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花咲は困惑を顔を浮かべて、俺を見返した。先生の方からは、「兄……?」と呟く声が聞こえる。しかし、放たれた言葉に一番驚いていたのは俺自身だった。
どういうことだ。俺に兄弟はいない。ずっと、ずっと一人だった。あの家に、子供は俺しかいなかった、はずだ。
閉じられた記憶の扉を、中から乱暴に抉じ開けようとする感覚。何かを忘れている。大事な何かを。
「確かに藤原君にはお兄さんが居たらしい記録はあったけど……」
「おー、よく調べてんなァ」
俺の記憶にない事を語る花咲に、ひゅっ、と口笛を吹いて、俺の中の存在は愉しそうに俺の口を動かす。
「じゃあ、幼児をレイプして殺した性犯罪者が、頭殴られて死んでた事件があったのは覚えてるか?」
ガン! と記憶の扉に一際強く力が掛かった。変形した扉の隙間から、煙のように白いものがふわりと漂ってくる。
全裸のまま、怯える俺に近付いてくる見知らぬ男。にたり、と不快感しか与えない不気味な笑みで、俺の天辺から足まで舐めるその視線。何度も夢に出てきた、実際の光景だ。いつもは、ここから俺がその男の頭へと手に持った鈍器を振り下ろすシーンまで飛んでいたが、今回は違った。歪に並んだ歯を剥き出しにして、男は俺へと唾を吹っ掛けながら言葉を放つ。
『──次はお前の番だ』
「何かあったような記憶はうっすらとあるな……十年以上前の話だったろ」
先生の回答で、映像はばつん、と途切れた。それでも、頭にこびりついたその言葉は離れない。次は、ということは、俺の前に誰かがいたはずだ。その男の欲の捌け口として犠牲になった誰かが。
「僕、それよく覚えてるよ。僕も時々変質者に声かけられてて、あの事件があってから暫くの間、両親が異常なくらい過保護になったから……」
先生へ視線を向けていた花咲の言葉は尻窄みになり、一気に険しくなった顔で花咲は俺に視線を戻した。
「あの時の被害者が、藤原君のお兄さん……?」
扉が、音を立てて粉砕した。溢れ出した白い煙は、先程の映像の続きを映し出す。
興奮したような荒い息をして、体液の臭いを纏った男越しに見える、横たわる小さい体。傷だらけの肌に白と紅の液体を塗りたくり、虚ろな瞳を俺へと向けるその顔は。
「おっと、思い出しちまったか。花咲っつったか、ご名答だ」
認識した瞬間、意識だけのはずなのに、息ができなくなったように苦しさが俺を襲い、目の前が暗くなっていく。
映像の中の俺は、俺にそっくりなその顔を視界に捉えた直後、激情に駆られて、気付けば側にあったガラスの灰皿を掴んでその男の頭へと何度も何度も振り下ろしていた。ぴくりとも動かなくなっても、ずっと、ずっと。ただ、殴らないといけないという強迫観念のようなものが、俺の体を動かしていたことを、思い出した。
その記憶を介して流れ込んでくるのは、痛み、苦しみ、憎しみ、恐怖、殺意、そして──少しの、快楽。
「オレと聖はいつも家の近くの公園で遊んでたんだがな、変態な野郎に目ェつけられてたみたいでよ。聖が初めて殺した男に、オレは犯されて死んじまったんだよ。殴られまくって死にかけのガキに突っ込んでヤり殺すとか、アイツ相当狂った奴だったんじゃねえか?」
あくまで神弥は軽く告げる。だが、体を使われている俺には、明らかに俺の気持ちによってではない震えが全身を襲っていることに気が付いていた。怖いのだ、神弥も。その記憶が。
「もう死ぬって思ったら、いつの間にか天井からオレ自身を見下ろしててさ。どうせだったら聖と一緒にいようと思って聖の中に入り込んだんだよ。そしたらアイツ、懲りずに今度は聖を襲おうとしてたから、オレが聖の体動かして殺った。聖自身は、自分の意志で殺したって思ってるみたいだけどな」
だからまあ、オレは幽霊みたいなもんだな、と神弥は笑った。
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