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 ◆  微かな声が俺の鼓膜を震わせた。それと同時に感じる自分を包む柔らかな感触。一瞬前の記憶と現在の自分の状況の整合がとれない。無理矢理シーンの一部を切り取られ前後を繋ぎ合わせられたような感覚に、意識を失くしていたのだと自ら悟る。  声の主はおそらく花咲だ。少しでも耳に入れば分かる、今まで聞いてきた誰よりも優しくて綺麗な声。  花咲、すまない。本当に、すまなかった。それだけでも、伝えさせてくれ。お前が、俺を拒絶したいとしても。  それを伝えることだけは、許してくれ。 「……っ……」  重い瞼を押し上げて目をうっすらと開く。目に入ってくるのは、この部屋に最初にやって来てベッドに寝転んだときと同じ、真っ白な天井。  もう少しだけ目を開き、眼球だけを声のする方へ移動させると、花咲らしき後ろ姿が見えた。俺がつけた生々しい絞首の痕を襟首の上部から少し覗かせながら、花咲は長谷川と声を潜めて話していた。  大方、俺のことだろう。もう話を聞いてさえくれないかもしれない。不安が胸の中で膨らんでいくのを感じながら、渇ききった唇を薄く開いた。 「……は、なさき」 「っ藤原君!」  上手く力の入らない体をなんとか起こしながらほとんど空気の音に近い掠れた声で花咲を呼ぶと、花咲は物凄い勢いでこちらを振り返り、目を潤ませながら口元を綻ばせ、俺に抱きついてきた。 「うわっ」  突然のことに体を支えられなかった俺は、飛び込んできた花咲を抱えながら再びベッドに倒れ込む。 「良かった……! 本当に、良かった……っ!」  俺の胸に額をぎゅっと押し付けたまま絞り出した花咲の声は震えていた。薄手のシャツの胸元が、じんわりと湿っていく。  しがみつく花咲ごと体を起こし、小さな頭を撫でた。黒い指通りのいい髪が、俺の指の隙間を抜けて零れ落ちる。 「花咲……、すまない」 「藤原君……」 「すまなかった。痛かったよな。苦しかったよな。ごめんな……!」  一度言ってしまえば、堰を切ったように言葉が流れ出た。  こんなに簡単なことだったのに。逃げ出した俺はとんだ臆病者だ。  何度も自分の思いを花咲にぶつけていれば、気付けば頬を伝う涙が花咲の髪を濡らしていた。  悔し涙だった。殺されかけても、俺の事を案じてこうして涙を流してくれるこの人に、自分の意志が弱いせいで手をかけてしまったことが、途轍もなく悔しかった。 「ごめん……! ごめんな……っ!」 「……僕の方こそ、ごめんね」 「え……?」  俺の胸から顔を離して座り直した花咲から告げられた言葉に、耳を疑った。何故、花咲が謝るのか。 「君の衝動を甘く見てた。まさかそこまでとは思わなかった。僕が食堂にいくようなことをしたから……」 「違っ……! 俺が、俺が……っ」  花咲のせいじゃない。花咲は一ミリだって悪くない。俺が自分に勝てなかった、自分を抑えられなかっただけなのに。  伝えたいと思えば思うほど言葉が出なくなり、それでも花咲のせいじゃないと理解してもらえるよう、俯きながら頭を左右に強く振る。 「……顔、上げて?」  頭上から降る花咲の言葉に従い、顔を上げると。 「……っ!」  俺の唇が花咲の唇に塞がれていた。  突然のことに、頭の中が真っ白になり、体が硬直する。花咲の後ろに見える長谷川も、花咲の奇行に両目を見開いてポカンと口を開けていた。  俺が抵抗しないのを確かめるように、一度唇を離して再度口づけてきた花咲の舌が、薄く開いた隙間から入り込んできた。 「ふっ、ん……」  何かを探るように口内を荒らしていた舌が、俺の舌を見つけて動きを止める。終わった、と思ったのは束の間、花咲は思いっきりそれを吸い上げた。 「んんっ!」  背筋を駆け上がる快感に体が震え、花咲との僅かな隙間から声が漏れる。強弱をつけて吸われるとたまらなかった。初めて感じる刺激に腰が引けてしまう。今までしてきたキスはお遊びだったのかと思うくらいに。 「ふぁっ、ん……っ!」  暫くして、糸を引きながら唇が離れた。

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