離を置いたこと。  罪をとがめられ、親から決別を言い渡され、すべてが無駄だったと思うと生きていることすら無意味に思えたこと。  自分が死んだら絶対泉と瀬峰は悲しむから、嫌われてしまおうと思ったこと。  大我の言葉が途切れると、泉はため息をついた。 「俺たちが悲しむと思ったなら、死ななきゃいいだけだろ」 「そうだけど」  あのときは自分は(おろ)かで救いがないから、早く縁を切らなければならないと焦っていた。 「俺がずっと白石と付き合わなかったから、それを本気で怒ってたワケじゃないのね」  ひどく(いきどお)っているものだと思っていたのに、泉は額面通りに言葉を受け取っていたようだった。  恩知らずだと恨んでくれていたほうが良かった。  泉を不快にさせただけで、傷つけたことにまったく意味がなかった。 「怒ってない、嫌われたくて言っただけ」  肯定すると、泉は表情をややゆるめる。  気に病ませていたことが申し訳ない。  だがあやまることは、それだけではない。 「あのさ俺、泉に好きって言いながら、他のやつにも好きだって言ってただろ。それは泉、腹立ってたよな?」 「あれはな。イヤではあったよ」 「ホントごめん。最近わかったんだ、そういうのしんどいって」 「今ごろわかったのかよ」  泉に手当たり次第に恋愛するなと、何度忠告されたかわからない。 「あとさ、せっかく泉が俺のこと好きなのに、俺好きなの、みなちゃんだけにするって決めたんだ。それもごめん」  そこで泉は、大きく表情を変えた。 「は? 俺、好きって言ってないだろ⁈」  驚きと焦りの混ざった顔で、怒りの口調になる。 「でも、付き合いたいならみなちゃんのことあきらめろって、泉言ってたし」  あきらめて泉だけにしていたら、泉は本当に付き合ってくれていたのではないだろうか。  泉の態度で平和に過ごしていたころを思い出し、大我は安心感を覚える。 「なんか俺、泉に叱られると嬉しいんだけど。なんでだろ」  泉は決まりが悪そうに腕を組み、息を吐いた。 「俺の気を引きたくて叱られることしてたんじゃないの?」  そうなのだろうか。  叱るということは行動を見て正そうとしているということで、気にかけてくれることが嬉しかったのかも知れない。 「そんなつもりはなかったけど、そうかも」 「わざとじゃなかったのかよ」 「泉、よく俺のこと嫌いにならなかったね」  喧嘩を売る以前に、嫌われる要素が多くはないか。  いくら優しい人間でも、自分を許しすぎだ。  泉は怒った表情を、苦笑いに変えた。 「白石、礼儀わきまえようとしてるから。他人に敬意払おうとしてるってだけで、白石のことは信用してるんだよ。他に突拍子もないコトしててもさ」  あの家に越してきた、小学校高学年のころ。  家に遊びにきた泉の礼儀正しさに、母親がひどく感心した。  自分も感心されたくて、泉をならい、泉に礼儀を教わった。  母親になにかをたずねると邪険にされたが、泉はなんでも答えてくれた。  南方を愛するために泉を切り捨てても良いのか、わずかに迷いが浮かぶ。  泉はどんなときでも、それこそ愚かな行いをたび重ねた今ですら、自分を見捨てず話を聞いてくれている。  自分を理解する人間はどこにもいないと思っていたが、よくよく考えると、泉に意外だと言われたことがない。 「なんか泉がやっぱりいいやつだから、好きになるの、泉にしたほうがいいのかなって、思ってきた」 「なら、そうするか?」  南方とは違って、おそらく成就する選択肢。  泉を選んで、南方を切り捨てる。  一瞬そう思いを巡らせただけで、それは無理だと大我は自覚した。  毎日寝食を共にしているのに、南方が恋しい。  恋しさの要因は、わけもなく胸に込み上げるいとしさと、恋愛感情がわからないと言った南方を愛し続けたいという気持ち。  愛することができなくても、愛されることはできているとわかって欲しい。  愛することを理解できたなら、自分を一番に愛して欲しい。  泉を切り捨てられるというわけではない。  多分、好きであるということと、愛しているということの、想いの違い。 「ごめん、やっぱりみなちゃんだ」  また泉に無神経なことを言ってしまった。  後ろめたさにうつむく大我に、泉は優しく笑った。 「白石あやまりすぎ。俺そんな怒ってないし、今のも冗談だよ。ペナルティあったほうが吹っ切れるなら、ひとつ頼みたいことあるけど」 「あったほうがいい」  最悪なことをしたと自覚している。  なにか罰を受けないと気が済まない。 「じゃあさ、瀬峰との仲、取り持ってよ」  瀬峰が大我を殴ったあと、泉は瀬峰の運転する車で帰った。  泉は瀬峰にひとことあやまられ、それきりらしい。  瀬峰がなにをあやまったのかわからない、大我が好きであることを知っていて出し抜いてしまったと感じているのか、単に引き合いに出され泉が非難されたことを申し訳なく思ったのか、聞きづらいので聞いて欲しいと言う。 「俺はなにも気を悪くしてない。気まずいってだけでこのまま離れてくのは、白石もイヤだろ」  嫌な気はするが、許されることもうしろめたい。  返答しない大我に、泉は言葉を追加した。 「もう一つペナルティ。俺と恋人じゃなく友だちになれ」  大我は困り果てて泉を見る。 「それ、ペナルティじゃない」 「イヤそうにしてるからペナルティだろ」 「イヤじゃない」  そこまで言われて渋るわけにはいかない。  すぐには気持ちは切り替わらないが、気丈をよそおい、感謝を()べる。 「ありがとう、泉」  どんなに感謝しても足りない。  だが誠意を見せればきっと、それがつぐないになる。  泉の笑顔に、大我も笑顔を返す。  あやまちを重ねたが、一つはしかたのないことではないか。  泉を好きになり告白したことは、避けられないことだった。

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