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そこからどうやって教室に戻ったのかはよく覚えていない。気付けば、目の前にはEクラスの教室のドアがあった。
先生が言ったことが頭の中をぐるぐると回った状態のままドアを開ければ、音に反応した花咲が視線をこちらへやる。
「おかえり! お腹すいたでしょ、ご飯食べよう」
何も聞かずに笑顔でそう言った花咲の前には、フタが閉まった弁当箱が二つ。
「……ああ、ありがとな」
重たい足取りで自席へ向かい、椅子を花咲の方へ向けて座る。手前の弁当箱に手をかけると、花咲も同じように俺のものより一回り小さい弁当箱をぱか、と開けた。花咲の弁当箱の中は、手付かずのままだった。
「食べてなかったのか?」
「一緒に食べた方が美味しいから」
にこにこと笑う花咲は、比喩ではなく本当に天使だった。その笑顔を見ているだけで、幾分か気持ちが晴れていく。いつ自我を失くしてもおかしくない俺を、こんなにも支えてくれる存在に、感謝してもしきれない。
久しぶりの花咲お手製の弁当を口に運びながら、先程先生から告げられた処罰の内容を花咲に話せば、花咲は目尻を下げて「これからも一緒だね」とだけ言った。良いとも悪いとも言わない花咲に、俺はほっと胸を撫で下ろしていた。
昼休みが終われば、また作業の時間がやって来る。午前中と同じように花咲の隣でサポートをしていたが、脳内は、山中の母親に会ったときに何を言われるのかという恐怖と、赤髪が何故自分を庇ったのかという疑問でぐちゃぐちゃになり、次第に気分が悪くなってきた。
「……花咲、すまん。ちょっと休みたい」
自分の口から出た思ったよりも弱々しい声に内心密かに驚いていると、花咲も少し驚いた様子で俺を見て、眉尻を下げて俺の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 保健室行く?」
「そうだな……」
「ついていこうか?」
「いや、いい。場所だけ教えてもらえると助かる」
花咲の作業を止めるのが申し訳なくてそう告げると、花咲は心配を顔に貼り付けたまま、保健室の場所を教えてくれた。
ありがとう、と礼を伝えて席を立ち、教室を出ようとしたタイミングで、戸田が教室に入ってきた。
「あれ、聖ちゃんどこいくの? なんか顔色悪いね?」
「すまん、戸田。……休んできていいか。当日店に出るから。全然準備も手伝えてないしな……」
「え、いいの? 聖ちゃんがそれでいいなら願ったり叶ったりだけど……ってか本当に大丈夫?」
心配そうに眉を寄せた戸田が俺の額に手を当てた。んー熱はないねー、という声と共に、手が離れていく。
「無理はしないようにね」
ぽん、と頭に置かれた戸田の手が、複雑に絡まり合った感情の糸を何本かぱらり、と解いた。花咲といい、戸田といい、他人の感情を解すのが上手い奴らに囲まれている。俺としては、有り難い話だ。
ふ、と口元を緩ませて小さく頷いて、教室を後にした。
保健室に行き、白衣を着た年配の先生に事情を伝えて、一番奥のベッドに体を預ける。隣の大きな窓から入る日差しに目を細めつつ、外を見た。
雲一つない青空。俺の心も、こんなに綺麗だったら。
そんなことを考えながら、俺は目を瞑った。
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