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◆
周りのものはおろか、自分の姿さえ見えない、真っ黒に塗り潰された世界。
『聖』
誰かが、俺を呼んでいる。
どこかで聞いたような、懐かしさのあるその声。しかし、誰の声なのかは全く思い出せない。ほんの少しでも姿が見えたらと、声のした方へと顔を向けるけれど、黒一色の視界は一切変わらず、相変わらず何も見えなかった。
何度も、何度も。声が聞こえては、顔を向けて。しかし、何も見えない。遂に姿を見るのを諦めれば、半ば声を無視する形になったことが災いしたのか、いつしか声は聞こえなくなっていた。
暫く無の時間が過ぎて、今度は脳に直接声が響いてきた。
『聖』
誰だ? と口を動かしたつもりだったが、それは音にならなかった。声は、段々大きくなり、俺の脳を直接揺さぶる。しかし、不快感は全くなく、むしろ安心感を感じる振動だった。
『聖』
そして、最後。
『お前は、生きろ』
そう言って、声は再び響かなくなった。
お前は生きろ、という言葉。それを聞いた瞬間、おぞましい何かを思い出しそうになり、胃液がせり上がってくる。慌てて手で口を押さえれば、喉元付近まで来ていた胃液はゆっくりと元ある場所へと戻っていった。つい最近、神沢先生から似た言葉を聞いたときには現れなかった現象だった。
そしてたった一人、また闇に取り残される。
この場所から逃げたい。なんとなく、嫌なのだ。この闇が。先程のおぞましい記憶を更に掘り返すような、そんな闇が。
だが、もしこれが罰だと言うなら、逃れることは出来ない。逃れる権利など、沢山の生を握り潰してきた俺には、無いに等しい。
もうどれくらい経っただろうか。声が聞こえていたのが、遠い昔のように感じるほどの間、俺は微動だにすることなくその漆黒の空間に身体を置いていた。
それは唐突だった。
きらっ、と。
闇に一つ、眩しく光る白い球が出来た。闇に目を慣らしていた俺には、その光が眩しすぎて、思わず目を瞑ってしまう。その光が急激に強くなっていくのが目蓋越しにわかった。
光が強くなっているだけなのか、それとも近付いてきているのかは分からなかったが、目蓋の裏が赤くなるにつれて、温かさを持った空気が俺を包み込んだ。
『お前は、生きろ』
と、また声が聞こえた。
俺は、この言葉を、この声を、ずっと昔に聞いたことがある。開いてはいけない記憶を押し留め、俺はその温かさに身を委ねた。
ピー、ピー、
体が痛い。頭が痛い。声をあげて、身を捩り、暴れてしまいそうになるほどの激痛。さっきまで、痛みなど一ミリも感じることはなかったのに。
先程ほどではないが、目蓋の裏が明るい。色んな音が聞こえる。俺を、呼ぶ声も。
痛みを堪えながら、重い目蓋をゆっくり開けた。途端に光が目に入ってきて、眩しくて目蓋を閉じてしまう。それでも何回か目蓋を開けるのに挑戦して、やっと光に慣れた目で視線の先のものを認識する。
一面真っ白の視界。頭から背中、足に至るまで全身に感じる柔らかい感触からして、寝かされているのだろう。だとすれば、あれは天井か。
目を左に動かした。視界の下部に、黒と肌色の何かが見える。いや、これは人の頭部だ。
どうやら俺は今ベッドの上にいるらしい。誰かが俺が寝ているベッドの上に腕を起き、それを枕代わりにして、こちらに顔を向けて寝ている。
あ、こいつは。
「、なさ、き」
上手く声が出ない。が、花咲の目蓋が、俺の呼び掛けにぴくっ、と反応した。
これは、夢じゃない。
生きている。
俺は、生きている。
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