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「ちょっと、あんまり乱暴しないでよ? 顔が好きなのに」  松下の声が辛うじて耳に届いた直後、俺の世界から外界の音が消えた。  どくん、  自身の心臓の拍動が、ダイレクトに鼓膜を揺さぶる。本能が、その行為の気持ちよさを思い出せと叫ぶと、この手で命を握り潰す快感の記憶が、脳内で閉じ籠っていた殻を破って流れ出した。今度こそ、本物の衝動。愛撫などよりも遥かに自身を満たしてくれる、残虐で非道な行いを求め、思考が動き出した。  何も感付いていない立原が、俺への愛撫を再開する。だが、その快感を俺の体が受け取ることはなかった。それどころか、触れられている感覚すらない。  殴られ続ける戸田から溢れる血に、俺の目は釘付けになる。体の奥底からマグマのように湧き上がる殺意。  抑えられる気は、しなかった。 「……? 全然反応しなくなったんだが」 「立原が下手なだけじゃね? 川部、その辺でいいよ。戸田死にそうだし」  反応がなくなった俺の体をまさぐったまま、立原が怪訝な声を出す。山中はそんな立原を鼻で笑いながら、戸田を殴り続けていた川部に声をかけた。戸田は立っていることすら厳しいのか、羽交い締めをしている生徒の腕に支えられ、ぐったりとしている。辛うじて上下する背中が、まだ息があることを伝えてきた。  そんな戸田に、松下が「ほんとやりすぎ」と言いながら近付いて、下を向いている戸田の顎を掴んで強制的に上げさせた。口だけではなく、鼻や目蓋の辺りも赤く汚れて、目は腫れてきちんと開いていない。 「あーあ、イケメンが台無し。でも、これでも中の上くらいってのが凄いね」  四方から眺めるようにして、掴んだ顎に向かって松下が顔を寄せていく。  その血は、その獲物は、俺のものだ。  こんな奴らの為に我慢する必要はない。暴れ狂え。そして、奪われた獲物を取り戻せ。  予備動作もなく勢いよく振り返って、目の前にある立原の首を両手で掴んだ。 「んぐっ──!」  苦しさからか目を見開いた立原を地面に押し倒し、上から馬乗りになって、首を絞める両手に力をどんどん込めていく。立原の震える手が、俺の両手首を握って必死に剥がそうとする抵抗が、さらに俺を燃え上がらせる。 「っ……か、ぁ……!」 「立原!?」  立原の声に気付いた山中が戸田から目を離し、苦しそうにもがく立原と、その首を絞めている俺を認識して声をあげた。慌てて立原から俺を引き離そうと、委員長を地面に投げ捨てて、山中が後ろから俺の首に腕を回してくる。その腕を顎で思いっきり潰す。 「あ゛ぁあっ! いってえ! 止めろ!」  狂ったように叫びながら、山中がもう片方の手で、必死に俺の髪を後ろへ引っ張る。だが、もはや本能に操られている俺は痛みを感じず、顎の力を弱めることはなかった。  その間も首を絞められ続けている立原の顔は、既に青白くなり、入ってこない酸素を求めて口をパクパクとさせている。  その顔が酷く醜く、殺す気が失せた。汚い物を見るために殺すのではない。これは、ハズレ、だ。  乱暴に立原の首から手を離すと、立原は盛大に咳き込んで、荒い息を繰り返しながら徐々に焦点のあっていない目を目蓋の裏に隠していく。自由になった手で、顎で潰していた山中の腕を掴んで、振り返りざまに肩を掴んで関節を外した。 「うあ゛あああ゛あ゛あああ゛っ!」  至近距離から耳をつんざく絶叫に顔を顰める。こいつも汚い。  地面に倒れそのまま失神してしまった山中を無言で見る。 「あ……、あ……」  少し離れたところから声が聞こえてゆっくりそちらへ視線をやれば、顔を真っ青にした松下が、口をわなわなと震わせながら少しずつ後退りしていた。  あいつは、どうだろうか。楽しませてくれるだろうか。  ふらりと立ち上がって乱れた服を整えながら、松下の方に一歩踏み出す。それだけで、松下の恐怖心は臨界点を超えたらしい。 「ひあぁあああぁあっ」  奇声を上げながら、松下は視界から消えていった。

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