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31 哀恋

 園姫(そのぎ)駅。  改札前の柱にもたれた大我は、人混みから瀬峰を確認するといたたまれないような表情を見せた。  その顔をあの日にしてくれればよかったのにと、瀬峰は幾分うらめしい気分になる。  殴ったことをあやまりたいのに、もう会うことはないのではと感じていた。  だから大我からの電話の着信を受け、安堵した。    どう接すればよいのかわからず、先日のいざこざなどなかったかのようにカラオケに連れ込み、ひたすら選曲した。  以前なら部屋に入って間もなく存分にたわむれていたが、なにをする気も起きない。  三ヶ月ほど前、泉から大我に変わったことはなかったかと聞かれ、瀬峰は河南のことではないかと答えた。 『好きじゃない』と言ったはずの河南と、大我は大学構内で親しく会話するようになり、間もなく河南に対して暗い表情を見せるようになった。  それでも変わらず河南のほうから大我に声をかけてくる。  大我がなぜか恋愛に関して奔放であることは承知している。  女子に二度ほど二股をかけたところも見てきたし、自分に対して好意を示しながら泉にも変わらず好意を持っていることも理解していた。  河南にもおそらく、一時期好意を持っていたのだろう。  それでも瀬峰は、大我を受け入れ続けた。  大我は自分を真剣に求めてくれていたし、複数いるであろう大我の想い人の中でも自分が最も身近で大我を想っているという自負がある。  大我の寂寥感を自分が埋めているということが嬉しかった。  自分の行動に尊敬の念をしめし、自分を真似て周囲に配慮する姿が好ましかった。  大我の嬌態は自分の官能を刺激し、満たしてくれていた。  河南とのトラブルで大我の様子がおかしいのだと思っていたが、なにかよくないことに巻き込まれているのではないかという。  聞いても答えない大我に、変わらず愛することしかできなかった。  泉とともに久しぶりに会った大我は、憔悴しながらも自分たちを頼ることなく、拒絶した。  泉をなじるようにひた隠しにしてきた関係を明言され、その態度全てに耐えきれず、手を出してしまった。  車に戻っても、すぐに出すことはできなかった。  混乱していた。  自分は大我を理解していたはずなのに、大我がわからない。  助手席に乗り込んだ無言の泉が、自分をどう思っているのか不安でならない。  いつか大我が自分から離れようとしたとき、むしろ激励する気持ちで大我を見送ることができると思っていた。  だが、本当に大我を想うなら、隣に座る泉のような立ち位置にいるべきだった。  友人である泉は、この先さらに大我を心配して踏み込んでも許される立場。  だが自分は。  密な関係を拒絶するように振る舞われてなお踏み込むことは、未練がましく、大我を不快にするだけではないか。  泉より大我を気にかけていたつもりが、そうではなかった。  泉は不愉快だろうと、どうにか気持ちを切り替えて家に送った。  なにに対してなのかわからないままひとことあやまって、別れた。  その日のうちに泉から、大我が情緒不安定らしくしばらく恩師の家で世話になるそうだ、とスマートフォンにメッセージが届く。  泉に返信は、できなかった。  不安定で実家を出るということは、河南ではなく家庭の問題だったのかも知れない。  そして、大我の振る舞いが本心ではない可能性が出た。  もし拒絶が嘘であるのなら、また、大我に会える。  会いたい。  殴ったのは間違いだったと、大我にあやまる理由がほしかった。  大学構内、宮崎と連れ立った河南を呼び止め、不本意ながらに大我のことをたずねる。  そこで大我がひと月前、逮捕されたのちに停学になったと聞かされた。  自分たちが本人からもその母親からも聞けなかったことをなぜ知っているのか、素直に疑問に思い次いで問う。  河南は、自分への報復として大我に罪を着せられそうになっていると、信用ならない笑顔を見せた。  二人が別れたように見えてから一年近く経過している。  今さら大我が報復などするのか。  罪を着せたのは河南のほうではないか。  大我を信じたいという気持ちだけで河南を否定するわけにもいかず、なにも言わなかった。  大我が自分たちを避けた理由は、やはり本人に問い正さない限りわからない。  拒絶されておいて、それができるのか。  泉に頼りたくても頼れない。  あきらめていたから、大我から丁寧な謝罪と話がしたいとの電話が来たとき、安心した。  間違った別れを、やり直せる。 「殴ったの、ごめん」  カラオケの選曲が途切れ静かになると、自分から頭を下げた。 「怒らせたんだから、殴って当たり前だよ。俺のほうが申し訳ない」  大我も深く、頭を下げる。  避けた理由を教えろというと、言い訳になるからと言葉を出し惜しむ。  あやまる気持ちがあらるなら不可解な気分を解消させてほしい。  静かにそう問うと大我は、死んでしまいたかったから、自分が死んだときに二人が悲しまないよう、溜飲が下がるよう喧嘩を売った、と言った。  瀬峰は、大我を抱きしめた。  死んでほしくない。  死ななくて、よかった。  ひさしぶりに抱きしめた大我は、自分が愛した大我だ。  奔放なのに、他人を想うことができる、さみしそうなひと。  大我の肩を抱きながら、死にたかった理由をすべて話すのを聞いた。  そして大我は恋愛に関して奔放だったことをわび、世話になっている恩師だけを想いたいと、すまなそうに目をふせる。  自分もやっと、笑顔で別れるとこができる。 「大我がまともになったなら、ノシつけてその先生のトコにやれるな」  大我はまだ、不安な目をしていた。 「怒んないの?」 「大我は好きなヤツたくさんいたから、別れる覚悟、最初からしてたし」  殴る前までは自信があったが、自分は大我の一番になれなかった。  いまの大我が誠実で、恩師のもとで達者で暮らしているならば、それでいいと思える。 「殴って終わりはイヤだったから、呼んでもらえてよかったし。付き合えて楽しかったよ」  肩を抱いた手をおろすと、大我はその手を目で追ってから、瀬峰に視線を移した。 「俺もさ、大学しんどかったから、瀬峰がいてよかった」  大我の言葉にいままでが報われたが、涙を浮かべてしおらしくされると別れる決意が揺らぐ。  あせるようにカラオケの選曲端末に手を伸ばすと、大我もあせって瀬峰をのぞき込んだ。 「あのさ。泉に瀬峰との仲取り持ってほしいって、言われたんだけど」 「いや泉は……、ムリだろ。男同士でヤるコトヤってたとか」  泉と話ができないことは、そこが一番の壁だった。  とにかく気まずく、言いわけができない。 「でも泉、なにも気にしてないって言ってた」 「気にしてないって、あいつは聖人君子かなんかか? 大我さ、俺と泉がヤってたらどうよ?」  大我は瀬峰をひと目見て、考えこむ。  そして。 「自分が好きな人同士が仲いいのは、イヤじゃないな」  過去になんの迷いもなく付き合っていたときのような、飄々(ひょうひょう)とした様子で答えてきた。  瀬峰も、大我と泉の間に身体の関係があったならと、想像する。  大我が泉のことを相当好いていると知っているから、その延長線上のできごとで異常な感覚ではない気もする。  泉も、大我が自分を好いていたことを明確に知っている。  泉が大我の誘いに乗らず友人を貫いたから、恋仇にはならなかった。  また泉に、負けた気がする。 「大我、今度一緒に泉がどう思ってるか聞きに行かない? 俺一人じゃ、ちょっとムリ」  大我は困った表情を見せる。 「俺のこと、イヤじゃないの?」  その顔をされるほうがイヤだ。 「イヤじゃないから、あのさ。付き合うのやめたけど、友だちに戻っても構わないもんなのかな?」  想い人がいる者に、常識的に過去の恋人が近くに居続けてよいものだろうか。  だが、泉がうらやましいから、同じ場所に、しがみつきたい。  大我は少し泣きそうな顔で、笑った。 「わかんないから、今度一緒に、泉に聞いてみようか」  ずっと悶々としていたというのにどうしてか、今がよいと思える。  すべての気持ちがおさまったような感覚。  瀬峰も大我に、笑顔を向けた。

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