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 火事に気付いて慌てて理人の名前を呼びながら既に火が回りかけていた部屋へと向かう理一を。  呼んでも返事をしない理人を怪訝に思いながら、必死に何度も理人を揺さぶる理一を。  理人の死に気付き、絶句する理一を。  俺はその一挙手一投足を、一瞬たりとも見逃さんとじっと見つめていた。何かにとり憑かれたかのように、目を極限まで見開いて。集中しているせいで普段より格段に少なくなった瞬きですら、酷く疎ましかった。初めて見た、己が命を奪った被害者の遺族の姿だった。  辺りを見回して木の陰に隠れている俺と目が合ったとき、彼は憎悪に顔を歪めて、『殺してやる』と叫んだ。本当に殺されるかもしれない、と本能的に体が震えるほど、凄まじい殺気だった。  俺はあのとき、まだ小さかった。あの頃とは顔も体も随分と変わっている。だから、先生も気付かなかったのだろう。  同時に、俺自身もこの殺しは自分の生き方を歪めかねないものだと考えて、思い出さないよう封じ込めていた。どうやっても、その殺しの正当性が証明できなかったからだ。  真実を話せば先生は俺をどうするだろうか。あのときの言葉通り、俺を殺すだろうか。  ならばもういっそ真実を──。  そう考えて我に返る。  昨日と同じ事の繰り返しじゃないか。長谷川を殺人者にしかけて、先生まで殺人者にするつもりか。  醜い。自分の馬鹿げた都合の為に、他人の手を汚そうとする俺は、醜すぎる。 「藤原?」  あのときの面影を残す目の前の先生が、俺の名前を呼ぶ。  この人の手を、汚させるわけにはいかない。醜い自分は、醜く野垂れ死ぬのがお似合いだ。  余計な反応をして、先生を自分の都合に巻き込んでしまわないように。もう、俺がこの人の何かを奪ってしまうことがないように。見よう見まねで、下手くそな微笑みを浮かべて。 「俺、ちょっと保健室行ってきます」  もちろん、保健室に行く気なんか毛頭なかった。それどころか、引き止めて欲しい、と心の奥で無意識に願っていた。赦しを得て、楽になりたい。そんな、許されない希望を抱いていた。  しかし、俺の微笑みが引きつっているのを気分が悪くなったのだと解釈したのだろう。先生は渋い顔をして俺を送り出した。 「要らねえこと考えるんじゃねえぞ」  その言葉と共に、唇に熱い感触を植え付けて。

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