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 ◆  その瞬間は、全てがスローモーションのようだった。ゆっくりと傾いでいく藤原の体を、花咲はぽかんと口を開けて眺めていた。まるで映画のワンシーンのような映像が花咲の視界をジャックする。足が完全に宙に浮いて、徐々に視界から消えていく藤原の姿。今ならまだ、引き戻せる。なのに、花咲の身体は接着剤で固められたかのようにぴくりとも動かない。  花咲が現実の時間の流れを認識したときには、既に藤原の姿はそこになかった。動くようになった身体で、慌てて窓に飛び付いて身を乗り出し手を伸ばしたが、藤原はもう手の届かないところにまで落ちてしまっている。 「藤原君──っ!!」  藤原は落ちながら微笑んでいた。全てを諦めたような顔で。  藤原の体と地面との距離がどんどん近付いて、藤原が目蓋を下ろしたのを花咲がその目に焼き付けた直後、ぐしゃ、と固くて脆い陶器が潰れるような音が下から聞こえた。  視界に映る、先程まで一緒にご飯を食べていた同級の生徒は、下手くそなマリオネットのように、四肢をおおよそ有り得ない方向に折り曲げて、地面に横たわっている。  息をするのも忘れ、自分が何をしなければいけないかも分からず、花咲は呆然とそれを見つめ続ける。そこからの記憶は曖昧で、気付けば翳されたスマートフォンと、切羽詰まった神沢の顔が眼前にあった。自分の顔を掴む強い力が、ふわふわとした意識を急速に地に戻していく。 「圭佑、これで救急車呼べ! 早く!」  震える手でスマートフォンを掴むと、神沢は風のように教室から去っていく。その震えはすぐに全身に広がり、立っていられなくなった花咲は膝からガクン、と崩れ落ちる。それでも、なんとか自分の意思通りに動かない指先で緊急用の番号を押して、通話ボタンに指が触れた瞬間、スマートフォンが手から離れて床へと転がった。教室の床を少し滑ったスマートフォンを拾い上げたのは、この騒動の元凶とも言える人物。  窓から教室内に入り込む暖かい風に、その血色に染まった髪を浚われながら、生徒は拾ったスマートフォンを耳に当てた。 「生徒が校舎の四階の窓から転落した。場所は雉ヶ丘。至急救急車を」  腹に響く重たい低音で電話の相手にそう告げると、ちら、と視線だけを動かして、今しがた自分がダウンさせた戸田の方を見やる。 「……それと、腹部を殴られた生徒も一名」  言い終わると、すぐに画面をタップして不安そうに自分を見上げる花咲に向かってそれを放る。床に落ちないようにバランスを崩しながらもスマートフォンをキャッチして顔をあげれば、既にその姿は消えていた。入れ代わりに鈴木と長谷川が教室へ飛び込んでくる。  幾分か落ち着いた頭で二人に事情を説明し、長谷川に戸田を任せて、花咲は鈴木と校庭へと向かった。途中、花咲は鈴木と別れ、救急車を案内するために校門の方へ向かう。山の麓にある病院ということもあり、既にその姿を表していた白い車体を校庭の方へ導くように案内すれば、血溜まりの外に突っ立っている鈴木と、血にまみれた姿で藤原の側にしゃがみこむ神沢が見えた。  救急隊員にも事情を説明し、担架に乗せられた藤原の後から花咲も乗り込む。戸田は、長谷川に担がれて階段を降りている途中に意識を取り戻したらしく、ひとまず保健室の方へ連れていくことになった。  病院に着くまで、花咲はずっと藤原の手を握っていた。血の気が失せてどんどん冷たくなっていく手が、少しでも温かくなるように。  病院に着いて、真っ先に藤原が運び込まれたのは手術室。  赤いランプが点るその部屋の前で、花咲はソファーで藤原のことを待っていた。他の先生方に事情を伝えて、車で救急車の後を追いかけてきた神沢と共に。  二人とも、一言も喋らない。どれくらいそんな時間が続いただろうか。  ぽつり、と花咲が呟いた。 「……藤原君が、何を考えてたのか分からないけど」  花咲は静かに涙を流していた。ぼろぼろと湧き出す透明な雫が、花咲の頬をしとどに濡らしていく。 「多分、僕らのことを守るために、身を投げたんだと思う。なのに、僕は守ってあげられなかった。何にも出来なかった……っ」  せり上がる何かを必死に抑えるように唇をきつく噛んで、膝の上に置いた両手でぎゅっと拳を握る。そんな花咲の姿を見て、思わず神沢は花咲を抱き寄せた。小さな体が、震えている。 「死んじゃやだよ……!」  絞り出すような声で、望みを吐き出した。普通なら、もう叶わないであろう望み。  神沢は何も言えずに、泣き続ける花咲をきつく抱き締める。  窓から差し込む赤い夕日が、一人の少年の生還を待つ二人を照らした。

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