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 橘は歯を食い縛り脂汗を額に浮かべながら、差し出した左手越しに、固い覚悟を持った眼差しを真正面から大北へとぶつける。 「……っもう、こいつには手出しさせないと誓った」  言葉と共に、ぐ、と左手が大北の方へ押し出される。動いた拍子にぽたた、と床を汚す赤が増えた。自分の想い人の肉を潰していく感触に耐えられなくなったのか、大北は声にならない息を短く吐きながら、持っていたアイスピックの柄を跳ねるように手放した。 「怪我は、ないか……」  右腕の中に収めた神弥へ、橘は必死に耐えるような表情で問い掛ける。呆けたような顔のまま小さくああ、と神弥が呟いたのを確認して、橘は神弥から腕を離した。そして、アイスピックが刺さったままの左手をだらん、とぶら下げて、大北の前へと立ち塞がった。 「……成海」  びくり、と大北の肩が跳ねる。一歩、橘が大北へと距離を詰めた。 「……すまなかった」  頭を垂れてそう告げた橘に、大北はくしゃ、と顔を歪め、今にも泣き出しそうな表情を露にする。 「……っ」 「……俺が中途半端だったから……本当にすまない……」 「……っ……う……」  ふるふる、と言葉もなく頭を左右に振る大北を、橘は右腕で包み込む。 「……でも、成海が大事なことに、変わりはない。仲間として、……好きだと思ってる」 「……うあああぁ……っ!」  橘がそう言った瞬間、大北は塞き止められていた感情を一気に流し始めたように、わんわんと泣き出した。橘に背中をさすられて、何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝りながら。  ひとしきり泣き喚いて、少し大北が落ち着いた頃、黙って傍観していた神沢が橘に声をかけた。 「橘、そろそろ病院へ行った方がいい。顔が真っ青だぞ」  花咲たちから見えていた橘の顔は激痛に歪んでおり、その痛みが神経を弱らせているのか、蒼白になっていた。アイスピックが刺さったままになっているため大量出血は免れているものの、このままでは痛みのショックで気を失う恐れもある。 「俺も、俺もいく、俺のせいだから」  泣き腫らした目を擦り、しゃくり上げながら大北が神沢へ振り返った。神沢は、橘へ是非を問うように視線を向け、橘が小さく頷いたのを確認すると、わかった、と大北に返答した。  ポケットから取り出したスマートフォンで電話を掛け、橘の傷の様子と併せて、二人ほど気を失ってる生徒がいる、と電話相手へと告げたあと、未だに気を失ったままの生徒たちを両肩に担いで、神沢は花咲へと向き直る。 「俺はこいつらを連れて病院へ行ってくる。時間も時間だ、ここは他の先生に何とかしてもらうから、お前と藤原は部屋へ戻っとけ。理事長からの通達は明日改めて連絡するから」 「分かった、藤原君にもそう伝えとく」  花咲が頷くと、神沢は橘と大北についてくるように顎でエレベーターの方を指した。動き出した橘の脚ががくがくと震え、崩れ落ちそうになるのを、慌てて大北が支える。 「だ、大丈夫か!?」 「……っは……はぁ……っ」  荒い呼吸を繰り返しつつも、大北の言葉に頷く橘。そんな橘へ、背中から声がかかった。 「おい」  額の汗をぽたぽたと垂れさせながら、橘がゆっくりと神弥へと振り返る。 「良いこと教えておいてやる。テメェの髪、血の色だろ。聖はその色に反応すんだよ」  殺されたくなかったらその趣味の悪ィ髪をどうにかしろ、と神弥が吐き捨てるように言った。橘は、神弥の言葉に納得したような表情を一瞬見せ、こくり、と頷いたあと、再び大北に支えられながら何とか足を動かし、神沢たちと共にその場を後にした。

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