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 そんなやりとりをしていると、先生が意地の悪い笑みを浮かべながら俺を見る。 「藤原、静利押さえろ」 「え」 「ぎゃーダメダメ!」  先生の言葉を聞いて、有り得ないほど素早い動きで戸田は教室の一番後ろまで移動した。人間って追い詰められれば何でも出来るんだな、と思いながらぼんやりとそれを眺めていたら、後ろから顎を掬われて先生の方を向かされる。 「藤原」 「何ですか」 「静利を逃がした罰だ」 「意味が分からないんですけど」  眉を顰めて抗議じみた言葉を吐くと、笑みを浮かべたままの先生はもう片方の手で俺の腰を掴んでぐいっと引き寄せた。有無を言わさない力に抗えず身体は先生の方へ持っていかれ、咄嗟に引こうとした顔もがっちり掴まれたままで逃げ出せず、あと数センチで唇と唇が触れ合いそうになる。  が。 「ストォーップ!!」  視界を埋めていた先生の顔が消え、代わりに手のひらが眼前を覆った。そのまま俺は顔面ごとその手のひらへ衝突する。真っ先に押し潰された鼻が変な方向にぐねり、と曲がり、思わず出た呻き声は手のひらに防がれ、ただの変な音となって辺りに響いた。 「りっちゃん、聖ちゃんいじめちゃダメ!」  手のひらの持ち主はそう言いながら俺の顔から手を離したと思いきや、もう一方の手を俺の腰に回して引き寄せ、まるで子供を守るように抱きしめる。俺の顔は今度はワイシャツに押し付けられる羽目になった。  カシャカシャカシャ! という乾いた音が連続で響き、それがカメラのシャッターを切る音だと気付いてもごもごと声を出して抵抗すると、拍子抜けするほど簡単に拘束が外れた。 「ほう……」  少し笑いを含んだその声と共に広がった視界に映ったのは、いたずらをした猫のように首根っこを掴まれて青ざめた顔をした戸田。 「あ、あれ……?」 「お前は本当に馬鹿だな」 「ひ、聖ちゃん! お助け!」  先生が悪魔も顔負けな恐ろしい笑顔で言うと、まんまと先生の作戦にハマった戸田は自分の少し先の未来を想像したらしく、さらに顔を青くして俺に向かって手足をバタバタさせながら懇願した。 「戸田、りっちゃんに負ける気しない、って言ってました」  必死の懇願も無視して先生へ先ほどの戸田の言葉を告げ口する。鼻を潰されたお返しだ。  先生はそれを聞き、恐る恐るといったように先生を見上げた戸田に視線を向けて、また口角をこれでもかと吊り上げた。 「ほう……、そう。ま、頑張れば?」 「りりりっちゃん笑顔が怖いよ笑顔が」 「覚悟しとけ」  聖ちゃんの裏切り者ー! と叫びながら戸田は先生に引きずられて教室を出て行った。  一瞬静まり返る教室内。しかし、すぐに喧騒に取って代わる。 「……仲良いんですね、皆さん」  授業中とは思えない騒がしさにまみれた教室を困ったように見渡した後、ポツリと黒矢が呟いた。  とても羨ましそうに。

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