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30 化成

 土曜の夕刻。  和室に通した同級生の和真(かずま)は、挨拶をする大我を見て開口一番に言い放った。 「話が違う」  短髪で生真面目な男は気むずかしげに顔をしかめ、食料の入った袋をテーブルに置くと座り込んで大我の顔を一瞥した。 「俺は挨拶ができて素直な子どもがいると聞いていた」  大我は特に気にした様子もなく返す。 「挨拶はしたよね。確かに子どもではないけど」  和真が情に厚いが頭の固い人間であることは知っていた。  しかし大我に対し礼を失する言葉が出ると思ってもみなかった南方は、ややうろたえて大我を擁護した。 「髪の色のせいかな? ちゃんといい子だよ」 「みなちゃん、俺たぶん髪黒くてもチャラいから」  苦肉の擁護を、大我が否定する。  そして和真は、更に大我に非礼を働く。 「前科はないが前歴があるって情報で十分だ、見た目がすでに信用できない」  飴色の長髪に黒のカッターシャツ、ワインレッドのボトムを身につけた大我は、改めて見ると確かに、人によっては近寄りがたい雰囲気があるのかも知れない。  まったくそう感じていなかった南方は困り果てた。  大我を傷つけたくはないが、和真の受け取りかたも理解できる。  だが、それを面と向かって口に出すことは不可解だ。 「見た目でそこまで言わないで」 「俺みたいな人間は、そんな派手な頭をしていると話が通じないと思うからな。話すつもりはないって言ってるのと変わらないぞ」 「そんなつもりないけど」  大我は和真の言葉をさえぎるように立ち上がり、台所に向かう。  南方は大我を追い扉を閉めると、食事を運ぼうとする彼に小声で謝罪した。 「ごめん、でも悪い人ではないんだよ」  大我は、小さく笑う。 「見た目がそーなのわかってるし、嫌われ慣れてるから気にしてない」  嫌った人間とは親のことか、自分のことか。  嫌われても自分は嫌わないと言いたいのかも知れないが、心苦しい。  グラスなどをそろえて南方が和室に戻ると、大我と和真は会話もなく共に食卓を整えていた。  和真は気分を害しながらも、即座に帰るつもりはないようだ。  大我と話すという目的は果たすのであろう。  飲み物を()いで食事に手をつけ始めると、和真は鞄から印刷物を取り出して大我に差し出した。 「うちの利用者向けの資料だ。いろいろ調べたりはしてるのか?」  愛想なくたずねる和真に、大我は印刷物を受け取りながらやや愛想よく答える。 「求人とか、経験なくてもできるかとか、ちょっと調べたよ。続けるのは結構大変そうだね」 「近場に施設ないだろ。免許持ってるのか?」 「免許はあるけど車はないなー。必要なら買うけど」 「誰の金で?」 「まぁ、親のだけど」  それはたぶん、勘当の際に渡された父親の手切れ金を指しているのであろう。  だがやはり、和真はそうは受け取らない。 「車買うとかそう簡単に。よっぽど不自由なく暮らしてきたんだな。バイトもしたことないんだろ?」 「まともなのはないね。まともじゃないのやって、つかまってるから」  大我は和真が想像するような不純な人間ではないと弁解したいが、大我の言葉は事実であり、弁解のしようがない。  歪んだ家庭の被害者であることを告げたかったが、大我に話すつもりがないのだと察するとなにも言えなかった。  和真が誠実そうな顔をこちらに向ける。 「圭紀、なんでこんなやつここに住まわせてるんだよ。いくら元教え子でも、世話する義理ないだろ」  理解できないと言いたげに眉をしかめる。  大我の見た目が落ち着いてさえいれば、和真はこのようなことは言わなかっただろうか。  どうにか、大我の本質を理解させたい。 「白石はいろいろあって、ほおっておけなかったんだよ」 「いろいろって、なんだ」  言ってもよいものかと大我をうかがうと、大我はやや不機嫌な口調で自らを語った。 「親に勘当されたから世話になってるんだけど。ダメなの?」  不憫な勘当であるのに、これでは相当不義理を働いて追い出されたように聞こえてしまう。  追い討ちのように立場の悪くなる現状を提示する大我に、南方は二人の和解をあきらめざるを得なかった。 「勘当って……。就職うんぬんの前に一般常識大丈夫か?」  わざとらしくため息をついて、和真がグラスの茶を飲み干す。  大我は無表情で立ち上がり、静かに和室を出て行った。  和真が帰宅すると、二方への配慮で疲れ切った南方は大我を和室に呼んだ。  テーブルに着き残り物に箸をつける大我に表情はない。 「社会に出たらさっきのような対応はいけないよ。相手がいくら非礼でも、組織としては相手を立てないといけないときがあるからね」  礼儀正しく誰とでも打ち解けることのできる人間だと思っていたから、和真の出かたにも面食らったが先ほどの振る舞いは予想外だった。  大我はややすまなそうにこちらに目を向け、すぐに目をそらす。 「僕としては、わざわざ来てくれた和真ともっと理解し合って欲しかったんだけど。誤解を解くわけにはいかなかったの?」 「俺も仲良くしようと思ったんだよ。でもあの人に、変に同情とかされたくない」  伏し目がちに、感情をおさえつつもすねた口調で言い返す。 「だってさ、あの人きっと、みなちゃんのこと好きなんだよ。みなちゃんのそばにこんなヤツ置いとけないって、ムカついて喧嘩売ってたんだよ、あれ」  憶測でまた嫉妬をしている。  大我に子供じみた性質があるということを忘れていた。 「理不尽でもうまく立ち回らないといけないことが、これからもたくさんあるからね。白石は敬語で話せないの?」 「今まで必要性感じなかったから、あんまり話したことない」 「今までは子どもだったからかわいげがあったけど、大人になったら礼を欠いていることにもなるから。最初くらいは敬語で話しなさい」  自宅にいるのに、学校で生徒指導をしている気分だ。  和真に対して不満げな顔をしていた大我が、次は自分に不満を向けてきた。 「じゃあさ、みなちゃん俺のこと子どもって言うのやめてよ」  子どもなどと言っただろうかと考えて、先刻を思い出す。  和真にそう、説明していた。  無意識だったと、虚をつかれる。  想いを寄せたいと感じているのに、自分は大我をそのように扱っていたのか。 「まだその他大勢の生徒みたいに思われてる気がして、なんかやだ」  不満の中に、寂しそうな響き。  いつから子どもであると言っていたのだろう。  自分も礼を欠いていた。 「それは、ごめん。大学生なのに、僕の中では高校で時間が止まってたんだね」  素直に謝罪したが、大我が幼いから無意識で再度言ってしまいそうな気がする。  確約はできないと正直に言うと、すねていた大我は、テーブルに片肘をついて、口を開いた。 「俺は今度の二月で二十歳(はたち)になるんです。もう子どもじゃないですよ、南方先生」  いたずらなようで温かい目元、柔らかく口角を上げて、笑う。  一瞬、大我が別人に見えた。  敬語で話しただけで、落ち着いて、大人びる。  自分が子ども扱いしないと譲歩したから、大我も大人になると譲歩した。  その表情に、胸が痛む。 「こんなでいい?」  くだけた口ぶりに戻った大我に、南方は内心そわつきながら、笑いかける。 「俺じゃなくて、せめて僕がいいかな」  また自分は感情を隠していると憂鬱になる。  不快を払拭するように、言葉を継ぐ。 「今度和真と会うときは敬語で話してみて」  仕事は紹介できないがボランティアは常に受け入れていると、和真は福祉機関の連絡先を置いていった。  よそに行かれても不安だから、自分の勤務先を指定してボランティアの申請を出せとの和真の言葉を伝える。 「あの人、そんなに悪い人じゃないね」  大我は苦笑する。  和真を嫌ってはいないようで、安心する。 「あの人じゃなくて、石越(いしこし)さん」  訂正して、大我の成長を期待した。  大我を軌道修正してほしいという泉の依頼を、自分は果たすことができているだろうか。  せっかくの好男子なのだから、より多くの人間に好かれるように導きたい。  大我の変化が心地よい。  彼の生きやすい世界を作る介添えができることが、幸運に思えた。

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