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 寮に戻り、玄関に入ってドアを閉めた瞬間、緩んだ花咲の腕を払い、細く白い首を掴んで壁に押し付ける。 「っぐ……ぁ……っ!」  俺の手首を掴んで何とか引き離そうと苦しげに息を吐く花咲を、焦点の合っていない目で見つめる。  ああ、今回の獲物は絶品だな。アタリ、だ。  必死に抵抗する獲物を嘲笑うように、俺はさらに手に力を込めた。右手が脳へと痛みを訴えるが、今はそれすらも快感に変わる。 「う……っ! …ふ、じっ……はら、く……ぁ……っ」  絞り出すようなか細い声が、何かを紡いでいるが、耳に入ってこない。只の雑音だ、気にする必要などない。  身を捩りながらバタバタと暴れている獲物。この手の中で、獲物が苦しんでいるというその事実が、俺の感情を更に高揚させる。  酷く気持ちがいい。久々の感触。待ち望んでいた、この感触。ぞくぞくと背筋を走る快感に、獣になったように舌なめずりをした。 「ぅ……っ……ひ、じり……く……!」 「ッ!」  名前が耳に入ってきたと同時に、霧が晴れたように正常な思考が津波のごとく脳内に溢れかえった。今、自分が何をしているのかを瞬時に把握して、慌てて締め付けていた首を離す。花咲はその場に崩れ落ちて、ゲホゲホッ、と酷く咳き込んで荒い息を吐いていた。細く白い首に、薄暗い室内でも分かるほどくっきりと浮かぶ赤い痕。 「あ、あぁ……、うああ……っ!」  あのときと同じ。両親を殺した、あのときと。俺は衝動に負けて、俺を受け入れてくれた人に手をかけた。その事実から逃げるように、俺は咄嗟に外に飛び出していた。  寮生はみんな食堂に行っているらしく静かな廊下を、全力で走る。  目的地なんてない。ただがむしゃらに走った。  来たばかりで、どこに何があるのかも分からない廊下を、淡い救いを求めて。  ひたすら走り続けて、流石に息が切れ俺は立ち止まった。 「っはぁ……はぁ……」  呼吸を整えながら辿り着いた場所を目に写すと、一本の大きな木を囲むように、そこかしこに白や橙、青や桃色の花々が咲き乱れている。どうやら庭のような所に来てしまったらしい。  野生のようで、よく見ればきちんと手入れされている植物たちが、春のまだ冷たい夜風に吹かれてゆらゆらと揺れる。  空を見上げると、一際輝く月の周りに、無数の星が散らばっていて、都会育ちの俺は初めて肉眼で見る見事な夜空に、思わず見惚れてしまった。  何かが頬を伝う。濡れている。雨か、と思ったが、雲一つない空から雨が降ってくるわけもなかった。  化け物が人間よろしく泣いているのが、自分のことながら酷く滑稽で、思わずははっ、と乾いた笑いが漏れる。  これからどうすればいい?  血ではない、ただ赤いものを見ただけであのザマだ。こんな所にいれば、すぐに衝動に負けて誰彼構わず殺してしまう。もう、俺の殺人欲求は自分で制御できるレベルを超えてしまった。  理事長に頼んで病院にでもぶち込んでもらって、隔離してもらおうか。

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