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直接その光景を見たわけではないのに、心を切り裂かれそうになるほどの惨たらしい事件。どこか現実味のない遠い世界の話だと思っていたことが、まさにその身に想像を絶するほどの痛苦を与えられ、命を落とした人物を目の前にして、急激に現実の恐怖へと塗り替えられた。拙いながらも想像すればするほど同じ人間の所業とは思えず、胃液が食道を荒らしていく感覚が花咲を襲う。
涙腺が壊れたのか、ぼろぼろと止めどなく流れる涙を拭いながら、必死に吐き気を抑え込んでいると、藤原──いや、今は藤原の兄が、目を瞑ってとん、と自身のこめかみを人差し指で叩いた。
「寝たな」
恐らく藤原の意識がなくなった、ということなのだろう。
普段の藤原とは明らかに違う、今にも消えてしまいそうな雰囲気に、花咲は縋るように神弥のスラックスをきゅ、と握る。僅かな違和感を感じ取ったのか、開いた神弥の目が下へと動いた。
「……お兄さん、藤原君の殺人衝動って、その事件の後から出てきたんですか……?」
藤原を調査していたときにわらわらと出てきた、藤原が犯したと思われる殺人の数々。探れたのは殺人掲示板のものだけだったが、最初の犯行から素人の動きではなかった。恐らくその掲示板を使う前から、殺人に慣れるほど隠れて罪を犯してきたのだろう。
藤原の殺人欲求はもはや欲求の域を超えている。それは、藤原を出来る限り隅々まで調べ上げ、更にこの学園で一番側にいる時間の多い花咲だからこそ断言できる。壮絶な藤原の過去を知った今、その過去こそが、本人が望まないにも拘わらず、異常なまでに殺人行為へ執着する原因だと考えるのは自然なことだった。
神弥は、花咲の言葉の意図を理解したようで、神妙な面持ちで「あー……」と言葉を詰まらせた。
「……そうだな、聖の殺人欲求の引き金を引いたのはオレだ。聖はあん時、身体が感じた殺人に対する感触を、オレが感じてたもんと結び付けて自分のもんにしやがった」
「それって……?」
「オレは死ぬ前に犯されてたって言っただろ。……不本意だけどな、ちょっとだけ感じてた快楽と、殺人の感触とを結び付けて、殺人は気持ちいいもんだって覚えやがったんだよ」
幼い藤原は、神弥が感じていた性的な快感と、殺人行為の感触を結び付けて、殺人は性欲を満たすものとして感じ取ってしまった、ということらしい。
「それだけならまだ抑える手段はあったんだろうが、聖はついでにオレの中のあった感情を根こそぎ呑み込んで、恐ろしいほどの激情を持った人格を作っちまった」
それさえなけりゃ、こいつはまだ普通でいられたんだろうな。
哀れみか、悔恨か。呟いて目を伏せる神弥の顔が、酷く悲しそうに歪む。
「こいつの殺人衝動は、下手すりゃこの学園を全員皆殺しにしても止まらねえくらいに重い」
少し取っ付きにくそうな雰囲気だが、綺麗で物静かなイメージの藤原。首を絞められた時は怖かったが、必死に謝ってくれた。立原たちに襲われたときだって、必死に自分を探して助けてくれた。
そんな藤原が、学園の皆を殺しても止まらないほど殺人衝動に呑まれたとき、自分は何が出来るのか。友達が苦しんでいるときに、ひ弱な自分に何かできることがあるのだろうか。
「聖がこうなったのは、オレが原因だ。だから、こんなことをお前らに頼むのは筋違いかもしれねえ。でも、聖のこと、見捨てないでやってほしい」
頭を下げる神弥に、花咲は首を縦に振りながら嗚咽を漏らす。
「……ああ、もちろんだ」
神沢が震える花咲の肩を抱き寄せながら、神弥の言葉に答えた。
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