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 ゆさゆさと体を揺さぶられる感覚で、意識が浮上した。重い目蓋を無理矢理押し上げれば、戸田の苦笑している顔が目の前にあった。 「……何だ」 「何だじゃないよー。着いたよもう」  寝起きの頭がゆっくりと動き出し、寝落ちる前の記憶を脳内に映し出す。そうだ、発注のためにバスに乗って、余計な奴らがぞろぞろと付いてきて──。  そこまで思い出して、咄嗟にバスの後方を確認するが、そこには既に誰もいなかった。委員長の姿もない。  突然動き出した俺に、戸田が心配そうな表情で「どしたの?」と訊ねる。何もない、と一言だけ返して椅子から立つと、戸田も奥の席から通路に出てきた。  そこでふと気づく。口の中が異様に甘い気がする。口にしたことのない、不思議な甘さ。 「なあ戸田」 「ん?」 「お前、何か俺に食わせたか?」 「え? いや、俺も寝てたから」  首を傾げながら戸田が返答する。嘘をついている様子はない。もう一度戸田が俺の言動の意味を訊ねてきたが、言葉を濁してきちんとした答えは返さなかった。  戸田が運転手に何時頃に戻るか告げるのを聞きながら、バスから降りる。目の前に見えるのは恐らく目的の店だろう。バスが停まっている駐車場には、他の車はなかった。  バスの傍に委員長以外の姿がないのを確認して、委員長へと声をかけた。 「他の奴らは?」 「気付いたらいなくなってた」  側を走る国道の車の音に負けそうな声量で、委員長が答える。 「バスから降りたところは見たのか?」 「いや、起きたらバスの扉がもう開いてて」  三人揃って呑気に寝ていたわけだ。厄介な奴らを自由にしてしまった。  通信手段もないこの状態では、無闇に探し回るよりバスの側で待っていた方が得策かもしれない。流石にあの制服のまま、何も持たずに逃走するなんていう脱獄まがいのことはしないだろう。 「あれ、あいつらは?」  運転手との話を終えてバスから降りてきた戸田が、きょろきょろと辺りを見ながら俺と同じ事を聞く。委員長の代わりにその質問に答えれば、戸田はあからさまに顔を歪めた。 「何考えてんだよほんと……」  はあ、と吐かれる溜め息が重い。珍しく戸田と同意見だった。 「どうしよう……」  委員長が小さく呟く。 「あーもう……とりあえず発注だけさっさと行って探しにいくしかないかな」 「バスの側で待つのはどうだ?」 「戻ってくんのかなー……」  遠い目で力なく言葉を発する戸田の肩を、ぽんぽんと軽く叩いた。元気のないまま感謝の言葉を告げた戸田が、もう一度だけ大きく息を吐く。 「とりあえず行こっか」  その言葉と共に、俺たちは店に向かって歩を進め始める。重い足取りで半分位の距離を歩いた頃、俺は自身の体に変化に気が付いて、足を止めた。 「どうし……」  突然立ち止まった俺に、何歩か先を行っている戸田が振り返り、言葉を途切れさせた。怪訝な顔で俺の名前を呼ぶ戸田の声が、自分の呼吸音で掻き消される。息を吸っているはずなのに、息が苦しい。体が途轍もなく熱く、尋常ではない疼きが全身に巻き付くように襲ってくる。そして、湧き上がってくる、忘れたはずでしかし懐かしい、理性を押し潰すようなどす黒い感情。  目の前の白い獲物が、心配そうな顔で俺に近寄ってきた。  ああ、朱く、染めなければ。

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