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第32話 藤の章 1
大学を卒業するまでの俺は、本当に最低な人間でした。
俺は小学校入学前の第2次性検査で自分がαだと知りました。
β性の両親からαやΩが産まれるはずがない。
それまで俺は両親の本当の子供では無いと知らなかったんです。
捨て子だったと初めて両親から聞かされショックを受けましたが、愛情深い彼らのおかげで血が繋がらない事などすぐに気にならなくなりました。
けれどα性というのは自分が思っている以上に優秀だったようで、大した努力もせずになまじ何でもこなせてしまい・・・学校内ではすぐに俺がαだと知れ渡り、生徒の親達が皆 噂し始めたんです。
『久遠家に仕えるβの、その子供がαなのはおかしい』
勿論、養子だということを隠した事などありません。ですが噂とは尾びれをつけて広がるもので、久遠の旦那様と田中の母の不倫の末にできた子供だろう、と そこかしこで囁かれるようになったのです。
旦那様に申し訳なく思った父は言ったそうです。「解雇してください」と。
しかし父を解雇してしまえば世間の噂を肯定する事になる、とお考えになった旦那様は「堂々としていろ」と仰ったそうです。
田中の父は、茜様と葵様のお世話が役目です。
朝早くから家を出て、帰りは22時過ぎ。私と過ごすよりも長い時間をおふたりと過ごす。小学生だった私は、根も葉もない噂よりも何よりもそれが寂しかった。
いっそ父を解雇してくれたら、と当時の私は何度も思いました。
坂の上の大きな御屋敷に暮らす私より少し年上の双子のα・・・恵まれた環境で守られて育ち、自分たちがαであることに何の疑問も持たないであろうおふたりと父を遠くから眺め、子供心に嫉妬していました。
α同士はお互いに相容れない性分です。まさか茜様がΩであるとは夢にも思いませんでしたので、私はおふたりに嫌悪しか抱いておりませんでした。
そんなひねくれた考えしかできないままに成長し、高校へ入学して間もない頃。
私は初めてΩという人種に出逢いました。
校内でただ1人のΩ。数人いたαは皆、彼に夢中になりました。
『誰があのΩを手に入れるのか』
けれど彼は誰にも靡かなかった。そして彼の父親が世界的に有名な映画俳優だということもあり、無理矢理にでも襲えばメディアに晒されてしまうリスクがあったので、家柄の良いα達は迂闊に手を出せませんでした。
私以外は。
私自身はαであっても、βの祖父と父は久遠家に仕えており他のβの家よりは生活は豊かでしたがごく一般的な家の出です。
彼に近付くことに躊躇いはありませんでした。
躊躇わなかった、というより、もし私が不祥事を起こせば父に迷惑がかかる、その父を雇っている久遠家にも、もしかしたら・・・と考えました。むしろ間接的にでもそうなればいいと思った。
親しくなれば私達は すぐに惹かれ合いました。彼が初めての発情を迎えてからは更に深く。
お互いがお互いしかいないと溺れ、高3の夏、私は彼の項を噛みました。
この頃にはもう、始めに彼に近付いた理由など、どうでもよくなっていました。ただ彼を愛していました。
番の契約は成立しましたが、まだ学生だった私達は将来の約束を交わし、それだけで満足でした。
彼が私の前から居なくなったのは、それから数ヶ月後。高校卒業の翌日の事でした。
考えてみれば、私は彼のことを何も知りませんでした。父親が有名人だということ以外は何も。
高校に問い合わせても個人情報の扱いが厳重で教えてはもらえず、父親の所在を調べ どうにか会わせて欲しいと頼みましたが、
「俺にΩの息子はいない」
の一点張りで、彼への手掛かりは何も得られませんでした。
Ωの彼にαの自分が捨てられたのだ、と理解しました。
それからの私は、彼を忘れるためにΩであろうがβであろうが手当り次第に体だけの関係を持ち、文字通り最低な男に成り下がりました。
どうせ祖父や父のようにいずれ久遠家に仕える身だとわかっていたので、勉強もろくにせず遊び歩く毎日でした。
そんな私を見兼ねた父に久遠家に仕える事を反対されましたが、ほとんどを海外で過ごされる久遠の旦那様は
「大学卒業後は、高齢の田中の爺の代わりに藤を」
と仰られて、私は旦那様と奥様のお世話役として同行させて頂くことになったのです。
旦那様は私に
「αのお前がただの世話役では勿体無い」
と、私にリゾート経営の一部を任せてくださり、いずれは独立するようにとまで仰ってくださいました。
捨て子であろうが久遠家を恨んでいようが、Ωに捨てられたαであろうが、そんなのは小さなことだ、と。
旦那様に仕えるようになってすぐに、茜様がΩだと知りました。Ωがαと同等の能力を持つこと、それは並大抵の努力ではありません。それを傍で支えている葵様もまた。
『何の悩みも持たない』などとおふたりに対して思っていた自分が、心底恥ずかしくなりました。
私は生まれ変わろうと決意しました。
そして2ヶ月前、茜様と初めて対面し『運命』と知りました。
身分不相応とはわかっていましたが、どうしても手に入れたくなった。まさか『運命』に拒絶されるとも思っていませんでしたし。
しかし、御恩のある久遠家のご子息。無理強いする事はできません。恋人がいらっしゃるのであれば 尚更。
一度では駄目でも、二度三度と会う回数を重ね、茜様を綾木様から奪う算段をつけておりました。
それなのに・・・
私はまた出逢ってしまったのです。
私が任されているタオルミナのリゾートへ、偶然バカンスに来た親子。
私を捨て、姿を消した彼でした。
彼が連れていたのは5歳になる男の子。
言い様のない胸騒ぎがしました。
彼が姿を消したのは6年前。もし私と別れた後に産んでいたとしたら、この子は・・・
「とうり」
彼が呼んだ子供の名前で、胸騒ぎは期待へと変わりました。
彼の名は『莉央 』
もし子供の名を「藤莉」と書くならば、私と莉央の子だ、と思ったのです。
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