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 花咲は目を伏せて一度俺に背を向け、救急箱から湿布の入った袋を取り出し、クローゼットへ救急箱を仕舞ってから、とぼとぼと重い足取りで戻ってきた。 「腰見せてくれる?」  決心したような表情に、誤魔化そうとする気配は消えている。花咲の信じて何も言わず、背を向けて着ていたシャツを背中の半分くらいまでたくし上げると、ひやりとした感覚が腰の辺り一面を覆った。優しい手つきで湿布を伸ばす花咲が、ぽつぽつと喋り出した。 「……あの後ね、会長さんと橘君──赤い髪のあの人が来たの。そしたら、藤原君のお兄さんが、凄く怒って……藤原君が、橘君に襲われたって知ったの」 「……そう、か」  それ以上の言葉は紡げなかった。犯されたという事実より、それを知られたことに対する恐怖で頭がいっぱいになる。  普通に話をしてくれている花咲も、心の内で俺を軽蔑しているのではないか。  わざわざ病み上がりの中、俺を探しに監獄まで足を運び、あの状況から救おうとしてくれた花咲に対して、そんなことを考えてしまい、自己嫌悪に陥った。 「何もされなかったか?」  少し震える声でそう声をかけるのが精一杯だった。花咲は俺の変化に気付いた様子はなく、固い表情のままこくりと頷く。 「うん、ただ会長さんが暴れて……」  不意に途切れた言葉の直後、あっ、と慌てた声に振り返れば、花咲は壁掛け時計を見ていた。つられて俺も視線を向ければ、そろそろ部屋を出ないと間に合わない時間になっていた。 「ごめん、また後で話すね」 「ああ、待ってる」  寮に待機しようとした俺に、花咲は立ち上がりながら首を傾げた。 「藤原君も行くんだよ?」 「でもまだ処遇が……」 「一君が今日処遇について伝えるって言ってたから、学校行った方がいいと思うよ」  花咲が、服を下ろした俺の腕を掴んで、緩くくいくい、と引っ張ってくる。  処遇は大体予想がついている。学校に行ったとしても、恐らくすぐに神沢先生から処遇を伝えられて、監獄へ行くことになるのだろう。それでも、最後に取り戻した日常を少しだけでも感じられるなら、それに越したことはない。  分かった、と返答すれば、花咲は人懐っこい笑顔を俺に向けて、俺の分も一緒に食器を流し台へと持っていってくれた。大慌てで二人で準備をして、部屋を飛び出ると同時に、横の部屋のドアも開いて、鈴木と長谷川が出てきた。 「お、藤原、久しぶり! 圭佑もやっと戻ってきたな!」  俺たちに気付いた鈴木が声をかけてくる。長谷川も俺たちの姿を認めて、無言だが微笑みを浮かべた。 「おはよう、陽太君、漣君」 「久しぶりだな」  俺たちも挨拶を返して、鈴木たちと一緒に並んで歩き出す。 「そういや藤原、お前大丈夫か? 監獄に連れてかれたって聞いたんだけど」 「ああ、監獄っていっても、少しだけだったからな」  鈴木の質問に軽く答える。監獄にいる間に何かあったのではないか、と悟られないようにするためだ。  俺の思惑通り、鈴木はなら良かった、と白い歯を見せた。

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