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29 近接

 泉と食事をしてから帰ると連絡をよこした大我は、二十一時すぎに覇気のない表情で帰宅した。  帰宅が遅いということは和解したということだと思っていた南方は、和室に寝転んだ大我に煎茶をいれ、声をかける。 「どうだった?」  無感情に近い声音で、大我が返す。 「泉がいいやつすぎて困った」  泉とは和解できたが、甘んじて受けたペナルティが難題だと言う。  瀬峰は泉を侮辱され、大我に暴力を振るうほど憤慨した。  その瀬峰と話し合いの場を持つことが可能なのかと不安に思っているらしい。  泉と瀬峰の関係の修復は可能であろう。  しかし大我は、真剣ではあったがむやみに築いた恋愛関係の清算もしなければならない。 「怖くて、どうやって連絡取ればいいのかもわかんない」  大我がため息をつく。  泉に関しては自分も関わらせた責任を感じていたために手助けをしたが、面識のない瀬峰については自分にはなにもできない。 「なにが怖いの?」  大我が行動を起こす手助けならできまいか。  南方は大我に問いかける。 「なにが怖いのか、わかんない。いろいろ」 「ちゃんと考えて」  瀬峰に対しての引け目が大きすぎるのだろう。  しばらく待つと、答えが返る。 「瀬峰にはっきり嫌われるのが怖い」 「話を聞いた限りでは、嫌われるのは仕方ないでしょう。嫌われる覚悟をして連絡するしかないよ」 「そっか。覚悟しとけば、怖くはないか……」  またひとつため息をついて、大我は起き上がり、煎茶を口にする。  迷いを持ったまま対面するより、なにを言われても受け入れる覚悟をしたほうが、きっとよい。  手助けになれたようで安堵しながら、言葉を続ける。 「ねぇ、明日の夜は家にいるかな?」  先日共に食事をした同級生、石越和真(いしこしかずま)は、介護施設でケアマネージャーをしていた。  大我の話から介護士のイメージが明確に湧いたのも、身近にその職につく者がいたから。  家に呼んで軽く話を聞くだけでも大我のためになるのではないかと打診すると、了解してくれた。  大我に明日でもよければ同席しないかとたずねると、 「同級生って、こないだデートしてきた人?」  どことなく悲しそうに聞いてくる。 「デートじゃないって言ったよね。まぁ、その人なんだけど」  若干乗り気ではないようだが、身のためになることだから同席すると言う。  そしてそのままの表情で、ややうつむいた。 「みなちゃんさ、泉みたいにならない? 俺のためにいろいろしてくれるけど、俺と付き合えないからって、気に病んだり」  どうやら今日の大我は、久々に気分が低迷しているらしい。 「大丈夫だよ。僕は付き合うためにこうしてるんじゃなくて、白石から色々学ばせてもらってるんだから」 「みなちゃん他のヤツが好きになるかも知れないのに、俺と一緒にいるの、時間の無駄でしょ」  まったくもって、無駄ではない。  むしろ今までの時間の中で、もっとも貴重な時間のように感じる。  そう言って安心させたいが、口ごもる。  大我を愛せる確信がまだない。  愛せたとして、それがいつになるのかわからない。  無言でいては、暗に時間の無駄と言っているものと判断されてしまう。  なにかを言う前に、大我が小声でつぶやいた。 「俺、ここにいてもいいのかな」 「ここにいて欲しい」  大我が出て行くのではないかと思うと、あせりで切な気持ちが口をついた。  驚いたような面持ちで自分を見た大我に、別のあせりで南方は言葉を重ねる。 「僕、三十八年生きてるからね。無駄な時間は、もう散々過ごしてるから」  無意識で、自分の気持ちを隠してしまっている。  大我に申し訳が立たず、さらに言いわけをする。 「違う、ごめん。僕のほうがたぶん、白石に無駄な時間を過ごさせてる」  三年前から自分のことを思い続けている大我が自分の元を離れるわけがないと、楽観しているのだ。  自分が大我に気を持つ前に、大我がここを去ることもありえるというのに。  大我が去る恐れを感じただけで、自分は狼狽した。  なんらかの言葉で今の心境を伝えたいが、言葉が浮かばない。  なにかを察したのか、大我がテーブル伝いに膝歩きで自分に歩み寄ってきた。 「ここにいても、いいの?」  神妙な表情でそうたずねる大我に、今の自分の複雑な心境を伝える言葉は浮かばなかったが、こたえたかった。  動揺しながら、大我の肩に右手を乗せる。  自分がひどく震えている気がした。  間を開けては迷いや不快と取られてしまう。  震えるまま南方は頭をかたむけ、大我の唇に唇を重ねた。  静かに顔を離すと、大我の腕をすべるように右手をひざに落とし、うつむき、目を閉じる。  口づけておきながらこのような態度をとっては誤解を招くと感じどうにか頭を上げると、大我もややうつむき加減で、上目使いでこちらを見た。 「俺、みなちゃんに無理させたね」  誤解させていると感じ、南方は慌てて弁解する。 「違う、白石にここにいて欲しいってことを、伝えたかっただけで」  言うと大我は上目使いのまま、泣き出しそうな笑みを浮かべた。 「わかってるよ。すごい、嬉しいから」  そしてテーブルに伏して、腕に顔をうずめた。 「無理しなくても、いいよ。俺も時間、無駄じゃないからね」  そう言ってくれる大我の温情がありがたい。  時間をかけてもよいのなら、そうしたい。  大我には、真摯な気持ちで向き合いたい。  人を愛するということは、自分にとってこれほどまでに難しいことなのか。  全身がこわばって、息が詰まり、気を許せば涙がこぼれてしまうのではないかと思うほど心が乱れている。  南方はテーブルに手をついて、深く息を吐きだす。  なにを、おびえているのだろう。  意味のないわだかまりをすべて解放してから、彼の想いにこたえたかった。

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