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 俺の返答に、先生は俯いたままほっとしたように大きな息を吐いた。その息と共に、先生の中でつっかえていたものが出ていったようで、再び上げられたその顔は、先程よりも幾分か血色を取り戻していた。 「雉学祭が終わったら代休が一週間あるから、その初日に行くぞ。俺もついていく。一人じゃ学園を出れないしな」 「はい」 「話は以上だ。腹減ったろ、早く戻って昼飯食っとけよ」  そう言いながら立ち上がる先生につられて、俺も腰を上げる。そのままドアの方へ進みかけたタイミングで、先生が何かを思い出したような声をあげた。 「あ、そうだ。午前中は何も問題なかったか?」 「はい。花咲が夏休み返上かもって落ち込んでたくらいですね」 「大問題じゃねえか」  落ち込む花咲の姿を想像したのか、くくく、と先生は笑いを噛み殺しながら、愛おしそうな表情を見せる。ほんと、この人は花咲が大好きだな。 「どこに行ってたんですか?」 「病院だ」  何気なく発された『病院』という言葉と、朝に花咲が言っていた『会長が暴れた』話が、頭のなかで一つの線で結ばれる。 「まさか、会長が暴れたから……?」  考えていたことが無意識に口から漏れていたようで、先生が目を丸くしながら俺を見た。 「お前、知ってたのか」 「朝、花咲から少しだけ聞きました。すみません、俺のせいで、怪我させて──」 「俺は怪我してねえぞ。お前のせいでもない」  頭を下げた俺が言い終わらないうちに否定され、口を半開きにしたまま顔をあげる。先生が怪我をしていなくて、花咲も水野も無事なら、一体誰が会長にやられたのか。 「じゃあ、誰が……」  混乱する俺に、先生は複雑そうな顔でその名前を告げた。 「怪我したのは橘だよ」 「たち、ばな……?」  一瞬誰のことか分からず、記憶を引っ張り出して赤髪のことだと理解する。 「お前を庇ったんだ……っつっても、元はと言えばあいつが蒔いた種だから、気にすんな」  赤髪が、会長から俺を庇った……?  訳が分からない。あいつは会長とグルで、俺のことを玩具か何かとしか思っていないはずなのに。そうでなければ、あんな、無理矢理──。  昨日赤髪に弄ばれ痛め付けられた体が、その感覚を思い出して、小刻みに震え出した。クーラーの冷たい風が、額に滲み出した汗を乾かしていく。  会長が暴れるほどに俺に憎しみを抱いている理由も分からないが、それ以上に、赤髪が俺を庇ったという事実は俺の理解の範疇を越えている。 「な、なんで、あいつが……」 「……それは俺からは言えねえな」  窓の外へ視線を向けながら呟き、先生は強引に俺を準備室の外へ押し出した。 「ほら、もたもたしてたら昼休み終わっちまう。圭佑も待ってるだろ」  じゃあな、と目の前で閉められたドアを呆然と見つめ、俺はただその場へ立ち尽くすしかなかった。

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