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第23話 君を想う 2

******** 気怠さの中で目を開くと、閉じる前に見た光景がそのままの形で飛び込んでくる。 この部屋から豪さんが出て行った時は窓の外は暖かなオレンジ色だったが、今は凛と澄んだように白い。一晩を越したらしい。 微動だにしなかったんだろうか。藤は仰向けのまま眠り続けているようだ。 縛られた藤の両腕が背中の下で痺れてしまってはいけないと思い、彼の体が横向きになるように転がす。 短い呻きをひとつ零しただけで、藤が目覚める様子は無い。眠りが深いのは、抗オメガ剤の副作用なのか・・・? もしかして俺はとんでもない物を藤に飲ませてしまったのではないだろうか。 「・・・藤。・・・おい、藤っ」 強めに彼の体を揺さぶると、薄らと開く瞼。しかし 「っ!」 すぐに眉間に皺を寄せて瞼が落ちる。 「どこか痛むのか? 腕? 他のところ?」 「・・・いえ。少し頭痛がするだけです。・・・腕も痺れてはいますが」 「今外してやる」 固く結ばれたロープタッセルをどうにか緩め外してやると、藤は「また襲われるとは思わないのですか」と少し呆れている様子で起き上がり、両手首をブラブラと振った。 「申し訳ございませんでした。無理矢理にも茜様を組み敷こうとしてしまいました」 「俺も・・・」 体は藤に抱かれるのを望んでいた。綾木を求めるよりも遥かに強く。認めたくは無いが。 「頭痛と痺れの他に、何か具合の悪いところは?」 抗オメガ剤がαに及ぼす副作用とは、頭痛だけなのか? 「・・・そうですね。強いて言うのであれば、心が痛いくらいです。運命の相手に拒絶されてしまったので」 チラリとこちらに向けられる藤の視線に、気まずさよりも胸の高鳴りを覚える。 どれだけ綾木が好きだと訴えたところで、藤が運命の相手だという事実は変わらない。 「ご安心ください。あれは抗オメガ剤ですよね?αが一時的に服用する分には、急速な性欲の減退と頭痛、吐き気、目眩、発熱、倦怠感等の症状が出る程度です。長期間服用しなければ問題ありません」 「そう、なのか?」 「はい。実は私も常備しております。実際に服用したのは今回が初めてですが。αである以上、いつΩのフェロモンにあてられてしまうか分かりません。久遠家に仕える者として、劣情で職務を放棄するなど許されぬ事だと父からキツく言われていますので」 「俺とこんなことをしていて、職務放棄ではないのか?」 「旦那様は、茜様と番になれ、と。それができない状況ですので、職務放棄になるのかもしれません」 藤は フッ と笑う。 「『あやき』様とおっしゃるんですね、茜様の恋人は。αなのですか?」 「そうだ」 「でしたら綾木様にも同じように、運命の相手がどこかにいらっしゃるという事。茜様は運命を拒絶なさいましたが、綾木様はどうでしょう?」 「何が・・・言いたい」 いや、藤が言いたい事は手に取るようにわかる。 綾木が運命の相手と出逢ってしまえば、俺など簡単に捨てられてしまう、と言いたいのだ。 「Ωは薬で自衛ができます。けれどαに認可されている薬は今のところありません。綾木様がもし運命よりも茜様を選ぶのなら、代償は決して軽いものではないのです」 「どこにいるかも、出逢うかもわからないだろう!?」 込み上げる不安で思わず声を荒らげてしまう。 「そうですね。ですが私たちは出逢いました。葵様と豪様も。運命の番になる者同士は、出逢うように仕組まれている。あなたに触れて欲が出ました。私は茜様を手に入れます。必ず」 「う・・・っ」 真剣な藤の言葉と眼差しに、不覚にも心臓が踊るほど嬉しくなってしまう。運命の相手とは憎らしいほどに厄介だ。 「発情期外の突発的ヒートでは咬まれても番にならない、というのはあくまでも運命の相手では無い場合です」 「え・・・?」 「茜様がヒートを起こし私がラット化してしまえば、いつでも番になれるんです。発情期外でもあなたを孕ますことができる」 嘘だ。そんなのは知らなかった。だったら昨夜抵抗していなければ、俺は藤の子を宿していたかもしれないのか? 「茜様は無知なんですね。そんなところも愛おしいです」 ベッドから降りた藤は、ドアの外に声をかける。 「茜様のご入浴の準備をお願いします」 「かしこまりました」 部屋の外からすぐにも返って来る使用人の声。 この部屋には鍵が無い為に、どうやら見張りを付けられていたようだ。 「私は仕事がありますので、旦那様と共に今夜また日本を発たなければなりません」 「・・・そうか」 ホッとしたような、名残惜しいような複雑な気持ちになる。 「昨日、茜様がお倒れの際に主治医に確認したところ、次の発情期は3ヶ月後だと。それまでにもう一度帰国します。綾木様にあなたを譲るつもりはありません。覚えておいてください」 藤が部屋を出て、ドアが閉まる音だけがやたらと大きく響く。 静まり返った部屋に、微かに残る藤の匂い。同じ匂いが自分を包んでいる。彼の痕跡にすら体はまた熱を上げそうになる。セックスなどしなくても、俺は藤のものなのだと思い知らされているようだ。 ・・・早く帰りたい。綾木の元へ。 マンションへ向かう車の中、運転席のセバスは黙ったままだった。 「茜様」 到着し、ドアを開けたセバスがいつものように優しく微笑む。 「私は学生の頃より、幼かった茜様と葵様のお世話をさせて頂いて・・・旦那様や奥様よりも茜様のことをわかっているつもりです。ですからどうぞ、茜様のお心のままに」 「・・・」 何も答えられない俺の頭にポンポンと手を置き、「失礼を致しました」と言ってセバスは帰って行った。 俺はもう子供じゃないぞ。本当に失礼な奴め。 しかし今の俺は、セバスの手の温かさが妙に心に染み入る気がした。 自宅のドアを開けると、そこに綾木の靴がある。 顔が見たい。すぐにでも飛びつきたい。そして抱きしめて欲しい。 はやる気持ちをめいっぱい抑えてリビングへ入ると 「おかえり。実家のメシが美味くて帰って来ねーのかと思ってた」 昨日と何も変わらない綾木がいる。 「あや・・・」 彼に歩み寄ろうとした足が急に重くなった。 そうだ。綾木は何も変わらない。 変わってしまったのは、・・・俺だ。

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