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 花咲の落ち着いた様子に胸を撫で下ろしつつ、ちらり、と山中の席を確認すれば、真ん中辺りにあったはずの席は既に撤去されたのか、他の生徒の机になっていた。  それを認識した瞬間、ザザッ、と一瞬視界が砂嵐のようにノイズを映したかと思うと、教室は一瞬にして一面を真っ赤に塗り潰されていた。さはに、その席に今まで座っていた生徒は、首の後ろにナイフを突き立てられたまま、血まみれの状態で、生気の無い目を黒板へと向ける山中の姿に変わっていた。  突然のことに、ひゅっ、と小さな悲鳴のような声が自分の口から出る。見開いた目を一度目蓋で隠してから再度開けば、赤く染まった世界は元通りに戻っていた。山中の姿も、勿論そこにはない。  ばくばくと五月蝿いくらいに跳ねる心臓を、外から手で押さえる。口の中に異様に溜まった生唾を呑み込めば、幾分か気分がましになったような気がした。  少し落ち着いたところで教室内を見渡せば、花咲を襲っていた奴等は総じて恐怖を顔に貼り付けて俯いていた。特に、立原や松下は遠目でも分かるほどに体を震わせている。  そうさせているのが自分だと気付いた頃に始業のチャイムがなり、教室に知らない人物が入ってきた。  真っ黒な髪は、それ自身が細いのかボリュームはないもののしっかりと頭部を覆っていて、歩く度に揺れる少し長めの毛先は、男にしてはよく整えられている。顔立ちが少し幼いせいか一瞬大学生くらいに見えるが、光を灯さない目と着崩したジャージが、社会に疲れたサラリーマンのような、何とも言えない擦り切れ感を醸し出していた。  いつも来るはずの神沢先生の姿ではないことに、教室内が少しざわめき出す。そんな中、戸田だけは今まで見せたことのない惚けたような表情で、ぽつりと呟いた。 「まーちゃんだ……」 「席着いてー」  戸田の言葉に重なるように発された、一言で飄々としたイメージをもたらす声が、なんとなく胡散臭さを感じさせる。ちらほらと立っていた生徒が全員席についたのを確認して、戸田曰く『まーちゃん』は、口を開いた。 「休みはいないかな。よーし、話するよー。あ、先に自己紹介しといた方がいいかな。俺は森下真也(もりしたまさや)です。見た感じ、多分初めましての人が多いね。神沢先生はちょっと今手が離せないので、神沢先生が来るまでは、何かあったら俺の方に言ってください」  俺はDクラスの方にいるから、と森下先生が指で教室の後ろ──隣接するDクラスの教室を指しながら付け加えた。 「多分神沢先生も昼までには来ると思うんで、いつも通り準備を始めてもらっていいよ」  はい、解散。  ぱん、と手を叩きながら告げられた言葉に、クラスメートたちはぞろぞろと席を立って、雉学祭の準備に取りかかり始めた。戸田と花咲も立ち上がって、作業内容の確認をし始める。  自分の処分内容を聞くためにここへ来た俺は、どう行動していいかが分からず、おろおろと戸田と花咲を交互に見ていると、いつの間にかすぐ傍に来ていた森下先生に声をかけられた。 「えっと、……藤原、かな?」 「……そうですが」 「神沢先生から伝言。昼休みに国語準備室に来てくれって」  ──来た。間違いない。山中の件の処分の話だろう。しかし、あと数時間ほどは待機しておく必要があるようだ。 「分かりました」 「それまでは準備に加わればいい、とも言ってたよ」  先程の俺の挙動不審な様子を見ていたのか、はたまた本当に神沢先生からそう伝言があったのかは分からないが、助け船とも言える言葉に、安堵の表情で頷いて、花咲たちの会話に混ざり込んだ。

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