167 / 281

*

 普段通りの長谷川の顔のはずなのに、先程までの着物美人の面影が重なり、妙な恥ずかしさから少し視線をずらしながら声をかける。 「帰りか」 「ああ」 「鈴木はどうした?」 「あいつなら明日の服装が決まらないとかいって、メイク室で茅野と相談してる」  心底呆れたような口ぶりだ。同時にきつく寄せられた眉間の皺によって、美人の面影は雲散霧消した。この眉間の皺は人相を驚くほど変化させるらしい。  何となく歩き出した俺に合わせて、長谷川の足も動き出す。二人並んで寮へと進み出したはいいが、俺も長谷川も普段からあまり喋らない者同士で、何か特別に話す話題があるわけでもない。ひたすら無言の中、不規則に鳴る靴が地面を蹴る音だけを聞いていた。  校舎を出た辺りで、長谷川が思い出したように、今日の働きの礼だと言って小さなピンク色の袋を手渡してきた。 「なんだ? これ」 「客から貰った。チョコレートらしいが、俺は菓子が苦手だからな」 「いらないものを押し付けてるだけだろ」  文句は言ったものの、いいタイミングで小腹が空いてきたので有り難く頂戴することにした。その場で早速開けてみると、手作り感満載だが、決して形が悪いわけではないトリュフが五個。  ぷん、と漂ってくるカカオの匂いに誘われ、一つ摘まんで口に運ぶ。ほんのりと甘みを感じた後に苦味が舌をくすぐった。カカオの苦味とはまた別の独特な味だが、嫌いではない。 「ん、なかなか美味いな」 「そうか」 「いるか?」 「さっき苦手って言っただろ」  そうだったな、と言って、二個目を口に運ぶ。癖になりそうな味に、そのまま気付けば五個全てを腹に納めていた。美味しかった、と改めて長谷川に言うと、「元気は出たか?」と唐突に聞かれ首を捻る。  訳を聞くと、このトリュフをくれた人が、「元気の出るチョコレートだから、明日の学祭が始まる直前に食べてほしい」と長谷川にお願いしたらしい。  待て、元気の出るチョコレートってなんだ。どう考えても怪しすぎるだろう。今更だが、早まって食うんじゃなかったと後悔する。  これで何か俺の体に異変が起こったら長谷川のせいだ。  と思った瞬間、視界がブレた。 「っ……」 「藤原!?」  平衡感覚を失い足がもつれ、ふらりと倒れそうになったところを長谷川に間一髪支えられる。  絶対に長谷川のせいだ。何が入ってたんだあれに。 「おい、大丈夫か?」 「……見りゃ……分かるだろ……」  全く大丈夫じゃない。ふわふわと浮いているような気分になってくる。顔が尋常じゃなく熱い。そして一番に感じるのは──気持ち良さ。 「はせがわぁ……」 「本当に大丈夫かお前、しんどいのか? 気持ち悪いのか?」  だから大丈夫じゃない。しかし、しんどいわけでも気持ち悪いわけでもない。 「ん……? お前もしかして……」 「なんら……?」  何か思い当たる節があったような顔をする長谷川に問おうとするが、呂律が回らない。あたまが、からだが、ふわふわする。  くそ、あの客……! と長谷川が舌打ちをした。 「ろうしら?」 「あーもう喋るな」 「らんれ?」 「言葉になってないからだ。ああクソッ、その目で俺を見るな!」  どんな目だよ。  もはやその問いは言葉にすら出来ず、せめてもの抵抗でしかめっ面の長谷川を無言で見続ける。 「……だから、その上目遣い止めろ」  俺の方が背は低いし、支えてもらっているから上目遣いになるのは致し方ないことだ。  長谷川の言っている意味が理解できずにそのまま見続けていると、長谷川は終いには俺の目を塞いで来た。目の前が真っ暗になると、途端に物凄い眠気が俺を襲う。 「れむ……」 「は? おい藤原!」  その眠気に抗う暇もないまま、俺の意識は夢の世界へと引きずり込まれていった。

ともだちにシェアしよう!