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 ◆ 『──聖、こっちだ』  誰かが俺を呼んでいる。  霧がかかっているようで、姿ははっきりとは見えない。だが、声と共にこちらに伸ばされた手だけは鮮明に見える。  小さな子供の手だ。  幾分か距離のあるその手の方へ走って行く。身体が重いのか、スピードはいつもの半分ほどしか出ず、軽く駆けているだけなのに、息はすぐに上がってしまった。  また、声が聞こえた。 『──聖、よく聞けよ。これからすることは、だれにも言っちゃだめだぞ。もちろん父さんや母さんにも。やくそくだからな』  少し高い、聞き覚えのある声。しかし、声の持ち主が誰なのかは、全く見当もつかない。忘れている、というより、記憶ごと鍵をかけて箪笥の奥底に仕舞い込んでしまったかのような感覚だ。これは、思い出してはいけない記憶なのかもしれない。  それでも声の正体を知るために、何とかして差し出された手を掴もうと、精一杯手を伸ばしながら懸命に走る。  視界に入った自分の手を見て、普段の自分より大分遅いスピードにも関わらず、異様に息が切れている理由が分かった。差し出された手と同じ、小さな楓の葉のような手。子供になっているらしい。  やっとのことで、あとほんの少しで手が届きそうな所まで来た時だった。 『──聖、オレのことはわすれろ』  確かに聞いたことがある言葉に一瞬その手を掴むのを躊躇った瞬間。  視界から、手が消えた。

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