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小刻みに震える瞳が、俺の姿を捉える。白いシャツはその大半が赤く染まり、一際濃く色付いた部分には突起物。それが何なのか、先生は瞬時に察したようだった。
「藤原……」
先生の呼び掛けに、返す言葉は出なかった。今すぐにでも喉を潰して叫んでしまいたいほどの激痛が、俺の意識をゆっくりと奪っていく。重くなっていく身体を支えていた足は、ついに限界を超えてぐらりと崩れた。床に向かっていく俺を、先生が飛び込むようにして抱き込む。
「大丈夫か!?」
そう言った直後、近付いたことで噎せ返るような鉄臭さが鼻腔を直接的に刺激したのか、先生が顔を顰めた。
「花咲、を……」
「っおい、無事な奴ら! 誰か他の先生と救急車呼んで来い!」
先生の怒号にも似た指示に、息を殺して様子を見守っていた男子生徒たちが何人かばたばたと部屋から出ていく。
先生は壊れ物を扱うように俺を床へとそっと寝かせた。荒いものの、規則的な呼吸をしている俺の様子を見て、死の間際ではないと判断したのだろう。動くなよ、という言葉を残して花咲に駆け寄り、花咲の手首を縛っていた紐をほどく。辛うじて手首部分だけが通されていたシャツを元の状態へと戻し、汚れた下半身に悔しそうな視線を向けながら、先生は花咲の服装を整えて近くの壁に凭れさせた。
「山中は……手遅れ、か……」
先生の視線が山中へと移る。先程まで突き立てられていた首のナイフは消え、その傷口から溢れた血液が床に広がり、山中の苦痛に歪む顔面を、投げ出された髪を、業火の如く染め上げていた。
そしてそのナイフは、今俺の腹の中にある。
「……立原、お前は大丈夫か」
先生の問い掛けに、焦点の合わぬ目で自身の手を見つめていた立原の体がぴく、と反応する。立原は先生の方を見ずに、壊れたロボットのように何度かぎこちなく首を縦に振った。
「他に怪我人は?」
落ち着いてきたらしい先生が、部屋に残っている松下や他の生徒に視線を合わせると、皆一様に首を左右に動かした。怪我人の確認を終えた先生は、再び俺の側へと戻ってくる。
「もう少しの辛抱だ……死ぬなよ」
段々と閉じていく目蓋を必死に押し返し、喉から出そうになっている悲鳴を呑み込んで、俺はなんとか口を開いた。
「……俺が、殺しました」
放った言葉と共に、ついさっき自分が引き起こした惨劇を脳裏に映し出す。
「……」
先生は何も言わず、今にも閉じてしまいそうな俺の目をただ見つめている。
「……花咲、が、襲われて……っそれを、理由にして……俺は、俺の欲求を、満たすためだけに……殺しました」
「……命を奪う行為に、正当な理由は存在しない」
辛そうで、苦しそうで、悔しげな表情で、先生は絞り出すようにそう口にした。
ああ、俺はまたこの人を傷付けてしまった。
「……──生きてて、ごめんなさい」
誰に向かってなのか自分でも分からない言葉を小さく呟いて、俺の意識は闇へと落ちていった。
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